FB知人のMさんが贈ってくださった招待券がある。
招待された場所は大阪の南河内郡河南町。
従妹たちが住まいする大字加納すぐ近くの大字東山にある「大阪府立近つ飛鳥博物館」。
『古事記』では奈良・明日香を遠つ飛鳥と呼ぶに対して南河内郡/羽曳野は山を挟んだ西にある近つ飛鳥。
大阪府を中心とする古墳時代から飛鳥時代までの古墳関連遺跡に調査・研究成果をわかりやすく展示した施設である。
開館は平成6年3月。
前々からその存在は知っているものの訪れたことがない。
背中を押してくださったのは天王寺楽所(以和貴会)に所属し楽奏活動を続けるMさんである。
女史は今月6日に披露された「海神への供物Ⅰ~住吉大社と天王寺楽所」(会場大阪市北区中之島のフェスティバルホール)に出演された。
そのときに同封してくださった招待状は慈雲生誕300年記念に展示する「慈雲尊者と高貴寺」だった。
慈雲尊者はどこかで聞いたようなお名前。
何者であるのかはまったくの不知。
調べてみれば慈雲尊者が安永五年(1776)に入山、修行していた南河内郡・高貴寺。
大和郡山藩主である柳沢保光の支援を受けて高貴寺の堂舎を整備し、同寺を“正法律(真言宗の慈雲が唱えた真言律宗の正法律:しょうぼうりつ)”の本山と定めた。
その慈雲尊者が残したさまざまな尊者所縁の作品展。
宗教性と芸術性を兼ね備えた力強い書風の作品およそ50点を展示する。
カーナビゲーションにセットした博物館アドレス。
器械がガイドするままに大阪・太子町に着いてはみたものの、あんばいな案内。
丘の道、里の道にガイドする地を外してしまうこと度々。
着いた時間帯は午後1時25分。
やっと着いたという感じだった。
博物館付近は里山。
進入路がわからなくて、何台か進入していく車の後をついていったら駐車場だった。
そこから博物館に入る入口はどこにある。
目の前にある大きな建物が大阪府立近つ飛鳥博物館。
入口案内は小さくある。
この階段を登っていけとある。
一段、一段あがったらまた階段。
その向こうに広がりを見せる階段、階段。
階段の山の向こうに入口はあるのか。
足の弱い人はどうして入口まで行けようか。
勾配のある階段はリハビリ運動になると思って登ってきたが、ピラミッド構造のような、こんな建物は誰がいったい設計をしたんだ、と心の中で怒りがこみ上げる。
調べてみれば設計者は安藤忠雄さん。
ここにエスカレーターを併設する設計はしなかったんだ。
入口は頂上になかった。
あったのは1階に降りるエレベーターだけだ。
なんだって、と云いたくなる。
ともかく下って受付に差し出す招待券。
パンフレットに展示場撮影不可を記したペーパーも手渡される。
企画展会場の地階特別展示室のすべてが撮影不可。
常設展示場は一部が撮影不可。
可能であってもフラッシュ撮影は禁じられている。
ならば、撮影可で記憶に残しておきたいものを撮りながら拝観するが、博物館内をグーグルストリートビューで一部を見ることができる。
そんなことを知ったのは帰宅してからのことだが・・・。
撮影不可の「×」印のなかった人物立像がある。
男女一対がそれぞれの時代に応じた古代衣装に身を包んで迎えてくれる人形は見ていても飽きない。
時代は展示の流れから想定するに聖徳太子の時代。
仏教文化の開花時代、文字が発祥した時代、古墳終末期の時代になるのだろう。
一階から地下展示場を見下ろす。
仁徳天皇陵を縮尺150分の1に模した大きな古墳模型を中心に据えている地下展示場。
模型は墳墓を造る工程もわかるようにミニチュアで再現している。
その古墳の前に立つ馬がある。
ガラス越しに拝観する古墳時代の馬骨格埋葬杭は発掘土坑からそのまま切取って保存処理をした大阪・四条畷市蔀屋(しとみや)北遺跡。
日本列島に馬の飼育とか当時の風習がわかる貴重な事例は本物である。
埋葬されたなかに副葬品は数多くある。
度肝を抜かれたのは沢山の農工具に鉄器。
鉄器は鉄鏃、鉄槍、鉄剣、鉄刀である。
ビジュアル的に興味をもったのは50本を一束に纏めた鉄鏃。
埋葬時を復元した形であるが、横積みに並べた状態に驚く。
929点におよぶ大量出土品は藤井寺市のアリ山古墳から出土した。
これそのものが発掘されたわけではなく、レプリカである。
次のガラスケース展示も農具。
現在とほとんど変わらぬ姿で出土する。
これらは農耕民俗の範疇。
とても興味があるものの、本日の拝観は短時間にしたいからざっと・・・。
これは頭の体操のパズルの駒。
4枚の玄武、青龍、白虎に朱雀の四神と12枚の十二支でパズルを構成する。
新羅の武将墓の石像を模した子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥は十二支。
ハズル始めに朱雀を外して一旦はばらばらにして適当に配置する。
これを一枚、一枚正しい位置に移動して最後に朱雀を嵌めて完成する。
このようなパズルは館内各所に置いてあるから、頭の勉強だけで数時間もかかってしまう。
最後に拝観したのはとてつもなく巨大な修羅である。
藤井寺市の三ツ塚古墳より出土した大修羅てこ棒は国の重要文化財に指定されている。
昭和53年の発掘調査で出土した大修羅は14年もの歳月をかけて保存処理をした。
格別大きい修羅は一度でも見ていただきたい貴重な古来の道具。
材は樫の木。
重さは3.2tで全長が8.8mにもおよぶ巨大樫の木作りの修羅は二股。
展示はガラス張り内。
そこには複製品の木製修羅底面もある。
上手いこと配置して展示した複製品であるが、本物そっくりさん。
企画展示場正面に置いてあったのは同じ三ツ塚古墳より出土した複製品の木製小修羅。
これだけでも大きいのである。
事情で、ものの30分しか滞在できなかった近つ飛鳥博物館。
短時間の拝観となった展示物は来て、見て、よかった。
ところで、近つ飛鳥博物館の周りはたくさんの梅、桜が植わっている「近つ飛鳥風土記の丘」がある。
館の駐車場もそうだが、反対側に梅林がある。
満開近しの梅林に佇んでいたいが、おちつく間もなく奈良大和に戻る。
尤も“遠つ飛鳥“になる明日香村ではなく、大和郡山である。
大和郡山は城下町。
お城がある地域にも梅林はあるが、比じゃないくらい。
見るなら「近つ飛鳥風土記の丘」がよろしいおます。
梅花が消えるころには桜が咲きだす。
今年の開花予報では、畿内で3月末のころ。
城下町の大和郡山は「お城まつり」に大勢の花見客が来られる。
ここ「近つ飛鳥風土記の丘」も桜見の丘。
段丘に満ちた・・といいたいが、館からはずっと登坂になる花見散策道は300mにもおよぶようだ。
また、今年の3月末日と翌日の4月1日は土曜、日曜。
「近つ飛鳥博物館」は毎年恒例の「さくらまつり」を開催される。
期間中は入館料が無料になるので、是非おこしやす。
(H30. 3.15 SB932SH撮影)
招待された場所は大阪の南河内郡河南町。
従妹たちが住まいする大字加納すぐ近くの大字東山にある「大阪府立近つ飛鳥博物館」。
『古事記』では奈良・明日香を遠つ飛鳥と呼ぶに対して南河内郡/羽曳野は山を挟んだ西にある近つ飛鳥。
大阪府を中心とする古墳時代から飛鳥時代までの古墳関連遺跡に調査・研究成果をわかりやすく展示した施設である。
開館は平成6年3月。
前々からその存在は知っているものの訪れたことがない。
背中を押してくださったのは天王寺楽所(以和貴会)に所属し楽奏活動を続けるMさんである。
女史は今月6日に披露された「海神への供物Ⅰ~住吉大社と天王寺楽所」(会場大阪市北区中之島のフェスティバルホール)に出演された。
そのときに同封してくださった招待状は慈雲生誕300年記念に展示する「慈雲尊者と高貴寺」だった。
慈雲尊者はどこかで聞いたようなお名前。
何者であるのかはまったくの不知。
調べてみれば慈雲尊者が安永五年(1776)に入山、修行していた南河内郡・高貴寺。
大和郡山藩主である柳沢保光の支援を受けて高貴寺の堂舎を整備し、同寺を“正法律(真言宗の慈雲が唱えた真言律宗の正法律:しょうぼうりつ)”の本山と定めた。
その慈雲尊者が残したさまざまな尊者所縁の作品展。
宗教性と芸術性を兼ね備えた力強い書風の作品およそ50点を展示する。
カーナビゲーションにセットした博物館アドレス。
器械がガイドするままに大阪・太子町に着いてはみたものの、あんばいな案内。
丘の道、里の道にガイドする地を外してしまうこと度々。
着いた時間帯は午後1時25分。
やっと着いたという感じだった。
博物館付近は里山。
進入路がわからなくて、何台か進入していく車の後をついていったら駐車場だった。
そこから博物館に入る入口はどこにある。
目の前にある大きな建物が大阪府立近つ飛鳥博物館。
入口案内は小さくある。
この階段を登っていけとある。
一段、一段あがったらまた階段。
その向こうに広がりを見せる階段、階段。
階段の山の向こうに入口はあるのか。
足の弱い人はどうして入口まで行けようか。
勾配のある階段はリハビリ運動になると思って登ってきたが、ピラミッド構造のような、こんな建物は誰がいったい設計をしたんだ、と心の中で怒りがこみ上げる。
調べてみれば設計者は安藤忠雄さん。
ここにエスカレーターを併設する設計はしなかったんだ。
入口は頂上になかった。
あったのは1階に降りるエレベーターだけだ。
なんだって、と云いたくなる。
ともかく下って受付に差し出す招待券。
パンフレットに展示場撮影不可を記したペーパーも手渡される。
企画展会場の地階特別展示室のすべてが撮影不可。
常設展示場は一部が撮影不可。
可能であってもフラッシュ撮影は禁じられている。
ならば、撮影可で記憶に残しておきたいものを撮りながら拝観するが、博物館内をグーグルストリートビューで一部を見ることができる。
そんなことを知ったのは帰宅してからのことだが・・・。
撮影不可の「×」印のなかった人物立像がある。
男女一対がそれぞれの時代に応じた古代衣装に身を包んで迎えてくれる人形は見ていても飽きない。
時代は展示の流れから想定するに聖徳太子の時代。
仏教文化の開花時代、文字が発祥した時代、古墳終末期の時代になるのだろう。
一階から地下展示場を見下ろす。
仁徳天皇陵を縮尺150分の1に模した大きな古墳模型を中心に据えている地下展示場。
模型は墳墓を造る工程もわかるようにミニチュアで再現している。
その古墳の前に立つ馬がある。
ガラス越しに拝観する古墳時代の馬骨格埋葬杭は発掘土坑からそのまま切取って保存処理をした大阪・四条畷市蔀屋(しとみや)北遺跡。
日本列島に馬の飼育とか当時の風習がわかる貴重な事例は本物である。
埋葬されたなかに副葬品は数多くある。
度肝を抜かれたのは沢山の農工具に鉄器。
鉄器は鉄鏃、鉄槍、鉄剣、鉄刀である。
ビジュアル的に興味をもったのは50本を一束に纏めた鉄鏃。
埋葬時を復元した形であるが、横積みに並べた状態に驚く。
929点におよぶ大量出土品は藤井寺市のアリ山古墳から出土した。
これそのものが発掘されたわけではなく、レプリカである。
次のガラスケース展示も農具。
現在とほとんど変わらぬ姿で出土する。
これらは農耕民俗の範疇。
とても興味があるものの、本日の拝観は短時間にしたいからざっと・・・。
これは頭の体操のパズルの駒。
4枚の玄武、青龍、白虎に朱雀の四神と12枚の十二支でパズルを構成する。
新羅の武将墓の石像を模した子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥は十二支。
ハズル始めに朱雀を外して一旦はばらばらにして適当に配置する。
これを一枚、一枚正しい位置に移動して最後に朱雀を嵌めて完成する。
このようなパズルは館内各所に置いてあるから、頭の勉強だけで数時間もかかってしまう。
最後に拝観したのはとてつもなく巨大な修羅である。
藤井寺市の三ツ塚古墳より出土した大修羅てこ棒は国の重要文化財に指定されている。
昭和53年の発掘調査で出土した大修羅は14年もの歳月をかけて保存処理をした。
格別大きい修羅は一度でも見ていただきたい貴重な古来の道具。
材は樫の木。
重さは3.2tで全長が8.8mにもおよぶ巨大樫の木作りの修羅は二股。
展示はガラス張り内。
そこには複製品の木製修羅底面もある。
上手いこと配置して展示した複製品であるが、本物そっくりさん。
企画展示場正面に置いてあったのは同じ三ツ塚古墳より出土した複製品の木製小修羅。
これだけでも大きいのである。
事情で、ものの30分しか滞在できなかった近つ飛鳥博物館。
短時間の拝観となった展示物は来て、見て、よかった。
ところで、近つ飛鳥博物館の周りはたくさんの梅、桜が植わっている「近つ飛鳥風土記の丘」がある。
館の駐車場もそうだが、反対側に梅林がある。
満開近しの梅林に佇んでいたいが、おちつく間もなく奈良大和に戻る。
尤も“遠つ飛鳥“になる明日香村ではなく、大和郡山である。
大和郡山は城下町。
お城がある地域にも梅林はあるが、比じゃないくらい。
見るなら「近つ飛鳥風土記の丘」がよろしいおます。
梅花が消えるころには桜が咲きだす。
今年の開花予報では、畿内で3月末のころ。
城下町の大和郡山は「お城まつり」に大勢の花見客が来られる。
ここ「近つ飛鳥風土記の丘」も桜見の丘。
段丘に満ちた・・といいたいが、館からはずっと登坂になる花見散策道は300mにもおよぶようだ。
また、今年の3月末日と翌日の4月1日は土曜、日曜。
「近つ飛鳥博物館」は毎年恒例の「さくらまつり」を開催される。
期間中は入館料が無料になるので、是非おこしやす。
(H30. 3.15 SB932SH撮影)