何年も前から気になっていた地蔵盆地域がある。
田原本町の中心部。
近鉄電車駅でいえば、田原本駅。
人は云う。田原本町は奈良盆地平坦部の中心地である。
とは云っても奈良県のヘソとまでは言い切る人はいない・・・と、思う。
田原本町の民俗行事は昭和59年3月に田原本町教育委員会が発行した『田原本町の年中行事』が詳しい。
ほぼ、であるが、「ゴウシンサン」若しくは「ダイジングサン」と呼ばれている行事と地蔵盆の行事場が近似する地区である。
かつては、というか、平成20年ころまであった立山は祇園さん行事のときだった。
今では見ることもできない造り物の立山であるが、田原本町の旧町にある地蔵盆にも興味がある。
『田原本町の年中行事』によれば、大門西南組の御膳は二つ切りジャガイモに、串で挿したトマトや太目の曲がりキュウリにコーヤドーフの串挿しが。ピーマン、ナスビの串挿しもあると書いてあった。
串挿しトマトはまるで二見が浦の日の出の情景。
ナスビの串挿しは帆かけ船の様相であると記している。
その地はどこになるのか、一見の価値がありそうだと思って、車を走らせる。
旧町は広い。
ただ、車路は狭いうえに、一方通行道が多く、走行どころか停車に難儀すると思われた。
実際、その通りのところもあるが、ここからと思って入ったところに地蔵盆の飾り付けが目に入った。
地蔵さんに赤白。
目立つ景観に飛びついた。
子どもさんの名前で奉納された祝いの旗立てが壮観である。
御膳にソーメンも供えているここはどこであるのか。
向かいのお家の方に話しを聞けば、三輪町(みわまち)だという。
飾り付けした地蔵さんは南組。
朝の8時に飾り付けをしてお寺さんを待つ。
それから4時間後の12時ころに旧町にある本誓寺住職が法要に来られた。
ほんの数分で終えた住職は次の場に向かっていったという。
ちなみに北に浄照寺もあるようだが、この日に探す時間は持ち合わせていないので、後日としよう。
ここら辺りは南組の他、北組にもあるし、西のところには、ほんま、多いくらいにあちこちでしていると話してくれたので車を移動した。
ちなみに南組の地蔵盆に何をお供えされていたのか。
御膳の椀を覗かせてもらえば、一つは仏飯である。
ご飯粒が立っているように見える仏飯である。
手前左はコーヤドーフの煮たもの。
中央は黄色いコウコ。
その右上はトーフと青菜の汁椀であろうか。
左上の椀はオクラと豆の煮もののようだ。
そしてもう一つのお供えがソーメン束。
カボチャにナスビと昆布であった。
昔はもっと多くの子どもが居た。
笹の飾り付けはこん盛りするぐらいに多かった。
飾り付けにある子どもの名前を手掛かりに、現在は不在していると断定された飾り付けは除外したそうだ。
某学芸員のYさんがお勧めする昭和60年刊の『田原本町の歴史』のある号にゴウシンサンや大神宮燈籠を調査した特集を載せているようだから、一度、田原本町図書館で探ってみたい。
(H29. 7.24 EOS40D撮影)
田原本町の中心部。
近鉄電車駅でいえば、田原本駅。
人は云う。田原本町は奈良盆地平坦部の中心地である。
とは云っても奈良県のヘソとまでは言い切る人はいない・・・と、思う。
田原本町の民俗行事は昭和59年3月に田原本町教育委員会が発行した『田原本町の年中行事』が詳しい。
ほぼ、であるが、「ゴウシンサン」若しくは「ダイジングサン」と呼ばれている行事と地蔵盆の行事場が近似する地区である。
かつては、というか、平成20年ころまであった立山は祇園さん行事のときだった。
今では見ることもできない造り物の立山であるが、田原本町の旧町にある地蔵盆にも興味がある。
『田原本町の年中行事』によれば、大門西南組の御膳は二つ切りジャガイモに、串で挿したトマトや太目の曲がりキュウリにコーヤドーフの串挿しが。ピーマン、ナスビの串挿しもあると書いてあった。
串挿しトマトはまるで二見が浦の日の出の情景。
ナスビの串挿しは帆かけ船の様相であると記している。
その地はどこになるのか、一見の価値がありそうだと思って、車を走らせる。
旧町は広い。
ただ、車路は狭いうえに、一方通行道が多く、走行どころか停車に難儀すると思われた。
実際、その通りのところもあるが、ここからと思って入ったところに地蔵盆の飾り付けが目に入った。
地蔵さんに赤白。
目立つ景観に飛びついた。
子どもさんの名前で奉納された祝いの旗立てが壮観である。
御膳にソーメンも供えているここはどこであるのか。
向かいのお家の方に話しを聞けば、三輪町(みわまち)だという。
飾り付けした地蔵さんは南組。
朝の8時に飾り付けをしてお寺さんを待つ。
それから4時間後の12時ころに旧町にある本誓寺住職が法要に来られた。
ほんの数分で終えた住職は次の場に向かっていったという。
ちなみに北に浄照寺もあるようだが、この日に探す時間は持ち合わせていないので、後日としよう。
ここら辺りは南組の他、北組にもあるし、西のところには、ほんま、多いくらいにあちこちでしていると話してくれたので車を移動した。
ちなみに南組の地蔵盆に何をお供えされていたのか。
御膳の椀を覗かせてもらえば、一つは仏飯である。
ご飯粒が立っているように見える仏飯である。
手前左はコーヤドーフの煮たもの。
中央は黄色いコウコ。
その右上はトーフと青菜の汁椀であろうか。
左上の椀はオクラと豆の煮もののようだ。
そしてもう一つのお供えがソーメン束。
カボチャにナスビと昆布であった。
昔はもっと多くの子どもが居た。
笹の飾り付けはこん盛りするぐらいに多かった。
飾り付けにある子どもの名前を手掛かりに、現在は不在していると断定された飾り付けは除外したそうだ。
某学芸員のYさんがお勧めする昭和60年刊の『田原本町の歴史』のある号にゴウシンサンや大神宮燈籠を調査した特集を載せているようだから、一度、田原本町図書館で探ってみたい。
(H29. 7.24 EOS40D撮影)