撮った時間帯は午前9時過ぎ。
帯解経由に旧五ケ谷村に向かう旧道を行く。
奈良市の高樋町を抜けて興隆寺町、そして米谷町に向かう道すがらに撮っておいた興隆寺町八坂神社の境内である。
この日の午後は祈年祭神事を終えて食べる佐平御供を下げて食べるシロモチ喰いがある。
シロモチを焼いて食べる場は本社殿下の境内である。
火の気のない場は午後ともなれば焚き木を燃やす。
トンド場に設えている金棒は鉄網を乗せる台脚である。
枯れた杉の葉は火点けに用いる。
予め準備していたのであろう。
午後に取材した祈年祭のシロモチ喰いの際に話してくださった興隆寺町の年中行事である。
一つは3月の第一日曜日の午前中に行われる「シバシ」である。
二つ目は、その日の午後に行われる「賀祝(がしゅ)厄祝い」である。
三つ目は秋のマツリで、四つ目に小正月のトンド焼きがある。
今年は3月5日が「シバシ」の日であるが、昔は3月1日であった。
山行きにシバ(柴)を伐ってくる。
朝8時ころに出発。村の山林に入ってシバ刈り。
伐った材木は割り木にする。神社行事の直会の場のトンド火に使う割り木は焚き木にする。
一年に一度、纏めて割り木作りをする日が「シバシ」の日であるが、なぜに「シバシ」の名であるのか・・。
「シバシ」の日の午後に行われる「賀祝(がしゅ)厄祝い」とは、村の厄年の人、男女関係なく厄年の人を祝う(賀祝)村行事である。
かつてはこの行事も3月1日にしていたが、祈年祭と切り離す村行事に分けて3月第一日曜日に移して、祝いの場を公民館にしているという。
祝いのヨバレに振る舞いもある。
大鍋で炊きあげるおでん料理がある。
また、10月のマツリの日も振る舞い料理がある。
それは千本杵で搗いたモチにキナコ塗し。
醤油と味噌で包んだモチもある。
松茸飯も炊くし、豚汁も。
神事を終えてもまだある。
後宴のシシ肉焼きパーテイがあるから、また来てやのお誘いに喉の奥がごくんとなる。
小正月のトンド焼きは成人の日。
午前7時の火点けに書初めの習字焼きをして天に飛ばす天筆(てんぴつ)の習俗も。
トンドの火で焼く餅は三ツ割の竹に挿して焼いている、というから、是非とも機会を設けたいと思ったが、お腹はパンクしないだろうか、といらん心配をしてしまう。
(H29. 3. 1 SB932SH撮影)
帯解経由に旧五ケ谷村に向かう旧道を行く。
奈良市の高樋町を抜けて興隆寺町、そして米谷町に向かう道すがらに撮っておいた興隆寺町八坂神社の境内である。
この日の午後は祈年祭神事を終えて食べる佐平御供を下げて食べるシロモチ喰いがある。
シロモチを焼いて食べる場は本社殿下の境内である。
火の気のない場は午後ともなれば焚き木を燃やす。
トンド場に設えている金棒は鉄網を乗せる台脚である。
枯れた杉の葉は火点けに用いる。
予め準備していたのであろう。
午後に取材した祈年祭のシロモチ喰いの際に話してくださった興隆寺町の年中行事である。
一つは3月の第一日曜日の午前中に行われる「シバシ」である。
二つ目は、その日の午後に行われる「賀祝(がしゅ)厄祝い」である。
三つ目は秋のマツリで、四つ目に小正月のトンド焼きがある。
今年は3月5日が「シバシ」の日であるが、昔は3月1日であった。
山行きにシバ(柴)を伐ってくる。
朝8時ころに出発。村の山林に入ってシバ刈り。
伐った材木は割り木にする。神社行事の直会の場のトンド火に使う割り木は焚き木にする。
一年に一度、纏めて割り木作りをする日が「シバシ」の日であるが、なぜに「シバシ」の名であるのか・・。
「シバシ」の日の午後に行われる「賀祝(がしゅ)厄祝い」とは、村の厄年の人、男女関係なく厄年の人を祝う(賀祝)村行事である。
かつてはこの行事も3月1日にしていたが、祈年祭と切り離す村行事に分けて3月第一日曜日に移して、祝いの場を公民館にしているという。
祝いのヨバレに振る舞いもある。
大鍋で炊きあげるおでん料理がある。
また、10月のマツリの日も振る舞い料理がある。
それは千本杵で搗いたモチにキナコ塗し。
醤油と味噌で包んだモチもある。
松茸飯も炊くし、豚汁も。
神事を終えてもまだある。
後宴のシシ肉焼きパーテイがあるから、また来てやのお誘いに喉の奥がごくんとなる。
小正月のトンド焼きは成人の日。
午前7時の火点けに書初めの習字焼きをして天に飛ばす天筆(てんぴつ)の習俗も。
トンドの火で焼く餅は三ツ割の竹に挿して焼いている、というから、是非とも機会を設けたいと思ったが、お腹はパンクしないだろうか、といらん心配をしてしまう。
(H29. 3. 1 SB932SH撮影)