マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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南六条町南方の水田

2016年04月18日 10時12分31秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
田に水を張ってシロカキ。

泥田は安定した数日後の天理市南六条町。

ここも度々訪れる南方。

水田に向かおうとしたら田植え機が通っていった。

水田に向かうと思われた田植え機は集落に消えていった。



しばらくすれば再び登場した田植え機は苗箱を積んでいた。

一連の様相は水田景観と集落の佇まいも相まってシャッターを切っていた。



この場より東南の位置。

共同の苗代田のところに麦わら帽子が見えた。

案山子なのだろうかと思って近寄った。

木の棒に掛けていた麦わら帽子。



単に棒に引っかけたものでなくマネキン人形の顔部分を棒に差し込んで立てていた。

顔なのだから帽子を掛けた。



そういう感じだが、景観が面白いので何枚も撮っていた。

向こう側には家族が育った苗箱を運んでいた。

田植えした箱は水路で綺麗に洗っていた。

苗は多い。

昼からの作業も続けられる男性。



「行事も来ていたけど、田んぼも見にくるんやな」と笑っていた。

(H27. 6.13 EOS40D撮影)

南六条町南方の直播田

2016年04月18日 10時01分11秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
田に水が張られたら育った苗はどのような状態になるのか知りたくなった。

そう思ってやってきた天理市南六条・南方の水田。

いつ、田に水を張ったのか聞いていない。

根株はほぼ水没。育った苗はさらに成長して分けつ。

数十本にも増えていた。

水没した根株はやがて腐って消える。



隣近所の農家さんが話す。

「あそこの家は手がかからんようにうまいことしてはる」と云ってた。

(H27. 6.13 EOS40D撮影)

南六条町南方の直播田

2016年04月18日 09時49分59秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
南六条町南方の水田を訪れること度々。

昨年の9月末に稲刈りを終えた農家は苗床を作らず、刈りとった根株をそのままにしておく。

5月初めに残っている根株と根株の間に籾種を蒔く。

根株は一直線になっているから蒔きやすい。

土を被せて発芽を待つ。

3週間後に発芽。

緑色の列ができていた。

それから数週間後の6月5日。

苗はすくすくと育っていた。

目印になる根株の間に生えていた。

(H27. 6. 5 EOS40D撮影)

南六条町北方の環濠

2016年04月18日 09時46分02秒 | 天理市へ
奈良・大和平野盆地部に150から200ほどもあるという環濠集落。

応仁の乱から戦国時代に突入した。

村々は争いから守るために村の周りを濠で囲った。

多くは室町後期に形成したようだ。

教科書に掲載されるほど名高いのは大和郡山市稗田の環濠集落。

観光施策にために護岸工事・整備されたので昔の面影は見られない。

「環濠を見るならここへ行くべし」と勤務していた大和郡山施設で案内していたのは天理市南六条の北方だった。



建屋に蔵とともに佇む環濠はいつ見ても堂々としている。

4月に発生した藻で濠が埋め尽くされている。

難儀なことになったと総代は話していたが・・・。

建屋はいんきょの森家。

本家は北方にある大和郡山市の横田町にある。

筒井家三家老の一人、森志摩守好之氏の出身地やに聞く。

(H27. 6. 5 EOS40D撮影)

南六条町北方のノガミ御供

2016年04月18日 09時30分27秒 | 天理市へ
天理市南六条町。

喜殿-六条線道を挟んで北方と南方からなる集落がある。

旧南柳生になる北方は三十八(みそや)神社、南方は杵築神社がある。

幾度か両神社行事を拝見していたがノガミ行事は未だに訪れることはなかった。

ノガミの場は街道の西側の小字野神に立つムクノキの一本木さんだ。

行事に関係する大字は北方。

この場は三十八神社のマツリにお渡りするお旅所でもある神聖な場である。



一本木さんの根株に置いてあった根付きのショウブとヨモギ。

傍にカシワモチを供えていた。

これらは前日にアニ若しくはオトウトトーヤ(平成20年に聞いたときはオヤ・コ頭屋だったが・・・)が供える。

総代が云うには御供は午前中、ショウブとヨモギは午後でも構わないという。

三十八(みそや)神社の年中行事はアニ・オトウトトーヤが月々交替する。

今年は仕事の関係でオトウトトーヤがつとめたそうだ。

今では和菓子のカシワモチに移ったがかつてはコモグサで包んだチマキだった。

小川に生えていたコモグサは消えたことにより北方の環濠に生えていたカシワの木の葉で包んでいた。

30数年前まではそうしていた。

当時は数え年17歳の男児が中心となって行う子供の行事であった。

供えた一本木の前で相撲や駆けっこをして遊んだ。

いつしか少子化を迎えてトーヤだけがつとめることになった。



撮影地を変えて、遠くから一本木を見る。

手前の苗代田に祭っているのは3月初めころに三十八神社の祈年祭に奉った松苗

祭事を終えて村30戸に配られる。

「産土大神」のお札でくるんでいる。

割った竹に挟んで苗の成長を願っていた。

ここら辺りは数日後に田植えが始まる。



根付きのショウブとヨモギにカシワモチを供える三十八神社。

本殿にそれらがあった。



総代の許しを得て拝殿扉を開けて境内社の八阪神社・厳島神社も拝見する。

同じようにノガミの御供を奉っていた。



根付きのショウブ、ヨモギ、カシワモチは一本木、三十八神社だけでなく境内にある享保十一年(1726)鋳造の鐘楼前にある石灯篭や大師講の営みに使用されている会所外窓の大師像にも供えている。



会所は旧興蔵寺。

かつては真言宗派だった北方はいつの時代か判っていないが融通念仏宗派になった。

年に一度は大阪平野大念仏からやってくる如来さんのご回在がある。

それはともかく古くなった会所を建て替える事業が今年度に行われる。

平成20年のことだ。

サカキ立ての直会の際に拝見した会所の蔵に残してあった旧興蔵寺什物の牛玉宝印の版木や宝暦五年(1755)の銘が記された百万遍数珠箱がある。

旧興蔵寺はかつて布留社神宮寺三十二ケ寺の一つだった。

真言宗時代に使われていたと思われる道具類は建て替える際に倉庫に移すと総代が話す。

蔵にあった道具類は相当数。

村の歴史を語る道具類をこの際に整備したいという。

写真記録もある整備に協力を願われた。

時間の許す限り対応する所存であると、思っていたが連絡はなかった。村の対応で済んだのだと思う。

なお、平成13年正月改め頭屋持ち『三十八神社神饌帳』によれば6月5日は「チマキ」だった。

(H27. 6. 5 EOS40D撮影)