リハビリ運動が始まってこの日で通算59回目。
毎日の訓練とすればまるまる2カ月間。
心臓が元通りの動きになるよう願って出かけた外来棟。
今回も受付を済ませてリハビリ室に行く。
この日も心電図機器を装着して運動に臨む。
そのときの心拍数は43-45拍。
準備体操前の状態では50-51拍になる。
自然と上昇する心拍数が嬉しい。
整備体操の次はスクワット運動。
心拍数は52-53拍。
運動方法によっては55-58拍にもなる。
この日も順調なスタートを切った。
自転車ペダル漕ぎの慣らし運転。
そのときの血圧は116-68。
脈拍は58-60拍。
この日もいつもと変わらぬ状況。踏み始めて1分後のワークは55。
心拍数は61-62拍。
回転しだしてから2分後の脈拍は58-60拍。
変化に乏しい上昇。
波に乗れないというか・・・。
6分後の血圧は137-65。脈拍は67-68拍。
11分後の血圧は149-63。心拍数は73-74拍。
16分後の血圧は140-60。脈拍は68-69拍。
21分後の血圧は162-62。脈拍は68-69拍。
変化のない状況が続く。
そんな状況が安定していると診断したリハビリ療法士のIさんが声をかけた。
先週に伝えたいつまで続くやら、に対する結果である。
その結果は嬉しいお言葉。
なんと、なんとの卒業である。
今日で終わりでなく3月末を以ってご卒業おめでとうということになった。
心臓手術後のリハビリ運動を始めた日は退院十日後の平成27年8月25日。
その日から始まったのであるが、当初は1カ月に一度の運動であった。
サイクルは私の決断で一週間ごとにしたのはカテーテル焼却処置をしてからのことだ。
2度目の退院後の復帰のリハビリはその年の12月24日に再開した7回目。
週間体制にしたのは翌年の平成28年2月23日の11回目からだ。
心臓ペースメーカーをしなくちゃならんような状態に陥った。
体内残留の薬のせいだといわれて焦った。
運動すればわが身の心臓も考えてくれるだろうと訓練機会を早めた。
その結果はすぐに現れなかったが、少しずつ、少しずつ。
一進一退の状況ではあったが、ほんとに少しずつ、である。
やがて安定的な状態になった。
起床時、安静時は40拍まで届かない低い心拍数であるが、リハビリ運動や自宅周辺を歩く状態であれば心拍数は60拍前後になる。
動いておればまったく問題はない。とはいえ一日中を動き回っているわけにはいかない。
ただ、状態は順調に推移し、心臓ポンプの動きは安定化したといえる。
そういう判断で卒通告された卒業である。
その通告に心はるんるん。
目の前が明るくなったように思えた。
ラスト、26分後の血圧は146-61。
脈拍は68-69拍で終えた。
リハビリ療法士のIさん同様に診察してくれたGリハビリ療法士も喜んでくれる。
入院したときの主治医だったK循環器医師も喜んでくれる。
当時の私の心臓をよく知る主治医である。
そのときの心臓は僧帽弁が壊れてぐちゃぐちゃ。
長期間に亘る治療を経て成形手術。
その後に発症したの心不全治療の経皮的カテーテル心筋焼灼(しょうしゃく)処置もご存じである。
感謝に絶えない医師、療法士のみなさん方にはたいへん世話になった。
今後の生活は歩行運動も欠かせず、そして民俗行事の取材も・・と云えばお世話になったこの場所、先生方も撮ってかまわないという。
嬉しいお言葉に最終日はカメラを持っていくことにした。
ただ、気になるのが毎日の状態を記録している健康手帳である。
もう、貰えないのですね、といえば、そんなことはない、いつでも受付に申し付けてくれたら無料配布するという。
リハビリ運動は卒業だが循環器内科診察は3カ月おき。
血管外科診察は半年に一度がある。
そのときにリハビリ室へ来てもらって顔出しして元気な姿を見せてくださいと云う。
これもまた嬉しいお言葉を背中にるんるん気分で外来棟を出た。
(H29. 3.14 SB932SH撮影)
毎日の訓練とすればまるまる2カ月間。
心臓が元通りの動きになるよう願って出かけた外来棟。
今回も受付を済ませてリハビリ室に行く。
この日も心電図機器を装着して運動に臨む。
そのときの心拍数は43-45拍。
準備体操前の状態では50-51拍になる。
自然と上昇する心拍数が嬉しい。
整備体操の次はスクワット運動。
心拍数は52-53拍。
運動方法によっては55-58拍にもなる。
この日も順調なスタートを切った。
自転車ペダル漕ぎの慣らし運転。
そのときの血圧は116-68。
脈拍は58-60拍。
この日もいつもと変わらぬ状況。踏み始めて1分後のワークは55。
心拍数は61-62拍。
回転しだしてから2分後の脈拍は58-60拍。
変化に乏しい上昇。
波に乗れないというか・・・。
6分後の血圧は137-65。脈拍は67-68拍。
11分後の血圧は149-63。心拍数は73-74拍。
16分後の血圧は140-60。脈拍は68-69拍。
21分後の血圧は162-62。脈拍は68-69拍。
変化のない状況が続く。
そんな状況が安定していると診断したリハビリ療法士のIさんが声をかけた。
先週に伝えたいつまで続くやら、に対する結果である。
その結果は嬉しいお言葉。
なんと、なんとの卒業である。
今日で終わりでなく3月末を以ってご卒業おめでとうということになった。
心臓手術後のリハビリ運動を始めた日は退院十日後の平成27年8月25日。
その日から始まったのであるが、当初は1カ月に一度の運動であった。
サイクルは私の決断で一週間ごとにしたのはカテーテル焼却処置をしてからのことだ。
2度目の退院後の復帰のリハビリはその年の12月24日に再開した7回目。
週間体制にしたのは翌年の平成28年2月23日の11回目からだ。
心臓ペースメーカーをしなくちゃならんような状態に陥った。
体内残留の薬のせいだといわれて焦った。
運動すればわが身の心臓も考えてくれるだろうと訓練機会を早めた。
その結果はすぐに現れなかったが、少しずつ、少しずつ。
一進一退の状況ではあったが、ほんとに少しずつ、である。
やがて安定的な状態になった。
起床時、安静時は40拍まで届かない低い心拍数であるが、リハビリ運動や自宅周辺を歩く状態であれば心拍数は60拍前後になる。
動いておればまったく問題はない。とはいえ一日中を動き回っているわけにはいかない。
ただ、状態は順調に推移し、心臓ポンプの動きは安定化したといえる。
そういう判断で卒通告された卒業である。
その通告に心はるんるん。
目の前が明るくなったように思えた。
ラスト、26分後の血圧は146-61。
脈拍は68-69拍で終えた。
リハビリ療法士のIさん同様に診察してくれたGリハビリ療法士も喜んでくれる。
入院したときの主治医だったK循環器医師も喜んでくれる。
当時の私の心臓をよく知る主治医である。
そのときの心臓は僧帽弁が壊れてぐちゃぐちゃ。
長期間に亘る治療を経て成形手術。
その後に発症したの心不全治療の経皮的カテーテル心筋焼灼(しょうしゃく)処置もご存じである。
感謝に絶えない医師、療法士のみなさん方にはたいへん世話になった。
今後の生活は歩行運動も欠かせず、そして民俗行事の取材も・・と云えばお世話になったこの場所、先生方も撮ってかまわないという。
嬉しいお言葉に最終日はカメラを持っていくことにした。
ただ、気になるのが毎日の状態を記録している健康手帳である。
もう、貰えないのですね、といえば、そんなことはない、いつでも受付に申し付けてくれたら無料配布するという。
リハビリ運動は卒業だが循環器内科診察は3カ月おき。
血管外科診察は半年に一度がある。
そのときにリハビリ室へ来てもらって顔出しして元気な姿を見せてくださいと云う。
これもまた嬉しいお言葉を背中にるんるん気分で外来棟を出た。
(H29. 3.14 SB932SH撮影)