昨年の8月だった。
それはまだ第一関門。
痛い、痛いの連呼に歩けなくなったおふくろ。
原因は圧骨折であるが、入院、通所リハビリ介護を経て大阪・住之江に戻ったのはつい先月。
帰還日は2月26日だった。
その後も面談の状態観察にケアマネジャーや通所サービス施設にヘルパーさんとの打合せに契約も。
もう一つは自宅の改修工事。
自宅と云っても市営住宅。
改修工事をするには管理事務所の申請があり、それが受理されて、なおかつ市にお伺い。
まだまだある手続きであるが、あらかた9割は落ち着いたように思える。
現在は通所サービス施設に出かけるのは週2回。
水曜日と土曜日。
リハビリ療法士さんにしてもらう作業療法がとても気持ちいいという。
もう一つは自宅に来てもらうヘルパー支援。
火曜日は買い物で金曜日が清掃にやってくるヘルパーさんだ。
第一次の骨折から早や6カ月。
それまではおふくろ本人の自由さ。
バスに乗って地下鉄に乗って大阪・難波や梅田に出かけていた。
今はそうすることは不可能な身になった。
住居は4階にある。
通所サービス施設に行くには上り下りがある。
一歩、一歩、階段を踏みしめるように安全な姿勢を保って上り下り。
階段には手すりがあるからそれも掴んで身体を支える。
もちろん杖もついているが、安全なのは手すりである。
自宅の改修工事も手すりの仕掛けをした。
遠出どころか最寄りの郵便局にさえ行けなくなった。
なんせ買物はヘルパー頼り。
お医者さんはもっと遠いから私の出番。
ヘルパーは長距離でなくても中距離、近距離でも支えられない。
危険なことは避ける。
月に一度の医者通いなら私が運転する車で送り迎えする。
そのようなことがあった半年間。
もうどこへも一人では行けなくなった。
今年の桜は一斉に咲き出した。
3月3周目まではまだ寒かったが、一挙という感じで温かくなった。
ぷっくら膨らんでいた花芽がぶあぁという感じで、あちらこちらで咲き出した。
そこでかーさんが提案した。
近場であるが、おふくろを連れて桜の花見。
住まいするところからはより近い処はどこにある。
探し当てたのは護国神社である。
桜の樹がどれほどあるのかわからないが、隣接地に住之江公園がある。
奈良から住之江まで車を走らせる長居公園通り。
ここは大勢の人たちがやってくる。
今、桜の花は真っ盛り。
ここで良いんじゃないの、と思ってはみるが、住居からは遠い。
しかも駐車場から歩くのも距離がある。
その点、護国神社は駐車場が近い。
ずいぶん前のことだが、同神社で挙式をあげたのは弟の三男だった。
それから何年か経ったころ。
息子たちがまだ幼かったころに泊まったおふくろが住まいする部屋。
正月はお決まりの泊まりだった。
よくまぁ狭い部屋に並んで寝たことを覚えている。
正月二日目の初詣は近くの護国神社にした記憶もある懐かしい地。
今でもかわってないだろう、と思って出かけたが、駐車場へ行く道は反対側。
ぐるり回りこまなければ、そこへは行けない。
北へ、北へと進めざるを得ない道路事情。
信号待ちしている右手に川堤がある。
その堤に桜の木が植わっている。
というよりも桜の花盛りが見えたのだ。
行先はここだ。
急展開する花見の場近くに駐車場もあった。
その駐車場はコンビニエンスストアのローソン。
後でわかったが、そのローソンは西加賀屋店。
駐車場の利用料金は30分で100円。
入庫から20分間が無料なのはローソン利用者の利便性を考えたうえでのことだと思う。
この駐車場は2時間停めても400円。
とても安い。
最大利用時間でも700円。
そこまでの時間を花見に費やさないだろう。
しかもここの駐車場は指定番号が1番から6番までは最大料金がなし。
えーとこだが、空いている番号は8番だった。
車から下りるおふくろの足元を支えるのは次男が作ってくれた花かごボックス。
木製品は学校時代に学習した産物。
本来ならそれがお役目の花かごボックスであるが、ひっくり返せば車から乗り降りする台になる。
高さが丁度良い台はおふくろが利用するありがたい道具に変身した。
そろりと下りて歩き出すおふくろは杖をつく。
一人で歩けるが、万が一を考えて腕組み支え。
援助はもしやのつまずきにとっさに対応したいと思って、これからもずっとそうしていくだろう。
さっき通って来た橋がある。
橋の名は「すみのえおおはし」。
充てる漢字は住之江大橋。
大橋というだけにすごい橋と思ってしまうが、それほどでもない。
大阪・住之江から堺市鉄砲町。
旧国道26線を南北に架かる橋がある。
大和川である。
その橋の名は「大和川大橋」。
川幅は300mにもなる。
一方、住之江大橋が架かる川幅は60m程度。
“大橋”の名がつく基準は何mになるのだろうか。
それはともかく橋を渡らずに東へ通り抜ける堤防道がある。
川は住吉大社・住吉公園付近から平林・南港を経て大阪湾に流れる住吉川だ。
上流は十三間掘川に細江川になるそうだ。
川の名前は実に懐かしい。
川堤は1kmもある散歩道。
単車、車は進入禁止だが自転車は可能なようで、近くに住んでいると思われる住民らが自由に走っている。
川堤の散歩道は対岸にもある。
綺麗に整備されている道に、なんと見事な桜の花が咲いていた。
新なにわ筋を走っていたときに、それが目について停車したのだった。
入口に迎えてくれた花は桜色ではなく黄色だった。
品種はわからないが、なんとなくカタバミのような気がするのだが、やや大きいからオオキバナカタバミ。
名前そのものやんか、といいたい。
住吉川堤道にはところどころにベンチシートがある。
歩きに疲れたときに一息つける設備が嬉しい。
一段と高い場に座ってお弁当を広げようとしていたお友達連れがいる。
ペダルを漕いできた男性も段丘にあがって広げた。
またまた、一人の男性がやってきた。
日傘をさして歩く婦人も穏やかな気持ちになっているだろう。
大阪市内に桜が植わっているのは大きな公園しかないと思っていた。
奈良県内なら小さな公園どころか農村風景にマッチした川堤の桜並木がとても多い。
風景そのものに落ち着く場に桜が咲く。
堰堤は整備されたコンクリート造りもあるが、土手そのものも多い。
そんなところは土手に映える草花にも癒される。
あー、奈良の癒される風景を見せてあげたかった。
そう思ってやってきた大阪・住之江にもえーとこあるやん、と見直した。
段丘に登るには石製の階段を登るしかない。
前述したように、おふくろが住まいする部屋は4階にある。
上り下りは介助人いなくても一人でできるが、設備している手すりに助けられている。
ところがここは手すりがない。
杖で支えながら一歩、一歩登っていった。
登れば平たんなので難なく歩ける。
ただ、ときおり桜樹だと思える木の根っこが突出しているところもある。
足を引っかけないように、注意して歩く。
横についたかーさんが手を添えて支えて歩く。
上を見上げれば、今にも降ってきそうなほぼ満開の桜樹もある。
その下は真っ白い花に囲まれる柴垣がある。
今も見ごろのユキヤナギだ。
狭い通路のようなユキヤナギの柴垣もいいね!である。
根っこに注意をはらって歩いていたら、気がついた落とし物。
花軸がついたまま、しかも花びらもそのまま地面に落下していた桜の花は野鳥が行為する花散らしである。
地面に落下していた桜のすべてが同じ状態であった。
踏まれて間もないものもあるが、多くはついさっきに落ちてきたような形である。
道行く人は関心を寄せない野鳥の花散らし。
見上げても野鳥はいない。
時間が経っているから、野鳥の種類は不明だ。
私がこれまで見た体験からほとんどがニュウナイスズメだと認識している。
昨年、シジュウカラが落としていたのを目撃している。
花散らしは、その落ちた花びらを見て「ラッパ落し」の表現もある。
野鳥は何をしているのか。
その秘密は花の蜜である。
甘い蜜の汁を吸う野鳥は、軸を嘴で摘まんで、上手いことひっくり返して軸にある蜜を吸う。
その行為を済ませば無用の花。
落下傘パラシュートの形になってひらひらと地面に落ちる。
花びらだけである場合は、散り始め。
このように丸々落ちていくのは野鳥の仕業である。
ニュウナイスズメは見られなかったが、あちらこちら雀軍団が飛び回っている。
ハトに餌を与えている人がいる。
食べ残したパンの屑のようなものに見える。
ハトはいっぱい群がってエサのパンを食べていた。
そこに混ざった雀もご相伴に与る。
長閑な昼の時間は、自然も織りなすさまざまな情景を映し出してくれる。
ところでラッパ落しは風に吹かれてひらひらと飛んでいくわけではない。
桜樹の下にしかない。
そこは地面、或いはコンクリート道。
すべても桜樹を拝見したので正確さはないが、この付近、数百mの距離の範囲内すべてにおいてラッパ落しが見られた。
それほど野鳥が多いということであろうか。
この場に見られた野鳥は鳩や雀以外に中型のヒヨドリもいたし、シジュウカラも。
ただ対岸から聞こえてきたのでラッパ落しの主ではないようだ。
それはともかく綺麗な姿の野鳥が飛び交っていた。
それは文様でわかったジョウビタキの♂。
愛らしい顔がわかるくらいまで近づいてくれたのが嬉しい。
姿は撮れそうにもないガラケー携帯。
仕方がないといえば、アレだがコンクリートで造った散歩道を撮っていた。
桜の散歩道はとても雰囲気が良い。
都会でもない市街地。
かつてはすぐ傍を市営のチンチン電車が走っていた新なにわ筋は通称であって本来は府道29号線。
チンチン電車は大阪市の芦原橋駅から大和川を越えた南部の堺市・大浜駅から終点の出島駅(軌道構想は浜寺までだった)までを結ぶ路線。
南北を往来する大阪市電阪堺線は小学生、中学生時代に乗ったことがある。
南加賀屋駅から乗って北へ。
次の駅は住之江公園駅前駅、住吉川駅、そして北加賀屋駅だった。
堺市・三宝町に三宝車庫があったことから三宝線の名で呼んでいた。
昭和43年の9月30日をもって旅客営業を終えた。
その後に敷設された代替線が大阪市営地下鉄の四ツ橋線。
住之江公園駅から北の西梅田駅を結ぶ。
全線開通し、運転開業したのは昭和47年11月。
4年間の空白時代があった。
思い出に老けることなく昼飯どきを迎えた。
手造りの弁当は久方ぶり。
接骨鍼灸院の送迎ドライバーを勤めていたときは昼間に食べる弁当を作ってもらって食べていた。
それ以来だから4年ぶり。
昨日にもらったばかりの新鮮筍に豆を添えて煮込んだ筍煮もあれば、玉子焼きにしぐれ煮の焼肉、鶏の唐揚げ。
キュウリを詰めたチクワにプチトマトをあしらったレタスサラダ。
おにぎりは筍飯にノリの佃煮、ヒジキに辛子明太子を混ぜたふりかけ。
三種のおにぎりは3人前。
朝早くに起きて作ったと伝えたおふくろはとても喜んでくれて食べてくれる。
快晴ではないし、真っ青でもない晴れの日。
PM2.5なのか、黄砂模様なのかわからないが、すっきりとしない晴れの日であるが、こころはうきうき晴れ晴れ。
我が家に生える南天の葉を添えた手造り弁当を美味しくいただく。
どれこれも満足するのだが、唯一、これだけはと思ったのが、ガラスの瓶詰めドレッシング・・ではなく、マヨネーズだった。
これってどないやって出すねん。
箸を突っ込んでも箸の周りにくっつく極少の量。
振ったら出ると云われて振ったらまともに出ない。
振る度にあっちへぴょい。
こっちへぴょい。
弁当を包んでいた敷物にぺちゃ。
ぺちゃ。
これは、あかんな。
おふくろとかーさんは食後もこの場で話し込む。
さまざまな話しをしているようだが、トイレにいきたくなる。
川堤の散歩道にベンチシートはあっても公衆トイレはない。
仕方がないといえば申しわけないが、駐車した所のコンビニエンスストア・ローソンに感謝しようと思って歩く。
用を足して戻ってきた桜並木の散歩道。
愉しむ人たちはさらに増えて9組、10組に膨れ上がっていた。
どこも買ってきたパック詰め弁当を食べている。
お酒を飲んでいるグループは一つもなかったことも書いておく。
(H30. 3.27 SB932SH撮影)
それはまだ第一関門。
痛い、痛いの連呼に歩けなくなったおふくろ。
原因は圧骨折であるが、入院、通所リハビリ介護を経て大阪・住之江に戻ったのはつい先月。
帰還日は2月26日だった。
その後も面談の状態観察にケアマネジャーや通所サービス施設にヘルパーさんとの打合せに契約も。
もう一つは自宅の改修工事。
自宅と云っても市営住宅。
改修工事をするには管理事務所の申請があり、それが受理されて、なおかつ市にお伺い。
まだまだある手続きであるが、あらかた9割は落ち着いたように思える。
現在は通所サービス施設に出かけるのは週2回。
水曜日と土曜日。
リハビリ療法士さんにしてもらう作業療法がとても気持ちいいという。
もう一つは自宅に来てもらうヘルパー支援。
火曜日は買い物で金曜日が清掃にやってくるヘルパーさんだ。
第一次の骨折から早や6カ月。
それまではおふくろ本人の自由さ。
バスに乗って地下鉄に乗って大阪・難波や梅田に出かけていた。
今はそうすることは不可能な身になった。
住居は4階にある。
通所サービス施設に行くには上り下りがある。
一歩、一歩、階段を踏みしめるように安全な姿勢を保って上り下り。
階段には手すりがあるからそれも掴んで身体を支える。
もちろん杖もついているが、安全なのは手すりである。
自宅の改修工事も手すりの仕掛けをした。
遠出どころか最寄りの郵便局にさえ行けなくなった。
なんせ買物はヘルパー頼り。
お医者さんはもっと遠いから私の出番。
ヘルパーは長距離でなくても中距離、近距離でも支えられない。
危険なことは避ける。
月に一度の医者通いなら私が運転する車で送り迎えする。
そのようなことがあった半年間。
もうどこへも一人では行けなくなった。
今年の桜は一斉に咲き出した。
3月3周目まではまだ寒かったが、一挙という感じで温かくなった。
ぷっくら膨らんでいた花芽がぶあぁという感じで、あちらこちらで咲き出した。
そこでかーさんが提案した。
近場であるが、おふくろを連れて桜の花見。
住まいするところからはより近い処はどこにある。
探し当てたのは護国神社である。
桜の樹がどれほどあるのかわからないが、隣接地に住之江公園がある。
奈良から住之江まで車を走らせる長居公園通り。
ここは大勢の人たちがやってくる。
今、桜の花は真っ盛り。
ここで良いんじゃないの、と思ってはみるが、住居からは遠い。
しかも駐車場から歩くのも距離がある。
その点、護国神社は駐車場が近い。
ずいぶん前のことだが、同神社で挙式をあげたのは弟の三男だった。
それから何年か経ったころ。
息子たちがまだ幼かったころに泊まったおふくろが住まいする部屋。
正月はお決まりの泊まりだった。
よくまぁ狭い部屋に並んで寝たことを覚えている。
正月二日目の初詣は近くの護国神社にした記憶もある懐かしい地。
今でもかわってないだろう、と思って出かけたが、駐車場へ行く道は反対側。
ぐるり回りこまなければ、そこへは行けない。
北へ、北へと進めざるを得ない道路事情。
信号待ちしている右手に川堤がある。
その堤に桜の木が植わっている。
というよりも桜の花盛りが見えたのだ。
行先はここだ。
急展開する花見の場近くに駐車場もあった。
その駐車場はコンビニエンスストアのローソン。
後でわかったが、そのローソンは西加賀屋店。
駐車場の利用料金は30分で100円。
入庫から20分間が無料なのはローソン利用者の利便性を考えたうえでのことだと思う。
この駐車場は2時間停めても400円。
とても安い。
最大利用時間でも700円。
そこまでの時間を花見に費やさないだろう。
しかもここの駐車場は指定番号が1番から6番までは最大料金がなし。
えーとこだが、空いている番号は8番だった。
車から下りるおふくろの足元を支えるのは次男が作ってくれた花かごボックス。
木製品は学校時代に学習した産物。
本来ならそれがお役目の花かごボックスであるが、ひっくり返せば車から乗り降りする台になる。
高さが丁度良い台はおふくろが利用するありがたい道具に変身した。
そろりと下りて歩き出すおふくろは杖をつく。
一人で歩けるが、万が一を考えて腕組み支え。
援助はもしやのつまずきにとっさに対応したいと思って、これからもずっとそうしていくだろう。
さっき通って来た橋がある。
橋の名は「すみのえおおはし」。
充てる漢字は住之江大橋。
大橋というだけにすごい橋と思ってしまうが、それほどでもない。
大阪・住之江から堺市鉄砲町。
旧国道26線を南北に架かる橋がある。
大和川である。
その橋の名は「大和川大橋」。
川幅は300mにもなる。
一方、住之江大橋が架かる川幅は60m程度。
“大橋”の名がつく基準は何mになるのだろうか。
それはともかく橋を渡らずに東へ通り抜ける堤防道がある。
川は住吉大社・住吉公園付近から平林・南港を経て大阪湾に流れる住吉川だ。
上流は十三間掘川に細江川になるそうだ。
川の名前は実に懐かしい。
川堤は1kmもある散歩道。
単車、車は進入禁止だが自転車は可能なようで、近くに住んでいると思われる住民らが自由に走っている。
川堤の散歩道は対岸にもある。
綺麗に整備されている道に、なんと見事な桜の花が咲いていた。
新なにわ筋を走っていたときに、それが目について停車したのだった。
入口に迎えてくれた花は桜色ではなく黄色だった。
品種はわからないが、なんとなくカタバミのような気がするのだが、やや大きいからオオキバナカタバミ。
名前そのものやんか、といいたい。
住吉川堤道にはところどころにベンチシートがある。
歩きに疲れたときに一息つける設備が嬉しい。
一段と高い場に座ってお弁当を広げようとしていたお友達連れがいる。
ペダルを漕いできた男性も段丘にあがって広げた。
またまた、一人の男性がやってきた。
日傘をさして歩く婦人も穏やかな気持ちになっているだろう。
大阪市内に桜が植わっているのは大きな公園しかないと思っていた。
奈良県内なら小さな公園どころか農村風景にマッチした川堤の桜並木がとても多い。
風景そのものに落ち着く場に桜が咲く。
堰堤は整備されたコンクリート造りもあるが、土手そのものも多い。
そんなところは土手に映える草花にも癒される。
あー、奈良の癒される風景を見せてあげたかった。
そう思ってやってきた大阪・住之江にもえーとこあるやん、と見直した。
段丘に登るには石製の階段を登るしかない。
前述したように、おふくろが住まいする部屋は4階にある。
上り下りは介助人いなくても一人でできるが、設備している手すりに助けられている。
ところがここは手すりがない。
杖で支えながら一歩、一歩登っていった。
登れば平たんなので難なく歩ける。
ただ、ときおり桜樹だと思える木の根っこが突出しているところもある。
足を引っかけないように、注意して歩く。
横についたかーさんが手を添えて支えて歩く。
上を見上げれば、今にも降ってきそうなほぼ満開の桜樹もある。
その下は真っ白い花に囲まれる柴垣がある。
今も見ごろのユキヤナギだ。
狭い通路のようなユキヤナギの柴垣もいいね!である。
根っこに注意をはらって歩いていたら、気がついた落とし物。
花軸がついたまま、しかも花びらもそのまま地面に落下していた桜の花は野鳥が行為する花散らしである。
地面に落下していた桜のすべてが同じ状態であった。
踏まれて間もないものもあるが、多くはついさっきに落ちてきたような形である。
道行く人は関心を寄せない野鳥の花散らし。
見上げても野鳥はいない。
時間が経っているから、野鳥の種類は不明だ。
私がこれまで見た体験からほとんどがニュウナイスズメだと認識している。
昨年、シジュウカラが落としていたのを目撃している。
花散らしは、その落ちた花びらを見て「ラッパ落し」の表現もある。
野鳥は何をしているのか。
その秘密は花の蜜である。
甘い蜜の汁を吸う野鳥は、軸を嘴で摘まんで、上手いことひっくり返して軸にある蜜を吸う。
その行為を済ませば無用の花。
落下傘パラシュートの形になってひらひらと地面に落ちる。
花びらだけである場合は、散り始め。
このように丸々落ちていくのは野鳥の仕業である。
ニュウナイスズメは見られなかったが、あちらこちら雀軍団が飛び回っている。
ハトに餌を与えている人がいる。
食べ残したパンの屑のようなものに見える。
ハトはいっぱい群がってエサのパンを食べていた。
そこに混ざった雀もご相伴に与る。
長閑な昼の時間は、自然も織りなすさまざまな情景を映し出してくれる。
ところでラッパ落しは風に吹かれてひらひらと飛んでいくわけではない。
桜樹の下にしかない。
そこは地面、或いはコンクリート道。
すべても桜樹を拝見したので正確さはないが、この付近、数百mの距離の範囲内すべてにおいてラッパ落しが見られた。
それほど野鳥が多いということであろうか。
この場に見られた野鳥は鳩や雀以外に中型のヒヨドリもいたし、シジュウカラも。
ただ対岸から聞こえてきたのでラッパ落しの主ではないようだ。
それはともかく綺麗な姿の野鳥が飛び交っていた。
それは文様でわかったジョウビタキの♂。
愛らしい顔がわかるくらいまで近づいてくれたのが嬉しい。
姿は撮れそうにもないガラケー携帯。
仕方がないといえば、アレだがコンクリートで造った散歩道を撮っていた。
桜の散歩道はとても雰囲気が良い。
都会でもない市街地。
かつてはすぐ傍を市営のチンチン電車が走っていた新なにわ筋は通称であって本来は府道29号線。
チンチン電車は大阪市の芦原橋駅から大和川を越えた南部の堺市・大浜駅から終点の出島駅(軌道構想は浜寺までだった)までを結ぶ路線。
南北を往来する大阪市電阪堺線は小学生、中学生時代に乗ったことがある。
南加賀屋駅から乗って北へ。
次の駅は住之江公園駅前駅、住吉川駅、そして北加賀屋駅だった。
堺市・三宝町に三宝車庫があったことから三宝線の名で呼んでいた。
昭和43年の9月30日をもって旅客営業を終えた。
その後に敷設された代替線が大阪市営地下鉄の四ツ橋線。
住之江公園駅から北の西梅田駅を結ぶ。
全線開通し、運転開業したのは昭和47年11月。
4年間の空白時代があった。
思い出に老けることなく昼飯どきを迎えた。
手造りの弁当は久方ぶり。
接骨鍼灸院の送迎ドライバーを勤めていたときは昼間に食べる弁当を作ってもらって食べていた。
それ以来だから4年ぶり。
昨日にもらったばかりの新鮮筍に豆を添えて煮込んだ筍煮もあれば、玉子焼きにしぐれ煮の焼肉、鶏の唐揚げ。
キュウリを詰めたチクワにプチトマトをあしらったレタスサラダ。
おにぎりは筍飯にノリの佃煮、ヒジキに辛子明太子を混ぜたふりかけ。
三種のおにぎりは3人前。
朝早くに起きて作ったと伝えたおふくろはとても喜んでくれて食べてくれる。
快晴ではないし、真っ青でもない晴れの日。
PM2.5なのか、黄砂模様なのかわからないが、すっきりとしない晴れの日であるが、こころはうきうき晴れ晴れ。
我が家に生える南天の葉を添えた手造り弁当を美味しくいただく。
どれこれも満足するのだが、唯一、これだけはと思ったのが、ガラスの瓶詰めドレッシング・・ではなく、マヨネーズだった。
これってどないやって出すねん。
箸を突っ込んでも箸の周りにくっつく極少の量。
振ったら出ると云われて振ったらまともに出ない。
振る度にあっちへぴょい。
こっちへぴょい。
弁当を包んでいた敷物にぺちゃ。
ぺちゃ。
これは、あかんな。
おふくろとかーさんは食後もこの場で話し込む。
さまざまな話しをしているようだが、トイレにいきたくなる。
川堤の散歩道にベンチシートはあっても公衆トイレはない。
仕方がないといえば申しわけないが、駐車した所のコンビニエンスストア・ローソンに感謝しようと思って歩く。
用を足して戻ってきた桜並木の散歩道。
愉しむ人たちはさらに増えて9組、10組に膨れ上がっていた。
どこも買ってきたパック詰め弁当を食べている。
お酒を飲んでいるグループは一つもなかったことも書いておく。
(H30. 3.27 SB932SH撮影)