知人の写真家が、京都にあるギャラリーに個展を開く、と案内していた。
開催会場は、京都府左京区北山通下鴨中通東入ル北側「ギャラリー翔」。
京都中心地に出かけるのは、何十年ぶり。
それこそ若い時は、京都市の街中を爆走していた。
二十歳そこそこ越えたやんちゃ時代のころ。
三交替勤務をしていた仕事仲間とともに走った時間帯は、夜中だった。
大方、50年前。
夜中の景観は、あるていど記憶に残っているが、あくまでそれは残像。
昼間の時間帯を走るのは、今回が初めてでもない。
大ばあさんが入所していた施設への面会もあれば、知人が会場を京都にした写真展の拝観にも出かけた京都中心地。
個展会場までの道のりは奈良北部からでも、遠く感じる。
ただ、50年前と違って、交通道路は高架橋のある高速道路がある。
さて、会場住所をカーナビゲーションにセッテイングしようとしても、住所がない。
”北山通“とか”下鴨中通東“がカーナビにない。
古いのかどうかわからないが、目的地近くにある施設、”ノートルダム小学校”並びに”京都府植物園”をキーにセッテイングは可能だ。
近くに駐車場も2か所あるから大丈夫だろう。
そうして、朝の9時に自宅から出発した。
京奈和道路を突っ走り、京田辺からは接続する第二京阪に移って一直線。
鴨川西出口を下りた時間は午前10時だった。
1時間かけて、もうここまで行けるのか。
有料の高速道路は、ほんに助かる。
そこからさらに地道を真っすぐ北進。
途中から都会的雰囲気の大通りに。
その通りは、コロナ禍前なら外国から来られた観光客でごった返していた大通り。
たしか、京都のニュースが報じていた路線バスの問題。
道路は渋滞。乗車する停留所も外国旅行者ああふれる。
一般市民も巻き込む渋滞に路線バスは動けない。
その、一般客が乗れないとかで運行に工夫を凝らしたが、どないもこないもというところにコロナ禍。
今はまったくそのような様相が見られない河原町通りを北に向かう。
信号待ちにみた右手はエデイオン、左側は高島屋。
右奥に阪急京都河原町駅があるようだ。
そこからは短い距離に信号の多さに、ちょっと走っては信号待ち。
これだけ多けりゃ、やっぱりここは京都の繁華街。
次の信号を越えたら左手に京都市役所本庁が見える。
建物は、ほぼ完全な左右対称形。
細部は東洋的な建築様式を取り入れ、中央に両翼を突き出し、更に塔を持つ、ヨーロッパの伝統様式。
ネオ・バロック的骨格)の特色を有する建築仕様。
武田五一が、意匠設計を監修した建物の東半分は、1927年(昭和2年)に、西半分は1931年(昭和6年)に完成したレトロ的な建物。
信号待ちに撮っていたレトロ的な建物。
下車して、ゆっくり落ち着いて見ていたいが、先を急がねば・・。
しばらく走ると、右に糺の森(ただすのもり)が、右手に見えてくる。
古代山城国・山代原野の原生林の植生を残す森。
樹齢200年から6000年の欅や杰の木、榎など、およそ40種類の樹木が、約600本も生繁っていることから、国の史跡に指定されている貴重な森である。
こちら糺の森も位置を確かめただけで通り過ぎる。
今日も暑くなった京都の町中に、唯一残された森林。
森の中は、ひんやり受ける空気感。
美しい原生林に、神秘的な情景に浸ってみたいものだ。
そのまま真っすぐ北に走った十字路。
信号を右折れしたそこがノートルダム小学校だった。
ここまでくれば、目指す目的地のギャラリー翔はすぐ近くだ。
東西を走る街道は北山通。
昨夜にネットで見ていた建物が見つかった。
自宅を出発してから1時間半。
カーナビゲーションが案内する時間にぴったし着いた午前10時半では、まだ店は開店していない。
場所がわかったところで探して見つけておきたいタイムパーキング。
通りは違うが30分が220円の駐車場が見つかった。
それでもまだまだ時間があるから昼めしに、と思って予めネットで見つけていたラーメン屋の所在地を確かめておく。
一つはすぐ近くだった「熊本ラーメン肥後もっこす」。
ラーメン店専用の駐車場があるようだ。
もう一つは、少し離れたところにある「元祖京都らーめんゑびす屋」。
その2店舗が見つからない場合を想定し、予定にあげた「めんや龍神」の現地探しは時間切れ。
そうこうしているうちに開店時間の午前11時なった。
ここが、ギャラリーにいちばん近いコインパーキング。
向かいにスーパーがある、と覚えてこう。
(R3. 7.20 SB805SH撮影)
開催会場は、京都府左京区北山通下鴨中通東入ル北側「ギャラリー翔」。
京都中心地に出かけるのは、何十年ぶり。
それこそ若い時は、京都市の街中を爆走していた。
二十歳そこそこ越えたやんちゃ時代のころ。
三交替勤務をしていた仕事仲間とともに走った時間帯は、夜中だった。
大方、50年前。
夜中の景観は、あるていど記憶に残っているが、あくまでそれは残像。
昼間の時間帯を走るのは、今回が初めてでもない。
大ばあさんが入所していた施設への面会もあれば、知人が会場を京都にした写真展の拝観にも出かけた京都中心地。
個展会場までの道のりは奈良北部からでも、遠く感じる。
ただ、50年前と違って、交通道路は高架橋のある高速道路がある。
さて、会場住所をカーナビゲーションにセッテイングしようとしても、住所がない。
”北山通“とか”下鴨中通東“がカーナビにない。
古いのかどうかわからないが、目的地近くにある施設、”ノートルダム小学校”並びに”京都府植物園”をキーにセッテイングは可能だ。
近くに駐車場も2か所あるから大丈夫だろう。
そうして、朝の9時に自宅から出発した。
京奈和道路を突っ走り、京田辺からは接続する第二京阪に移って一直線。
鴨川西出口を下りた時間は午前10時だった。
1時間かけて、もうここまで行けるのか。
有料の高速道路は、ほんに助かる。
そこからさらに地道を真っすぐ北進。
途中から都会的雰囲気の大通りに。
その通りは、コロナ禍前なら外国から来られた観光客でごった返していた大通り。
たしか、京都のニュースが報じていた路線バスの問題。
道路は渋滞。乗車する停留所も外国旅行者ああふれる。
一般市民も巻き込む渋滞に路線バスは動けない。
その、一般客が乗れないとかで運行に工夫を凝らしたが、どないもこないもというところにコロナ禍。
今はまったくそのような様相が見られない河原町通りを北に向かう。
信号待ちにみた右手はエデイオン、左側は高島屋。
右奥に阪急京都河原町駅があるようだ。
そこからは短い距離に信号の多さに、ちょっと走っては信号待ち。
これだけ多けりゃ、やっぱりここは京都の繁華街。
次の信号を越えたら左手に京都市役所本庁が見える。
建物は、ほぼ完全な左右対称形。
細部は東洋的な建築様式を取り入れ、中央に両翼を突き出し、更に塔を持つ、ヨーロッパの伝統様式。
ネオ・バロック的骨格)の特色を有する建築仕様。
武田五一が、意匠設計を監修した建物の東半分は、1927年(昭和2年)に、西半分は1931年(昭和6年)に完成したレトロ的な建物。
信号待ちに撮っていたレトロ的な建物。
下車して、ゆっくり落ち着いて見ていたいが、先を急がねば・・。
しばらく走ると、右に糺の森(ただすのもり)が、右手に見えてくる。
古代山城国・山代原野の原生林の植生を残す森。
樹齢200年から6000年の欅や杰の木、榎など、およそ40種類の樹木が、約600本も生繁っていることから、国の史跡に指定されている貴重な森である。
こちら糺の森も位置を確かめただけで通り過ぎる。
今日も暑くなった京都の町中に、唯一残された森林。
森の中は、ひんやり受ける空気感。
美しい原生林に、神秘的な情景に浸ってみたいものだ。
そのまま真っすぐ北に走った十字路。
信号を右折れしたそこがノートルダム小学校だった。
ここまでくれば、目指す目的地のギャラリー翔はすぐ近くだ。
東西を走る街道は北山通。
昨夜にネットで見ていた建物が見つかった。
自宅を出発してから1時間半。
カーナビゲーションが案内する時間にぴったし着いた午前10時半では、まだ店は開店していない。
場所がわかったところで探して見つけておきたいタイムパーキング。
通りは違うが30分が220円の駐車場が見つかった。
それでもまだまだ時間があるから昼めしに、と思って予めネットで見つけていたラーメン屋の所在地を確かめておく。
一つはすぐ近くだった「熊本ラーメン肥後もっこす」。
ラーメン店専用の駐車場があるようだ。
もう一つは、少し離れたところにある「元祖京都らーめんゑびす屋」。
その2店舗が見つからない場合を想定し、予定にあげた「めんや龍神」の現地探しは時間切れ。
そうこうしているうちに開店時間の午前11時なった。
ここが、ギャラリーにいちばん近いコインパーキング。
向かいにスーパーがある、と覚えてこう。
(R3. 7.20 SB805SH撮影)