かっぱ寿司の食事を済ませて急ぎ足でやってきた明日香村の大字上(かむら)。
車を停めて見上げたらFさんがおられた。
F家が苗代作りをされていたのはほぼ1カ月前。
5月12日にふらりと立ち寄り、白い幌被せをしていた苗代田の様相を拝見していた。
4日後の16日に電話をかけた。
昨年も撮らせてもらったF家のナワシロジマイ(※苗代終い)の“家さなぶり”であるが、今回はFさんも存じている写真家Kさんも同行したい旨もあり、その承諾もお願いしたい電話である。
現況を伝えてくださるFさん。
今のところの予定日は、6月3日の日曜を考えている、という。
4月30日につくった苗代田。
稲苗の伸長具合によっては、一週間前にする可能性もある。
村では、育苗機で温めて成長を促すが、F家は自然体に任しているそうだ。
育苗機の調製具合によっては苗が焼けて黄色くなってしまう場合がある。
逆に伸びすぎて徒長。
ひょろひょろの細い苗では丈夫な稲に育たない。
下の方の村では、失敗例を度々耳にするときもあるが、F家は水苗代で育てるから、1カ月くらい。
他家と違って長期間かかる育苗をしてきた。
16日段階ではなんとも云えないが、5月27日のころになれば、ほぼ確定するだろう。
日程が決まったら、また電話してあげるから、と云ってくれるFさん。
ちなみにF家のナワシロジマイ(※苗代終い)は雨天決行の待ったなし。
遅霜でやられることもないと思うが、決めた日が6月3日の午後にお伺いします、とお願いした。
さて、本日取材させていただくF家のナワシロジマイの“家さなぶり”である。
田植えを無事に終えて祝う各戸それぞれがお家で祝うあり方であるが、F家は苗代終いに、苗代田で育った苗を取り上げ、その苗を炊事場に供えて神さんに奉る。
“家さなぶり”に対して“村さなぶり”がある。
村の全戸、すべてが田植えを終えたら、氏神社に集まって無事に田植えが終わりました、と神さんに奉告する村行事。
秋の収穫時には稔り多くなるよう願い、参拝する。
大字上(かむら)の村さなぶりは、6月半ば辺りの日を決めて気都和既神社(けつわき)神社で行われている。
F家の“家さなぶり”は、いつも昭和5年生まれの母親がされている。
Fさん夫妻、子どもたちの手によって行われる田植え終わりを見計らって始める。
昨年同様に玄関先で始めたナエトリ。
一つの苗箱から手際よく取り出す苗。
一握りの苗束を取り出す。
苗はもちろん根付きの苗。
苗代田で育った稲苗はすくすく育って根張りもいい。
一束掴んで、もう一束。
一束に苗は何本あるのか、数えたことはないようだ。
ひとつかみの苗はバラけないように、収穫後に藁すぐり(※削ぐり)しておいた藁で括る。
実は、数年前にしていた括りの紐はPP紐であったが、記録取材のご協力に、すぐり藁に戻してくれた。
手際よくさっさとされるナエトリ。
長年に亘ってやってきただけに身体が自然体で動く。
母親のF子さんのお歳は88歳。
仮に成人年齢の二十歳から数えても68年間に亘るナエトリ作業に感服する。
ナエトリした苗束は、上流の山から流れる奇麗な水で根洗い。
苗代田の泥を落として水洗い。
白い根がさらに美しくなるよう丁寧に洗った三把の苗さん。
昔は、直播きだったという母親。
撒いたモミダネが生育した直播き田に入って同じように何本かを集めて束にしていた。
今のような密集するようなものではなさそうだから、根がらみはそれほどでもなかったろう。
お盆に載せた三把の苗さん。
洗米に塩、お神酒を並べてローソクに火を灯す。
台所の神さん、火の神さんがあるヘッツイさんと呼んでいた竃(かまど)の神棚に供えていたらしい。
家を建て替えた後は、三宝荒神さんに供えていた、という。
現代の竃はガスコンロ。
コンロの上に荒神さんはないから祭られない。
そんなわけでガスコンロの傍に置いた。
昨今は、現代的文明のIHコンロもあるが、火の神さんを祭る現代の“竃“に供える御供である。
昭和62年4月に発刊の『明日香風22号』に、ここ上(かむら)の“家さなぶり”のあり方を掲載していた「明日香の民俗点描」文中に興味深いことが書いてあった。
「明日香村の上(かむら)では田植えが終わると、苗三把を一つに結び、赤飯のおにぎりを三つ重ね、燈明、お神酒などと一緒に、竃の上に供えてお祭りをする。竃がなくなった現在も供える場所は替わったが、カミをまつる人々の心は今も変わらず、丁寧に神饌を調製し、供えてカミにまつる」のキャプションである。
この日にF子さんが供えたところに赤飯のおにぎりは見られない。
三つ重ねのおにぎりは小皿盛り。
三段重ねの赤飯は3皿。
そこに三把の苗さんをとらえていた写真も掲載していた同家の昭和62年4月以前のあり方は、今となっては貴重な映像であるが、たぶんにF子さんの母親がしていたのだろう。
(H30. 5.12 SB932SH撮影)
(H30. 6. 3 EOS7D撮影)
車を停めて見上げたらFさんがおられた。
F家が苗代作りをされていたのはほぼ1カ月前。
5月12日にふらりと立ち寄り、白い幌被せをしていた苗代田の様相を拝見していた。
4日後の16日に電話をかけた。
昨年も撮らせてもらったF家のナワシロジマイ(※苗代終い)の“家さなぶり”であるが、今回はFさんも存じている写真家Kさんも同行したい旨もあり、その承諾もお願いしたい電話である。
現況を伝えてくださるFさん。
今のところの予定日は、6月3日の日曜を考えている、という。
4月30日につくった苗代田。
稲苗の伸長具合によっては、一週間前にする可能性もある。
村では、育苗機で温めて成長を促すが、F家は自然体に任しているそうだ。
育苗機の調製具合によっては苗が焼けて黄色くなってしまう場合がある。
逆に伸びすぎて徒長。
ひょろひょろの細い苗では丈夫な稲に育たない。
下の方の村では、失敗例を度々耳にするときもあるが、F家は水苗代で育てるから、1カ月くらい。
他家と違って長期間かかる育苗をしてきた。
16日段階ではなんとも云えないが、5月27日のころになれば、ほぼ確定するだろう。
日程が決まったら、また電話してあげるから、と云ってくれるFさん。
ちなみにF家のナワシロジマイ(※苗代終い)は雨天決行の待ったなし。
遅霜でやられることもないと思うが、決めた日が6月3日の午後にお伺いします、とお願いした。
さて、本日取材させていただくF家のナワシロジマイの“家さなぶり”である。
田植えを無事に終えて祝う各戸それぞれがお家で祝うあり方であるが、F家は苗代終いに、苗代田で育った苗を取り上げ、その苗を炊事場に供えて神さんに奉る。
“家さなぶり”に対して“村さなぶり”がある。
村の全戸、すべてが田植えを終えたら、氏神社に集まって無事に田植えが終わりました、と神さんに奉告する村行事。
秋の収穫時には稔り多くなるよう願い、参拝する。
大字上(かむら)の村さなぶりは、6月半ば辺りの日を決めて気都和既神社(けつわき)神社で行われている。
F家の“家さなぶり”は、いつも昭和5年生まれの母親がされている。
Fさん夫妻、子どもたちの手によって行われる田植え終わりを見計らって始める。
昨年同様に玄関先で始めたナエトリ。
一つの苗箱から手際よく取り出す苗。
一握りの苗束を取り出す。
苗はもちろん根付きの苗。
苗代田で育った稲苗はすくすく育って根張りもいい。
一束掴んで、もう一束。
一束に苗は何本あるのか、数えたことはないようだ。
ひとつかみの苗はバラけないように、収穫後に藁すぐり(※削ぐり)しておいた藁で括る。
実は、数年前にしていた括りの紐はPP紐であったが、記録取材のご協力に、すぐり藁に戻してくれた。
手際よくさっさとされるナエトリ。
長年に亘ってやってきただけに身体が自然体で動く。
母親のF子さんのお歳は88歳。
仮に成人年齢の二十歳から数えても68年間に亘るナエトリ作業に感服する。
ナエトリした苗束は、上流の山から流れる奇麗な水で根洗い。
苗代田の泥を落として水洗い。
白い根がさらに美しくなるよう丁寧に洗った三把の苗さん。
昔は、直播きだったという母親。
撒いたモミダネが生育した直播き田に入って同じように何本かを集めて束にしていた。
今のような密集するようなものではなさそうだから、根がらみはそれほどでもなかったろう。
お盆に載せた三把の苗さん。
洗米に塩、お神酒を並べてローソクに火を灯す。
台所の神さん、火の神さんがあるヘッツイさんと呼んでいた竃(かまど)の神棚に供えていたらしい。
家を建て替えた後は、三宝荒神さんに供えていた、という。
現代の竃はガスコンロ。
コンロの上に荒神さんはないから祭られない。
そんなわけでガスコンロの傍に置いた。
昨今は、現代的文明のIHコンロもあるが、火の神さんを祭る現代の“竃“に供える御供である。
昭和62年4月に発刊の『明日香風22号』に、ここ上(かむら)の“家さなぶり”のあり方を掲載していた「明日香の民俗点描」文中に興味深いことが書いてあった。
「明日香村の上(かむら)では田植えが終わると、苗三把を一つに結び、赤飯のおにぎりを三つ重ね、燈明、お神酒などと一緒に、竃の上に供えてお祭りをする。竃がなくなった現在も供える場所は替わったが、カミをまつる人々の心は今も変わらず、丁寧に神饌を調製し、供えてカミにまつる」のキャプションである。
この日にF子さんが供えたところに赤飯のおにぎりは見られない。
三つ重ねのおにぎりは小皿盛り。
三段重ねの赤飯は3皿。
そこに三把の苗さんをとらえていた写真も掲載していた同家の昭和62年4月以前のあり方は、今となっては貴重な映像であるが、たぶんにF子さんの母親がしていたのだろう。
(H30. 5.12 SB932SH撮影)
(H30. 6. 3 EOS7D撮影)