イロゴハンの炊きあげまでは少し時間がかかる。
一旦はお家に戻って用事を済ませたいという渋久垣内のOさん。
寒供養の御供つくりの際に話して下さったお家の小正月民俗である。
「今朝、カヤ箸で小豆粥食べていた」という小正月の習俗に飛びついた。
今朝、早くに訪れた奈良県天理市豊井町である。
毎年、小正月の朝は、小豆粥を食べた箸代わりのカヤススキを苗代に立てる。
その景観を見た、この日に教えてくださるO家のあり方は、「穂のある自生のカヤを採ってきて、家で炊いた小豆粥を食べる箸の代わりにカヤを・・・。一口食べて、残りすべてはお家にある箸で食べました」という。
おまけに「食べたカヤは捨てるんやけど、余り物のカヤは残してある・・」と、云われたので、思わず自宅訪問をお願いした。
承諾してくださったOさん。
自宅まで歩いて戻るには距離があるから時間もかかる。
送迎してくれはったら助かるし・・・と、逆にお礼の言葉をいただいた。
着いたお家の玄関土間。
昔ながらの風情を残す土間から入らせてもらって拝見する屋内。
な、なんと、おくど(※竈)さんがある。
元大庄屋の家だけに立派なおくどさんである。
両親、旦那さんも死別されたOさんは、私より2歳上のおねえさん。
「小正月の日は小豆粥を食べて、神さんは天に帰ってもらうねん」と、話していた。
天理市豊井町の田主がしている朝に小豆粥を食べるカヤ箸作法も、小寒の山行き御供も、翌年の取材をお願いしたわけである。
こういうことは大字田山や高尾でもしている人がいるらしく・・。
元大庄屋家の民俗はもう一つある。
おくどさんの上に祀っている戎さんである。
この年も参っていたという戎さんは、1月5日に行われる奈良市南市の初戎である。
南市に鎮座する春日大社の摂社になる恵比寿神社で授かった戎さんの福笹に吊るした大きな千両に千両俵。
商売をしていたわけではないが、なぜか恵比寿神社に参って千両俵を買ってくるのがO家の決まりだ、という。
その戎さんを祭っている神棚の端にぶら下げていたものにも目が行く。
カラカラに干乾びた大根は、自家栽培で育てた初成りの大根。
一般的な大根でなく、形が二股の大根である。
二股大根は、女体なので戎さんが歓んでくれるからそうしている、という。
後年であるが、平成31年3月31日に帝塚山大学出版会から発刊された『奈良の山里の生活図誌』。
極めて珍しい民俗行事を収録している。
天理市福住に住んでおられた故永井清繁さんが画いた絵に解説をつけた画帳である。
キャプションに「十二月二十三日 百姓の仕事おさめ 恵比寿さまと大黒さまに鯛一対と二股大根を供える」とある。
その日の行事名は、家の「亥の子」とある。
亥の子は括弧書きに「えびすさん」とある。
絵は、キャプションに書いてある通りの姿である。
この件で思い出す行事は2件。
一つは平成25年12月23日に取材した奈良県田原本町の蔵堂。
村屋坐弥冨都比売神社末社になる恵比須社行事の三夜待ちである。
ブログ記事にも書いているが、お供えは二股大根ではなかったが、本質は昭和59年に発刊された『田原町本町の年中行事』にある大字八田に田原本の町場のあり方。
いずれも12月23日の行事に二股大根を吊るしていた、ということだが、岩手県・種市町横手/九戸村伊保内戸田/二戸市下斗米など(※聞き書き岩手の年中行事)に山形県・庄内、宮城県も大黒さんに供えた記事がある。
どのような地域も12月9日に行ってきた行事。
東北地方では12月9日を「妻迎え」とか「嫁取り」、「お方迎え」などと呼び大黒さまが嫁を迎える日としてきたそうだ。
藁で編んだ皿に小豆飯を盛って二股大根を供える。
宮城県は、「大黒さんのかかさん」、新潟県北蒲原郡は「嫁大根」などと呼び、嫁大根を供えるときに、「嫁々」「嫁やい嫁やい」と唱えるのも興味深い。
行事の日は異なるが、戎さん、大黒(大国)さんは豊穣を象徴する。
(H30. 1.15 EOS40D撮影)
一旦はお家に戻って用事を済ませたいという渋久垣内のOさん。
寒供養の御供つくりの際に話して下さったお家の小正月民俗である。
「今朝、カヤ箸で小豆粥食べていた」という小正月の習俗に飛びついた。
今朝、早くに訪れた奈良県天理市豊井町である。
毎年、小正月の朝は、小豆粥を食べた箸代わりのカヤススキを苗代に立てる。
その景観を見た、この日に教えてくださるO家のあり方は、「穂のある自生のカヤを採ってきて、家で炊いた小豆粥を食べる箸の代わりにカヤを・・・。一口食べて、残りすべてはお家にある箸で食べました」という。
おまけに「食べたカヤは捨てるんやけど、余り物のカヤは残してある・・」と、云われたので、思わず自宅訪問をお願いした。
承諾してくださったOさん。
自宅まで歩いて戻るには距離があるから時間もかかる。
送迎してくれはったら助かるし・・・と、逆にお礼の言葉をいただいた。
着いたお家の玄関土間。
昔ながらの風情を残す土間から入らせてもらって拝見する屋内。
な、なんと、おくど(※竈)さんがある。
元大庄屋の家だけに立派なおくどさんである。
両親、旦那さんも死別されたOさんは、私より2歳上のおねえさん。
「小正月の日は小豆粥を食べて、神さんは天に帰ってもらうねん」と、話していた。
天理市豊井町の田主がしている朝に小豆粥を食べるカヤ箸作法も、小寒の山行き御供も、翌年の取材をお願いしたわけである。
こういうことは大字田山や高尾でもしている人がいるらしく・・。
元大庄屋家の民俗はもう一つある。
おくどさんの上に祀っている戎さんである。
この年も参っていたという戎さんは、1月5日に行われる奈良市南市の初戎である。
南市に鎮座する春日大社の摂社になる恵比寿神社で授かった戎さんの福笹に吊るした大きな千両に千両俵。
商売をしていたわけではないが、なぜか恵比寿神社に参って千両俵を買ってくるのがO家の決まりだ、という。
その戎さんを祭っている神棚の端にぶら下げていたものにも目が行く。
カラカラに干乾びた大根は、自家栽培で育てた初成りの大根。
一般的な大根でなく、形が二股の大根である。
二股大根は、女体なので戎さんが歓んでくれるからそうしている、という。
後年であるが、平成31年3月31日に帝塚山大学出版会から発刊された『奈良の山里の生活図誌』。
極めて珍しい民俗行事を収録している。
天理市福住に住んでおられた故永井清繁さんが画いた絵に解説をつけた画帳である。
キャプションに「十二月二十三日 百姓の仕事おさめ 恵比寿さまと大黒さまに鯛一対と二股大根を供える」とある。
その日の行事名は、家の「亥の子」とある。
亥の子は括弧書きに「えびすさん」とある。
絵は、キャプションに書いてある通りの姿である。
この件で思い出す行事は2件。
一つは平成25年12月23日に取材した奈良県田原本町の蔵堂。
村屋坐弥冨都比売神社末社になる恵比須社行事の三夜待ちである。
ブログ記事にも書いているが、お供えは二股大根ではなかったが、本質は昭和59年に発刊された『田原町本町の年中行事』にある大字八田に田原本の町場のあり方。
いずれも12月23日の行事に二股大根を吊るしていた、ということだが、岩手県・種市町横手/九戸村伊保内戸田/二戸市下斗米など(※聞き書き岩手の年中行事)に山形県・庄内、宮城県も大黒さんに供えた記事がある。
どのような地域も12月9日に行ってきた行事。
東北地方では12月9日を「妻迎え」とか「嫁取り」、「お方迎え」などと呼び大黒さまが嫁を迎える日としてきたそうだ。
藁で編んだ皿に小豆飯を盛って二股大根を供える。
宮城県は、「大黒さんのかかさん」、新潟県北蒲原郡は「嫁大根」などと呼び、嫁大根を供えるときに、「嫁々」「嫁やい嫁やい」と唱えるのも興味深い。
行事の日は異なるが、戎さん、大黒(大国)さんは豊穣を象徴する。
(H30. 1.15 EOS40D撮影)