マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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興隆寺町八坂神社・祈年祭のシロモチ喰い

2018年01月06日 09時32分22秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
祈年祭のシロモチ(シラムシ)喰いをしていると聞いたのは先月の2月7日だった。

そのシロモチとはいったいどのような形態なのか、拝見したく訪れた奈良市興隆寺町の八坂神社。

行事は午後1時から始めるときいていた。

それを見越した上、代表者にもお会いしたくて早めに訪れた。

着いた時間帯は午後12時少し過ぎたばかり。

神社下にある少しばかりの駐車場。

高齢の男性がその場に生えている樹木小枝を伐って採取していた。

たぶんに榊の木であろうと思った。

後でわかったことだが、その木は樫の木であった。

神社境内にあがれば数人の村人が集まっていた。

神事が始まる前に氏子がすべき御供作りがある。

2月7日に行事のことを教えてくださったKさんもいる。

代表者はどなたでしょうか、と云えば、先ほど樫の木の葉を採取していた長老のYさんや当番勤めの人たちを紹介してくださる。

長老のYさんは昭和3年生まれの89歳。

「村のことなら一番よく知っているから、なんでも聴いたってや」と云われる。

先に供える御供はシロモチ。

一升の粳米に五合の餅米を米粉にする。

その粉を混ぜて塩水で練る。

練ったシロモチは手でこねる。

30分間連続作業でこねるから相当な労力を要すると話していたのはKさんだった。

柔らかいうちに四角いお盆のような器に入れて伸ばす。

表面を平らにヒタヒタにする。

それがシロモチであるが、これをシラムシの名で呼んでいたのは、これより神事をされる神職であった。

YさんにKさん、それに参加者で一番若いIさんの3人が本社殿の神饌御供を並べていく。

シロモチは奥に。

その前に三方に載せた神饌。

生鯛にホウレンソウ、キュウリ、シメジにオレンジなどの果物。



塩、洗い米の皿も置いたその前は13本ローソクを立てる燭台も。

本数は村の戸数と云われるが、興隆寺町の本来の戸数は17戸。

実際に生活されている戸数がどうやらローソクの数にしているようだ。



並べていたのは長老のYさんと当番のKさんに村で一番の若手で活動的である云われているⅠさん。

Ⅰさんは昨今珍しく神事、行事ごとの参加は常であるそうだ。

神饌御供を揃えたらYさんは神さんに向かって手を合わせていた。

本社殿右にある末社も手を合わす。

いつもそうしてきたというYさんである。



ところで下見に訪れた際に気になっていた本社殿の柱に括り付けている天照皇大宮のお札である。

詳しくは聞けなかったが、夫婦岩があるお伊勢さんでたばってきたようだ。

供え終わったら本社殿を下って境内に組んだトンド場で火焚き。

実際は供えている間に、トンド周りに個椅子を置くなどして準備していた。

供えてから30分ほど。

氏子の一人が供えたシロモチを下げてきた。



そのシロモチを膝で抱えながらナイフを入れていた。

真ん中から半分。

左右は五等分に切れ目を入れたら、ぐぐっと刃を押し込んで切る。

シロモチの厚さはままあるから、何度も何度も刃を入れて切り分ける。



切り込みが入ってようやく分離できて取り出すシロモチはまるで白い豆腐のように見えるが、ちょっと違う。

見た目は白塗りの漆喰の塊のようだ。

搗きたてシロモチは柔らかい。

力尽くで形を替えることができる。

この日の切り分けは偶数割り。

参拝者の数だけ切り分ける。

参加者数が奇数であれば1個増やして偶数割りにする。

仮に11人であれば12割である。

シロモチの切り分けは常に偶数となる。

ただ、ナイフと思っていた切り分け道具は金物ではなく、木製、というか、竹箆であった。

竹箆でなく、樫箆だという人もいる。



ほぼ切り分けたころになれば参集した氏子たちは個椅子に座っていた。

そのころに到着した区長さんこと一年任期の自治会長のSさんも席に着く。

トンド火で暖をとる薪は、年に一度の「シバシ」で集められる。

「シバシ」の人足にあたった人たちは山に出かけて材伐り。

伐り出した材は薪にする割り木作業。

一括りにして神社小屋下に保存しておく。

年に一度の割り木作業量は多い。

というのも毎月一日は、月参りの「佐平(さへい)」の名で呼ばれる行事を行っている。

それがこのシロモチ御供上げ・御供下げである。

佐平のシロモチの主目的は食べることにある。

この日もしているように火起こししたトンドで等分したシロモチを焼いて食べる。

毎月のことであるから、割り木はたくさんいるのである。

「シバシ」という名の神社の仕事は奈良県ではあまり聞いたことがないが、京都府の南部地域になる加茂町銭司の春日神社の薪も同じように割り木作業がある。

その仕事を「シバシ」と呼んでいたので、他の地域でもあるような気がしてきた。

ところで、シロモチである。



豆腐一丁のような形で切り分けたシロモチは手で抑えて団子のような形にする。



その形ができあがったら、待っていた氏子たちめいめいが手にする。

ぐっ、ぐっと手のひらで押すように力を込めて伸ばしていく。

丸くしたシロモチはこれからトンドの火で炙って焼いていくのだが、ここでひと工夫がある。

神社に到着したときにYさんが集めていた樫の木の葉っぱである。



これを表面に2枚。

裏面にも2枚くっつける。

表と裏の葉は互い違いの向きにする。

葉の面は表、裏いずれであっても良さそうだ。

トンドに設えた大きな鉄網。



そこにめいめいが丸めたシロモチを焼いていく。

焦げないように表裏をひっくり返す。

そのうち焦げ目がつきだしたシロモチ。



もっと時間が経てば樫の葉も焼けて真っ黒状態になる。



網の目も焦げ目状態になって浮き上がる。

そうこうしているうちに奈良市丹生町にお住まいの神職が来られた。

2月18日に行われた山添村の祭りと民俗講演会に聴講されていた新谷宮司からこの日の3月1日は旧五ケ谷村の各大字に出仕する祈年祭があると聞いていた。

何カ所かの村の行事は同一日。

一人では時間的にも無理があるので、一部の村については奥さまに分担してもらっている。

興隆寺町はそうなると聞いていた。

午前は中畑町に米谷町。

午後は興隆寺町に高樋町、北椿尾町、菩提山町。

1日の神事時刻は神職を求める村の順番待ち行列になる。

トンド火と鉄網で焼くシロモチ焼きの手を一旦は止めて、八坂神社の祈年祭神事に移動する。



階段を登る手前にあるのはニノ正月に奉った葉牡丹であろう。

末社、本社殿ともローソクに火を灯す。



この日は風も吹かないから火も消えず、である。



神職一拝、修祓、祓の儀、献戦、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌に神職一拝で終えたら揃って下ってきた。



神饌御供下げもして一息。

その間はおよそ15分。

シロモチはコテコテに焼けたと思えたが、それは違った。

焚き木は燃えつくされ灰状態になっていた。

衰えた火で温めていたシロモチはアツアツ状態。



がぶりとかぶりついた。

焦げた樫の葉の香りで香ばしいシロモチに旨さがある。

それは塩で練っていたから他ならない味である。

焼けて焦げ目のある部分はパリパリ。

中身はもっちり感があるシロモチはお腹が膨れる。

塩加減は当番の人の要領にもよるが、シロモチは案外美味いと思った。

神職ともども神さんの前でよばれるシロモチ喰いは県内事例では見たことも聞いたこともない珍しさがある。

手間をかけて作って食べるシロモチは1年に12回も登場する朔日の月参り「佐平」に供えられる。

普段の月であれば早朝の時間帯に行われるが、神職が出仕される3月1日の祈年祭の他、1月2日の元日祭、10月第二日曜日のマツリ、12月1日の新嘗祭は午後にしているようだ。

ちなみにシロモチを焼いたトンドの灰である。

「灰に塗れて、灰も薬や」。

昔の人はそう云って灰に落ちたシロモチを食べていたそうだ。

灰とも炭ともわからない状態になったモノは疳の虫(かんのむし)に利いたという人もおったとか・・・。

また、自治会長が云ったトンドの後始末。

すべてが燃え尽きるまで火の番をする。

万が一、火事にでもなったら、えらいことになる。

それはここ興隆寺町・八坂神社の社叢(しゃそう)である。

標高域(280m)での典型的な林相を保つ社叢は、学術的に極めて貴重なものとして平成3年に奈良市の天然記念物に指定されている。

大切な社叢が認められた記念物は村が守っていかねばならない。

神事と云えども火の取り扱いはその都度において特別に配慮している。

つまりは火の気のないことを必ず確認している、ということだ。

こうした状況をこの日に行われたシロモチ焼きの情景を奈良市教育委員会に文化財報告しなければならない。

シロモチを食べる行事は毎月のこと。

火の扱いをきちんとしている映像は報告資料に使いたいと申し出があった。

断る理由は持ち合わせていないので、後日にお世話になったKさん経由で送らせていただいた。

天然記念物だから火の気は特に注意しているが、賽銭泥棒には勝てんわと云っていたのが印象的だった。

(H29. 3. 1 EOS40D撮影)