マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大淀町の民俗―継承と活性化

2011年10月24日 06時46分01秒 | 民俗を聴く
下市の鶴萬々堂の和菓子をいただいてお茶席の抹茶を一服した大淀町文化会館。

まずは饅頭を口にする。そして抹茶を飲む。



申しわけないが無知な作法しか持ち合わせていない。

隣に座っておられたご婦人と廃れていく行事の話で盛りあがったあとはあらかしホールで展示物を拝見する。

この日は半年ぶりに再開された「大淀町の民俗―継承と活性化」をテーマにした大淀町の伝統文化を考えるシンポジウム。

3月11日に発生した東北関東大地震によりやむなく中止されて6カ月。

ようやく実現の日を迎えた。

大淀町は2万人の町。新町、旧村半々人口の町である。

民俗は一般の人たちの習慣。

「習わしやから、昔からやっとんやと語る人々。官民でなく、常民(じょうみん)が織りなす年中行事。決まった日に決まった行事をする。言い伝えがある行事は処によって異なる。人から人への言い伝え・・・それが必ずしも正しく伝わったものではないが、それが民俗なんだ。」と挨拶で述べられた地域活性化専門委員長の岸田文男氏の言葉。

年寄りだから委員長に指名されたと言えば会場から拍手喝さい。

挨拶はさらに「こんなん昔からやっている・・・。モノを作る、農家は米を作る、ダケサンに登って雨乞い、神さんにお礼を申す、供えたものを神さんとともに食べる直会、感謝の気持ちは農民の素直な姿。ところが観衆に見せる考えも出て休みの日に移った。そして、民俗行事は衰退のいっぽうだ」と口調も激しくなった長話に基調講演などが十数分ずつ遅れていった。

氏が話される挨拶にうんうんとうなずく。

その様相は県内各地でも同じような傾向にある。

<吉野川に沿う農村と山村の交差する民俗>
基調講演で浦西勉氏が語る「吉野川に沿う農村と山村の交差する民俗」。稲作と畑作に行事食、吉野川流域に沿って東西南北に交差する文化圏、信仰の吉野川などを話される。
生まれ育った郷里はどういう処なのか。庶民が伝えた民俗行事に関心を寄せて話された大淀町の民俗。26カ大字からなる大淀村落。今日の村が誕生したのは西暦1600年、江戸時代初期に村落の名称が見えてきた時代。竜門、高取の谷合いの小さな集落から形成されてきた大淀。それ以前は東に池田荘、北に北ノ荘・・・宮ノ荘、阿智賀荘、佐名伝荘に亘る広範囲な地域であった。水田と畑は五分五分の地域。昔から農作生産の割合は全国的比率と同じだそうだ。

秋祭りに供える御供はオモチ。代表的な御供である。岩壺では甘酒があった。それはお米を素材にしてできあがった形。11月のイノコは上比曽でされている。藁棒のホンデンを作って新婚を祝う。そのときにはイノコのボタモチが作られた。ご飯のなかにサトイモを入れてアズキで包ませたモチ。11月23日のこと、各家ではそれを作って親戚中に配った。収穫の祝いである。7月2日は半夏生。そのときに作られるのがコムギモチ。コムギとコメを蒸してキナコを付けて食べた。収穫・・・古い資料によればアカネコムチの名で呼ばれるモチもあるそうだ。普遍的な雑煮にしてもそうで、それらは収穫した畑作と稲作の食材が混ざって入っている。ゴクマキの風習がある。どこでもされているものと思っていたが・・・。吉野山を含めた北ノ荘。千本杵が搗かれる蔵王堂の行事などで見られる。

大淀へは北の峠を越えてやってくる。西の和歌山からは南伊勢街道。開かれた街道は東西南北に走る。日本を代表する吉野山に大峰山は南の山岳信仰の山々。そこへ向かう人たちはここを通らなければならない要所の地。松尾芭蕉は伊賀上野から葛城竹之内で泊りって吉野へ。野ざらし紀行にそれが書いてあるという。浄土真宗は信仰を広めるために蓮如が宇井、西吉野、下市へとやってきた。夏祭り前後に柿の葉寿司を作って食べた。祭りの代表的な食べ物は腐りやすいサバ魚。瀬戸内、或いは熊野で獲れたサバは塩漬けにして柿の葉で包んだ。早やでもなく、ナレでもない柿の葉寿司はその中間にあたるそうだ。京都の祇園さんでは北陸から持ち込まれたサバ寿司があるが、柿の葉には包まれていない。地方で製法が異なる伝統的な行事食である。

大淀町の生活文化は吉野川にある。ゴリキ、ヨヅケの名がある川魚の獲り方。正月14日は正月の神さんを送るとんどがある。それは川堤の場。お盆の8月15日に迎え入れた先祖さんを送る川でもある。吉野川は信仰の川でもあった。吉野川の水を汲む風習。オナンジ参りの石を拾う風習の川でもある。地味ではあるが、勤勉な人が住む大淀は決して閉ざされた町ではないと強調される。

ホンコ、十夜で食べる煮しめ、アズキ粥も畑作の収穫物。天領だった大淀は室町時代に仏教の影響を受けたと思われるのは吉野山、大峰山の麓であった地域性が絡んでいる。
かつては文字で書かれた歴史が。それには限界がある。文字を残せなかった歴史は復元できない。遺物痕跡で歴史を見出す。金石文(きんせきぶん)や絵画図、神像など多くの文化財がある大淀にはそれが存在し、次世代の子供たちに伝えられていくことだろうと締めくくられた。

そのあとは「大淀町の民俗調査2010~2011」のスライド解説、「大淀町の民俗~継承と活性化」をテーマにパネルディスカッションが行われた。

スライド解説は今年の春に発刊された「大淀町地域伝統文化活性化事業調査報告書 大淀町の民俗~平成22年度の記録調査~」に纏められているので是非拝読してほしい。

岩壺の子ども相撲、佐名伝のオカリヤたてとオワタリ、上比曽のいのこ、畑屋のカンジョウカケ、今木の招福行事、大岩のとんどなど貴重な行事が紹介されている。

シンポジウム当日はあらかしホール内でさまざまな行事をパネル展示されていた。



同調査報告書には納めていない隣接する村々(吉野町、五條市、下市、桜井市、黒滝村、上北山村、野迫川村、明日香村、十津川村、東吉野村)の行事もあっただけに見ごたえがあったシンポジウムだった。

(H23. 9.25 SB932SH撮影)


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