マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

3食目も味わう博多だるまラーメン

2020年05月21日 10時12分50秒 | あれこれインスタント
3食パックで1000円の博多だるまラーメン

残り1食になったこの日のラーメン具材は何するか。

実は2食目で食に飽きを感じていた。

濃厚でもない博多だるまラーメ。

透き通るようなスープでもない。

写真事例的な煮たまごにチャーシューにメンマ。

定番の具材に刻みネギはもう飽いた。

他に何があるんだといえば海苔・・。

そんなもんかいな。

今夏、我が家で流行ったつけ麺でも同じ具材。

ところがつけ麺の場合は飽きがこない。

なんでだろう・・なんでだろう♪♪。

2回目に食べたときにトッピングした紅生姜。

福岡や大分のラーメンにはそれがある。

そう思って入れてはみたものの劇的ではない。

泌尿器科クリニックの診断帰りに立ち寄った大和小泉のよってって。

ここには抜群に旨い広島風焼きそばがある。

たったの350円で売っている焼きそばがむちゃ美味い。

飽きがこない美味しさを保つ秘訣はなんだ。

ソース味か。

それとも・・。

賞味期限はまだまだ。

遠い日になるが放っておくわけにはいかない。

今が決めどきと思って食べた。

時間が午後1時。

ちゅるちゅると一気に食べようとしたが、半分辺りで気がついた。

忘れていた胡椒。

残りの麺は胡椒を振りまいて食べる。

旨さが劇的に変化した博多だるまラーメン。

旨さは胡椒にあると訴えていた。

(H30.11. 5 SB932SH撮影)

尿流量・残尿測定は計測不能

2020年05月20日 09時52分53秒 | むびょうそくさい
2カ月前に手渡された測定のお知らせシートがある。

尿流量と残尿量検査の測定である。

前立腺肥大症患者が、尿が出にくいとか、排尿してもまだまだ残尿感があるとかの排尿障害を診断する測定装置がある。

普段の生活でもお馴染みの洋式型のセンサー付きトイレが測定装置。

勝手にするのではなく、医師というか医院の指示によって、スイッチを自ら押すというシステムだ。

前回、受け取ったときに云われている排尿の時期である。

たっぷり溜まった、というか小便をしたくなった本人の感じ方を医院に告げて開始する。

泌尿器科クリニックに通院きだしてから、まだ3回目であるが、当院の場合は予め家で用を足して手渡されている排尿容器のスピッツ管に納めて持参、という具合だ。

3回目にして早や慣れてきた採尿を持ち込んで受付に手渡す。

現時点における身体状況を調べる尿検査。

主治医の診察の際に数値などのデータをもって審判が下される。

さて、本日の検査は尿流量・残尿測定が主。

ちょろちょろ排尿状態を数値データで判断されるのだが・・。

起床時には必ず排尿する。

次の排尿は朝食前の排便の際に起こる排尿である。

夜間就寝時に2、3回は排尿をしているが、そのときの出が悪い。

残尿感もあるが、起床後はじょんじょろ排尿になる。

だいたいが毎日の排尿は、朝食後の10時前後に1回。

11時過ぎにも1回。

昼食を摂ってから1回。

厳しい排尿は今のところない。

以前、通院していた田北病院のときなんぞは受付を済ましてからすぐにでもよおす具合だから、この日も同じようなことになるだろうと思っていた。

自宅を出た時間帯は午前10時。

受付澄ましてもよおした時間は午前11時。

すんなり出ると判断して測定に入った。

排尿の準備ができたらデータ測定・通信されるのだろう、スイッチをプッシュである。

ところがだ。排尿感はあるのに、ちょんちょろりん。

出ているのか、出ていないのかさえわからない排尿感。

気分を落ち着かせようとするが、どうにも・・。

申しわけないが排尿室から退室だ。

呼び出しがかかって診察。

案の定、何も測定はされていない。

極端な云い方でいえば測定不能のゼロ値であった。

医師は膀胱、前立腺、尿管の関係を絵でしめされる。



膀胱に溜まった尿は尿管を通じて排出されるのであるが、邪魔をしているのが前立腺。

これが肥大しているから尿管が狭められて排尿障害を起こすと図式で説明される。

現状はどのような形態になっているのか、患部の前立腺を超音波・エコーをしましょうと。

ヌルヌル剤を患部にあてて映像を映し出す。

この状態であれば尿は貯まったまま。

排尿されずに残っている尿はおよそ100cc。

こんなけも尿量があるのに残尿感はなかった。

どうしたもんじゃろが。

医師の判定は最期に手術の手はあるが、そこまで決めることもない、である。

現在も服用している二つの内服薬。

頻尿、残尿感を改善し、尿を排泄しやすくするという効能がある「ナフトピジルOD錠75mg(サワイ)」。

もう一つは男性ホルモンの働きをおさえて前立腺の肥大にともなう症状を改善する「アボルブカプセル0.5mg」。

つまり尿管を拡げて、前立腺を縮小するという方法である。

改善はなくとも現状維持であれば、ずっと服用し続ける薬であるが、排尿が出にくい日もある。

その際に起こる尿道炎。

排尿障害によっておこる尿の逆流になんらかの菌が増殖する。

その際に発症するのがアンモニア臭と痛みである。

万が一、そうした場合があれば、すぐさま服用していただきたい特効薬を処方しておくので、ご自身の判断で服用してくださいという指示が出た。

その指示がでた判断値は、この日の尿検査に出ていた。

白血球が7-8/F。すでに兆候が表れているから、いつなってもおかしくないという判断である。

今年の7月に発症していた尿道炎。

炎症を起こしていたときの白血球は30-49/F。

基準値は1.008-1.030の範囲内だけに兆候があると判断されたのである。

処方箋は5日分の5錠。

処方された薬はレボフロキサシン錠500mg「DSEP」。

使うことのないように努力したいものだが・・。

次回の診察は薬が切れる直前であるが、単純に日算すれば正月に入ってしまう。

年末年始はどこの医院もお休み。

診療は12月28日までだから、それまで来診くださいと伝えられた。

(H30.11. 5 SB932SH撮影)

ささいわの山の神の祭り

2020年05月19日 10時08分26秒 | 吉野町へ
上比曽の亥の子祭りを拝見した時間帯。

夕刻まではまだまだ時間がある。

ならば少し足を伸ばして大淀町を離れ隣町の吉野町に車を移動する。

上比曽からはそれほど遠くない地にある吉野町の千股。

昨年の平成29年11月5日に取材した千股のささいわ行事である。

聞いていた日程であれば、本日であろう。

そう思ったら見に行くしかない。

今の時間帯なら、山の神に祭った情景だけでも見ておきたい。

到着した時間は午後5時。

山の神の前に吊った注連縄にあるある三種の藁細工。

右に吊っているのはナベツカミ。

牛の草鞋ではなくナベツカミだといっていた。

左は見た目でわかる細身つくり。

これは男のシンボル。

えっ、昨年に吊るしたときと左右の配置が逆になっている。

どちらが正しいのか、あらためて確認しなくてはならない。

中央は、ひと際大きい丸太形のつくりのキンダマ。



キンダマの内部には大豆を12粒納めていると聞いている。

旧暦の閏年の場合は13粒。

つまり大の月もある13の月数を一年間とする旧暦閏年の月の数えである。

あらためて、仕込むところを拝見したくなるキンダマである。

(H30.11. 4 EOS7D撮影)

とても美味しい箸中のシシ肉

2020年05月18日 10時17分46秒 | もらいもの・おくりもの
いただきもののシシ肉はいつになれば口に入るのか。

それが突然にやってくるのが我が家の不思議。

本日は、大阪北部に見られる亥の子行事の取材に出かけていた。

その北部一角にある野間の地でたまたま遭遇した村の猟師たち。

何気に地下よってみれば、今さばいたばかりだ、という。

さばいた状態は生々しいから撮らんといてや、の忠告を守るのは当然。

肉の中でも一番に美味しいと思っているシシ肉。

ほんまにそう思いますわ、と伝えたら、これ持って帰り、と云われて頂戴した。

その野間のシシ肉を自宅に持って帰ってかーさんに見せたら・・。

今夜のおかずに登場した。

いや、これは貰いたての野間のシシ肉でなく、半年前に訪れた桜井市箸中でもらったシシ肉。

当地で行われているノグチサン行事に撮らせてもらったお礼差し上げ写真にたいそう喜んでくれはったお礼返しのシシ肉

漁師でもあるKさんが仕留めたものであるが、鉄砲ではなく、仕掛けていた檻が捕まえたもの。

処理が奇麗にされているシシ肉は、とても美味しゅうございました。

(H30.11. 3 SB932SH撮影)

打上花火はどこから打上げているのか

2020年05月17日 10時20分33秒 | メモしとこっ!
大阪の取材を終えて奈良に戻ってきた平成30年11月3日の土曜日。

時間帯は午後7時55分。

目撃した地は第二阪奈道路の壱分料金所。

ETC通過の際に左手山の方から花火が打ちあがる。

一時停車は申しわけないが、料金所すぐ傍の膨らみに停めて、大慌てにカメラを取り出して撮った時間は2分間。











ふっと消えるように終わった。

普段なら持ち合わせていないカメラがここにあるから、撮ってみたが、さて打上げ場所ってどこなのか。

帰宅してから地図で探してみるがさっぱり掴めない・・。

ご存じの方、情報あればありがたい

ふと考えてみた。

壱分料金所から見て東の方角から花火が揚がっているように思えた。

地図を広げて東の方角に線を引く。

その先、山越えしたところにある富雄付近の中町にある近畿大学農学部奈良キャンパス。

広い運動場があると思われる大学キャンパス。

勝手な推測だが、そこから打ち上げていたのではないだろうか。

ネットを駆使して探してみたが、結局はわからず、だった。

(H30.11. 3 EOS7D撮影)

スシロー川西山下店で食するヒル飯旅

2020年05月16日 09時20分18秒 | 食事が主な周辺をお散歩
利用条件が伴わなくて断念したー麺藤平川西多田店から少し北に向かった処にあったあきんどスシロー。

阪神高速道路を下りた直後にある回転寿司チェーン店はくら寿司。

ここ川西町山下にあきんどスシローが見つかったが、最近元気で美味い寿司を喰わせてくれるかっぱ寿司は街道に存在しない。

3大回転寿司で食べてみたいと思うにぎり寿司があまりにも少ないのがあきんどスシロー。

申しわけないが、私の好みだから仕方ない。

実は数週間前からあきんどスシローに来たかった。

狙っているメニューがある。

それは特別な寿司である。

タレント有吉の番組のダレトク!?がある。

これまで何度も社内プレゼンにあげても却下された没メニューである。

いくつかの落とされた候補メニューをタレントの意見を元に外れ馬券に、いた復活宝くじのように復活した没メニューに興味をもった。

番組を見てそう思っただけであるが、なんせタレントさんが選んだメニューはさてどんな味。

これを愉しみにしていた。

信号角にあったあきんどスシローの看板に誘われて警備員が誘導する場に停める。

暑くなったこの日の気温はおそらく23度。

上着は脱ぎ捨てようである。

入店して席券をとる。

カウンター選択で一人とくれば直ちに呼ばれること間違いなし。

その通りとなって案内された席に座る。

目の前にあるタッチパネル。

番組で取り上げられた復活メニューのまぐろのおはぎ・・。

あった。見つかれば発注である。

それだけではお腹は報われない。

スシローで唯一美味しさを感じる軍艦巻き。

中でも好みはかつおユッケにまぐろ山かけである。

あとは要らない。

発注した順番に並んで流れる回転レーン・・。



いやいや順番が違うでないの。

しかし、である。

右隣の客席も緑色のオーダー席。

その人は喰っては注文、喰っては注文を繰り返す人だった。

サインは音声とともに映像も映し出されるが、臨席と同じ注文だったらと思うと・・ガッチャンコのブッキングになり兼ねない。

失念した場合はぐるっと一周する羽目になる。

念のためにレーンを流れてきたオーダー色にネタを確かめる。

その点、かっぱ寿司やくら寿司は別レーンの特急レーン。

あきんどスシローは業界第一と称賛されるが、この点は気に喰わん。

経営者はお客さんをなんと思っているのだろうか、といつもブツブツ小声でつぶやく。



まずは大きく見えたまぐろのおはぎ。

一口食べて感じたたくあん。

コウコでもないたくわんの食感にインパクトありだが、味は特に、である。

まぐろそのものも味はなし。

くせもない。

ユッケならともかくあきんどスシローのまぐろはいつも味がない。

すり潰したねぎとろまぐろは特に味がない。

色合いも弱いから印象悪し、である。

山葵を盛っているが、山葵らしさがない。

ツンとくる山葵特有のツンがない。

これはなんだ。

番組でも紹介していたがオリーブ山葵って何なの。

むしろ添えつけの山葵をどっさり塗り付けてようやく食べられる存在になる。



軍艦巻きのかつおユッケにまぐろ山かけは味がある。

旨さがある。

なぜか。

ぶつ切りだから食感、味わいが伝わってくる。

潰したねぎとろまぐろは話しにならん。



次に選んだのはジョニーの唐揚げ。

有名なお店が監修したらしい唐揚げ。

その店舗に行かなくともあきんどスシローでジョニーの唐揚げが味わえる。

寿司チェーン店の唐揚げは意外と美味い。

尤もラーメン店の唐揚げには到底追いつかない。

そう思っているが、食べないことにはなんとも言えない。

流れてきたジョニーの唐揚げは専用の箱に納まっている。



おっ、これはなんだ。

見るからに唐揚げ特有のゴツゴツ感がない。

箸に摘まんだ一つを食べてみる。

食べる前に感じた平べったさ。

これって何、である。

形はともかくアツアツ、揚げたてのジョニーの唐揚げが美味い。

下味ガンガン利かせた味にガツンとくる。

確かに美味い。

美味いが2個目で飽いてきた。

3個目はガリとともに口に入れた。

実は我が家で唐揚げを食べる際は冷蔵庫にあるガリならぬ甘酢生姜をどっさり盛って食べる。

これが美味いのである。

ジョニーの唐揚げもそうすれば味に極みがでる。

では、山葵はどうなのか。

これもまたいける口。

ならば、マヨネーズと探してみたが、回転寿司チェーン店にはどこともマヨネーズなんてものは置いていない。

マヨラーではないが、マヨネーズによって旨みを味わえる料理もあるのだ。

(H30.11. 3 SB932SH撮影)

らー麺藤平のサービス券に利用条件あり

2020年05月15日 09時34分24秒 | 食事が主な周辺をお散歩
月に一度の折り込みに各店舗のサービス券が発行される。

密かな愉しみであるが、利用するのは限られる。

かつて亀王の油そばとかふくちぁんラーメンのサービスを受けた。

いずれも利用地は配布されている大和郡山市から近い地。

奈良市の南寄りにある店舗だからこそ利用できる。

ずっと気にしていたサービス券がある。

利用できる店舗は大阪府や兵庫県に点在するらー麺藤平の藤平ラーメン。

一杯が700円のところ、なんと500円である。

ありがたい券は有効利用したく所在地をネットでぐぐってみた。

奈良にもあった・・・らー麺藤平。

よくよく読めば、随分前に閉店したとある。

その所在地にある現店舗は度々利用している豚カツの「まるかつ」である。

テレビや新聞などに掲載されたほどの評判店であるが、以前は奈良唯一の「ふくちぁんらーめん」店だった。

新聞チラシの折り込みにあったサービス券利用で数回来ていたが閉店した。

「まるかつ」はその跡地に建った。

実はその「ふくちぁんらーめん」店も跡地利用。

それ以前がらー麺藤平だったということは、もう10年も前のこと。

残念なことであるが、大阪などを浮遊するときに店舗が見つかればと思って、車のダッシュボードに置いていた。

この日は大阪能勢町の亥の子行事調査。

第二阪奈道路から阪神高速道路を経て池田市、川西町の街道を北上する。

えっと思った所にサービス券が落ちていた。

いや、サービス券のらー麺藤平店舗が見つかった。

ここにあったのかと思って駐車場に車を停める。



サービス券を手にして暖簾をくぐる。

待ち行列は少ないが待ち席に座って・・数分も経たないうちに声がかかる。

案内する店員さんにサービス券を提示して、この券は利用できますか、と尋ねた結果は・・・当店では利用できませんと返された。



サービス券に書いてあった但し書き。

「三木店(兵庫県)、堂島店(大阪市内)、川西多田店(大阪北部)はご利用頂けません」とある。

おぉーーーなんてこったい。

利用条件不可の店舗であったからには仕方ない。

諦めて、この日のひる飯は他の店舗を探すとするか・・・。

(H30.11. 3 SB932SH撮影)

箕輪・大安の良き日に田植え

2020年05月14日 13時07分26秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
例年に大安の良き日を選んで日を決めた山添村箕輪のK家の田植え日。

昨日は冷たい風が吹いていたが、この日は穏やかな日だった。

かつては植え初めにカヤ差しもしていたし、フキダワラもしていた。

平成28年までしていた植え初め。

ここらはオツキと呼ぶウツギ(空木)の枝木を12本ずつ。

左右に挿していたが、足が思うように動かなくなったことから、翌年に断念した。

白の丸大豆をご飯に混ぜて炊いたものをフキ(蕗)の葉に広げて、そのフキ(蕗)の筋を用いて括って作るフキダワラ。

そのフキダワラを食べていた、というからおそらくケンズイ(間食)のときに食べるご馳走であったろう。

田植えを終えたときのさなぶりはしていないが、田植え休みと称して身体を休め、馳走を食べていた。

植え初めの話題を提供してくださった夫妻。

明日は、家族揃って田植えをすると云った。

お言葉に甘えて作業を撮らせていただくことにしたK家の田植え作業に伺った。

親父さんは80歳。奥さんは75歳。

息子夫婦に孫までが揃って、眼前に広がる田んぼで田植え作業。

穏やかな日の田植え作業を取材させていただく時間帯は、午後と伺い、やってきた。

レーキを手にして田植え機を操縦する孫さんに指示をするのは息子さん。



田植え機の動く方向に畝を行く息子さん。

息子さんと孫さんが田植えの中心的戦力。

山添村切幡でしていた田植え作業もまた同じく3世代家族だった。

80歳の親父さんは、二人が田植えをしやすいように田植え機が畝を跨ぐ器具運び。

その都度において動く。

息子さんも親父さんと同様に主役の孫の動きをみて周辺作業は、器具の移動もあれば、苗運びもある。

下の田んぼから始めた田植え機作業。



親父さんが先に移動して運んだ乗用田植機用アルミブリッジ・スロープ。

大型の滑り止めの専用ブリッジもある時代。

これがないと段差のある田に移動できない。できないことはないが、田植機の重さで畝が崩れるとか、雨後であればぬかるみとまではいかないが水含みの土地は柔らかいから車輪が滑ってしまう。

開発、販売された時期は存知しないが、かつては“あゆみ”板と農家の人たちが呼んでいた木製の長板。



「歩み板」をキーに検索すれば、乗用田植機用アルミブリッジ・スロープが数多く登場する。

1例、2例、3例・・。



サシナエもしつつ、力仕事のブリッジ移動の段取りをする親父さん。

75歳の婦人は、苗運びもするが、サシナエが主。



嫁入りしたころの昔は直播きだった。

今みたいにこんなに長くもない成長した育苗を束ねて藁で括って田植えさんの目の前に放っていた。

当時は、田植え機も耕運機もない時代。

牛が耕していた。

現在はJAから苗を購入する時代。

山間地の品種はヒトメボレが多い。



ずいぶんと変化してきたと回顧される婦人。

20年前までは、節句にヒシモチやチマキを作っていた。

餅を搗いて作る節句の和菓子は、我が家で製造していた。

製造はしてきたが、販売は別の会社がしていたらしい。

また、息子が誕生した5月の節句に、所有する山に出かけて植生する杉を伐採。

自宅まで運んだ杉は枝を伐り、皮を剥いで、一本の竿にする。

てっぺんだけに杉の葉を残して作った支柱に誕生祝いの鯉幟を揚げた。

孫さんが田植え機を操縦するくらいに育てた息子さんが生まれたときの民俗は、今や過去のことである。

息子さんのお嫁さんは田植えを終えた苗トレーの洗い。



その合間に話してくださる出里岩屋の話題。

箕輪にはなかったが、岩屋にはサシサバ習俗があった。

両親が揃っていたら、干物のトビウオを2尾。

片親であれば1尾のトビウオ。

塩辛いトビウオを供えて食べていた、という岩屋の習俗。

トビウオではないが、サシサバを今でも売っているお店がある。

山添村北野にある大矢商店は存じているが、サシサバを売っているとは知らなかったそうだ。

岩屋にはお店屋さんはなく、行商が売りに来ていたらしく、その行商から買っていた、というトビウオである。

同じくトビウオ習俗のあった大字大西。

在住のFさんが、正月のイタダキの作法をしてくださったときに聞いた話題。

サシサバもあればトビウオもあった。

また、隣村の大字菅生にもあった、と云っていた。

ちなみにお嫁さんの友達が、嫁いだ先の三重県青山である。

ここにもサシサバをしていた、と聞いている話題提供に興味を惹かれる。

サシサバの文化領域は三重県にもあった事実に、また調べる地域が増える。

機会があれば調査に伺いたいものである。



さらに話してくれた嫁入りのときの風習。

嫁入りしたその年の初節句は、祝いにヒシモチとかチマキを実家に贈ったことも話してくれた。

民俗は、お嫁さんが話してくれたように婚姻関係による伝播が文化を繋げ、地域に根付くことも多々ある。

金沢市図書館に所蔵の日置謙編『加能郷土辞彙』がある。

金沢文化協会が昭和17年に発刊した語彙集。

その語彙のひとつである「サシサバ(刺鯖)」記事が341頁にある。

「・・・宝暦の調書には、羽咋郡西海刺鯖、風戸・風無・千浦・赤崎・前濱・村から御用に付き指上げるとある。刺鯖(サシサバ)の製法は、背割りにして内臓を去り、3、4時間水に浸して血液を去り、水滴を除き、鯖生目30貫目を■13貫目にて、約1週間漬け、清■の溶液で洗浄し、同大のものを2尾宛を重ね刺し、ハサに掛けて乾かすこと1週間にして、■柱の結晶するを期とし、魚簗の上に■筵の荒く厚きものを敷き、その面に鯖を格子状に積むこと高さ六尺に及び、周囲を筵及び菰で密閉し、十日許を経て脂肪の浮き出で橙黄色を呈した時全く功程を終る」とあった。

興味深い宝暦時代のサシサバの作り方である。

Kさんも合いの間に話してくださる箕輪の民俗。



かつて村は50軒もあったが、徐々に減り続けて現在は45軒になった。

村を出る人もあったが、今では家ごと消滅する時代になった、という。

箕輪に寺院はなく、神野寺の住職が来てくれる。

三柱神社の行事に秋祭りはあるが、これといったものがない。

ただ、5年後にはゾーク(造営事業)が待っている。

今度のゾークは拝殿を新築する計画があり、そのためにも預金をしている。

神社行事に大字室津の奥中弥弘宮司が出仕されることなど話してくれた。

午後3時過ぎにとった休憩。



当地ではケンズイ(間食)と呼ぶことはなかったが、私も呼ばれて美味しいカップアイスをいただいた。

生まれたひ孫は1歳2カ月。

父親になった孫さん。



学生時代に付き合っていた孫さんのお相手の出里は近隣でもなく、遠く離れた福島県。

K家の隣家のお嫁さんもまた遠く、西日本の岡山県。

今の時代は、地方から出てきて勉学する大学時代からのお付き合い。

さらには外国の人との婚姻。

田舎もずいぶんと変わり、話題も変化に富んでいるようだ。

和気あいあいの時間に、話題も広がり腰が重くなりそうだが、お礼を伝えて場を離れて帰路につく。

そのころともなれば西の方からやや黒い雲が流れてきた。

帰宅するころには雨も降りだした。

その夜は土砂降りの雨。

翌日も雨の日。

ときには昨夜以上の土砂降り模様。

その日が大安でなくてよかったが、暦の大安を第一義にするのか、それとも気象状態を選択するのか。

えー日にするという農家さんは、どちらを選んでいるのだろうか。

ところで育苗していたプレートである。

かつては木製だったとテレビ番組で紹介していた。

重さのあるプレートを軽く、そして頑丈なモノにしたのは、アイリスオーヤマ社であった。

メーカーは違えどもプラスチック製のプレートへの転換発想はその時代の悩みを一気に解決した画期的な考え方である。

(H30. 5. 6 EOS7D撮影)

箕輪の民俗調査

2020年05月13日 09時44分45秒 | 山添村へ
昨年の5月5日に訪れた山添村の箕輪。

植え初めを実施している地域調査。

結果的に云えばまったく見つからなかった日である。

いろんなところを回遊してきたが、とうとう見つからなかった。

ぐるっと巡ったところにサシナエをされていた婦人。

その婦人はKさんの奥さん。

前年までは植え初めになんとフキダワラをしていたと話してくれた。

出会いに一つの事例に遭遇であるが、その年でやめたという「幻のフキダワラ」である。

実物はもう見ることはできないが、当時していたあり方は、記憶の一部であるが、文字で記録させてもらった。

箕輪に着いた時間は午前10時。

特に時間を決めたわけでもなくK家に向かう表敬訪問であるが、先に出合ったご夫婦に少しばかりのお話を伺う。

除草剤を撒きたいが強風で煽られて今日も難しい、という85歳の男性。

植え初めにしていたフキダワラは昭和20年代にやめた、というからずいぶん前の戦後のことである。

牛耕は、昭和30年代までしていた。

そのころに導入された農村の機械化。

戦後も早や10年も経った時代に発展する近代的文化。

牛に代わった耕運機である。

実は、箕輪に寺はない、という。

えーっ、そうなんだ。

村、それぞれにお寺は必ずあるものだと思っていたが、思い込みの認識が覆された日である。

調べてみれば、箕輪以外にもお寺の存在がない村もあるが、このブログもそうだが、調べきれていないだけだろう。

寺院欄が空白の松尾、的野、峰寺、遅瀬、中ノ庄、吉田、箕輪であるが、遅瀬に地蔵寺がある。

涅槃会を取材した地蔵寺は間違いなく存在している。

遅瀬にはもう一つある。

現在は集会所になっている中南寺で取材した観音講の営みである。

吉田も集会所内に自作寺が存在する。

それはともかく、寺院はなくとも信仰のお家に来てもらって拝んでもらわなあかん。

ここは旧都祁村の針にある観音寺から北谷さんに来てもらっていた、と。

現在は身体を壊した北谷さんに替わって息子さんに来てもらっているそうだ。

北谷さんといえば、務めていたお寺は大字伏拝(ふしょはい)にある真言宗豊山派の神野寺(こうのじ)。

先代住職の北谷さんの後任に弟さんの北谷住職が継いだ、と話してくれた。

息子さんも北谷住職も村行事取材になにかとお世話になったことがある。

85歳の男性が続けて話すお寺関係。

旧都祁村の針・小倉・下深川も檀家。

総数は400軒にもなるという。

なお、下深川の隣村である上深川は檀家でないが、頼まれ、で法要しているとも。

檀家話題を聞いてすぐ近くのK家に立ち寄った。

訪ねていけば、ご夫妻とも屋外に座って日向ぼっこ。

こんな日もあるらしく、ほのぼのとした時間に迎えてくれたが、フキダワラはもうすることはないという。

植え初めのカヤサシはもうすることはないが、田植えは当然なこと。

明日にしますが、のお言葉に甘えることにした。

箕輪から離れて車を走らせる。

道なりに行く坂道カーブに見た花畑。



目に焼き付けておきたいくらいの花は菖蒲。

さて、ここはどこだろう、とカーナビゲーションを見たら隣村の大字助命(ぜみょう)。

奇麗に咲く花から、その坂道は、菖蒲街道と呼んでみようか。

ところで、後年にお会いしたKさんに尋ねた箕輪の山の神。

めいめいが参る箕輪の山の神は最近になってみなやめた、と。

平成5年11月に発刊された『やまぞえ双書』によれば、箕輪の山の神は以下のような状況だった。

「一月七日、丑の刻から、だれと出会っても口を開かず、無言で参拝する。その男の数だけそろえた“カギ”を担いでいく。その家の男の数の餅、柿、蜜柑などをお供えする。ご神木の木に“カギ”をひっかけ、引きつけながら無病息災、山仕事の安全を祈願する。“西の国の糸綿(いとわた)、東の国の銭かね、赤牛の鞍に積んで、どっさりこ”のかけ声をかけて引く、という。前の参拝者が供えた御供さんをいただいて帰るのが通例であったが、最近は供えてすぐに持って帰るようになった。この日は、終日とも山仕事のたぐいの仕事をしてはならないことになっている(※若干補正)」と書いてあった。

ちなみに隣村の大字助命(ぜみょう)にも山の神の記述がある。

「一月七日は、山の神で男子の行事である。七日の未明の時間帯。重箱に詰めた男子の人数分の餅に串柿、蜜柑、勝栗(かちぐり)、昆布、ところ芋などをもって参拝する。健康、すなわち無病息災を祈願する。お参りは無言。道中は、人と出会っても挨拶は交わさない。お供えの御供はいただくが、男子のみとし、女子はいただかず、朝食は家族揃って七草粥のお粥を食べる(※若干補正)」とあった。

(H30. 5. 5 EOS7D撮影)

ふり返る10月の介護まとめ

2020年05月12日 09時15分50秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。


2日は、眼科に出かけて目薬をもらいに行く。

台風24号が去って住之江に戻るおふくろ。

居住地からそれほど遠くない加賀屋の地にある松嶋眼科で処方してくれた目薬を受け取る。

今日は、その1件のみ。

私は自宅の奈良に戻る。

その帰宅直後に鳴った携帯電話。

発信は、ケアプランセンターのFさん。

ケアマネージャーからの連絡は、二日後の4日に実施される介護認定調査員の身体状況ならびにヒアリングである。

3日、おふくろから電話があった。

通所リハビリ施設のアロンテイアクラブから居住地に戻って、洗濯もんを取り込んでいたらなにかの1枚がヒラヒラを階下に落ちていった、という。

居住地でなにかとお世話になっているAさんに落下物の対応を伝えたいから電話番号を教えて、と。

自宅のアドレス帳に記載していないことはさておき、とりあえず伝えたが、その際に訴える件に、それは不可・・。

おふくろの頭にあるのは、明日のこと。

再認定調査ヒアリングに来られる介護認定調査員、またケアマネージャーのFさんに頼むつもりがある、という。

その件に対応できる2人ではない。

2人は介護関係者であるから介護以外の援助はできないょ、と伝え、また、物干し竿で落とそうなんて発想はリスクそのもの。

決してAさんにそんなことまでさせないように伝えた。

結果は、Aさんに都合がある。

今晩は会合があるから、明日に対応します、とのことだ。

翌朝の4日である。

このときの風雨は強めだった。

そのおかげもあって洗濯ものは1階の地面に落ちた、という。

その結果は・・Aさんが落ちた地面から拾い上げて持ってきてくれた、と1件落着である。

10日は、おふくろの依頼に大阪・心斎橋の大丸店へかーさんが出かけた。

依頼は、快気祝いの贈り物手配。

圧迫骨折の発症から平成29年10月2日の緊急入院を経て、3カ月後の平成29年12月20日に退院。

退院から1年満たないが、入院から1年後の今に快気祝いをしたいと申し出。

費用は何十年もかけて会費を払っていた大丸会員特典から利用する。

送り先は、親族など10家族に手配を済ませた。

17日は、リハビリ経過進展状態を相互に発信、確認し合う三者面談の5回目である。

会合場所は、介護老人施設アロンテイアクラブ・住之江。

出席者は、I施設長に施設主任のHさんとリハビリ療法士のKさん。

面談に状況報告とその確認である。

おふくろ自身の状態である。

4日前の13日。

自宅カのカーテンを閉めようとした際に身体がふらついた。

とっさにすがりたい柱は遠い。

掴むことができずによろけて座椅子に腰を打った、という。

その状態を診たK療法士の経過説明によれば、ほぼほぼマシになったそうだ。

状態は不備でもないので、経過観察要の診断である。

おふくろが、訴えたのは打撲だけでなく、眼も、という。

同じ、4日日前ころから急に左目が腫れて赤ずんだ。

松嶋眼科の処方箋目薬が信用できん、と云い出した。

目の腫れは通所リハバリの範疇でないから、その件については本日通所サービスを終えてから、迎えに行き眼科診療してもらうから安心しいやとおふくろに話した。

奈良に戻ってから、アマネージャーのFさんから電話連絡があった。

再認定調査の経過報告である。

その調査状況から判断するに審査会が下す介護再認定結果予想は、要支援1若しくは要支援2。

仮に要支援1であれば、通所サービスは週1ペースになる。

また、要支援2であれば、個別のリハビリはできなくなり、集団リハビリだけになる。

その結果を踏まえて介護施設担当者とヘルパー介護責任者にケアマネージャーの3人が担当者会議を開き、今後の支援のあり方を協議することになる。

その予定日は、10月末の29日か30日になりそうだ。

27日、おふくろから電話があった。

本日、アロンテイアクラブで聞いた話。

ケア計画を立てる担当者会議は、29日の月曜日に、と。その件を確認すべくケアマネージャーに確認をとったら介護施設担当者の確認ができていないから29日の朝に連絡しますということだ。

29日の朝10時。

送迎の終わった介護施設担当者のH主任とふれんど介護センターのFケアマネージャーが相談した結果連絡があった。

再認定審査会は26日だった。

その結果は直ちに送られるが、本日現在はまだ届いていない。

30日の火曜日なら間違いなく届いていると想定されるので結果を踏まえて協議するなら30日が望ましい。

また、当日は風呂場の改造も含めて協議したいので介護用具専門会社のばらの木のHさんにも来てもらう予定している。

集合時間は、午後3時に決まった、とおふくろに電話した。

30日はケア介護の担当者会議。

併せて入浴風呂の介護用具の選定もする。

予定していた午後3時になっても再認定結果後の介護被保険者証は届かない。

届くまで待っているわけにはいかず、結果想定を要支援1として、介護の方向付けを協議する。

要支援となれば住之江包括支援センターのBさんがトップになり、その契約を。被保険者と契約したし住之江包括支援センターは、ふれんど介護センターに業務委託する契約になる。

以下、ケアマネージャーは、介護被保険者のおふくろと連携しつつ、介護老人施設アロンテイアクラブとヘルパー派遣をするハート介護サービスに介護業務の実行手配をする。

ヘルパーさんの実施回数は週2回。

従来通りであるが、通所サービスは週1回になる。

これまで入浴を基本に週2回の介護老人施設利用ができていたが、要支援では週1回。

入浴は自宅風呂にせざるを得ない。

例えば、ヘルパーさんに支援してもらうのは買い物ヘルパーと入浴ヘルパーの2本立て。

おふくろが、自宅風呂で自力入浴できるのが前提条件。

風呂焚きから入浴が安心してできるようヘルパーさんに支援してもらうからと伝えたら、なんと、家の風呂は入りたくない、と即答で返した。

まさかの展開に、さてどうするか。

ならば、外湯利用である。

一般的にあるお風呂屋さんに出かけるとして介護タクシーの利用。

ケアマネージャーに聞いたら、要介護認定者であれば介護タクシーの利用は受理できるが、要支援対象者は受理できない。

で、あれば一般のタクシー利用。

その支援にヘルパーさんは就けるのか。

これもまた不可である。

つまりは家族さんの支援しかないということである。

お風呂屋さんに連れていくのも、入浴支援するのも家族さん、ということだ。

おふくろは断固として週2回のアロンテイアクラブ通所を求める、対応に・・・区変(※家族さんの不服申し立てを受け、ケアマネージャーが申請する介護/支援ランクの区分変更願い)を区役所に申請するしか手はない、と。

11月1日付けで、もう一度再調査してもらうことであるが、その際の申請は前調査時点より容態・事態が低下した事実を訴えるしかない。

ただ単に、怖いからとか、こけそうになるとかでなく、例えば歩けるか歩けないか、のどちらかである。

例えば、壁つたいとか支柱に頼ってでも立って歩けるなら“歩ける”である。

つまりは自力歩行の可否判断である。

移動手段が、歩行器、車いすに頼らざるを得ない身体状況であれば、支援用具を要する歩行である。

例えば、その移動も不可とし、赤ちゃんのように這いずることしかできないと認められるなら要介護であろう。

介護審査の範疇は、屋内移動の在り方であって、屋外移動での身体状況は含んでいない。

だから家族さんが屋外に連れていくのは介護認定の範囲外。

そういうことだから、お風呂屋さんの入浴はどうぞ勝手に、ということになる。

要支援2に認定しなおしてもらうには、いつどんな時点でも倒れることがあるとか、いつも歩けない状態にあるということを調査員に訴え、認めてもらうしかない。

極端にいえば、嘘でもつくくらいに身体不能を・・であるが、それは無理。

事実を曲げて訴える根性は持ち合わせていない。

これ以上の協議はもうない、入浴介護の用具設置までの話に進展しないと判断されたFさんが動いた。

自宅入浴の方向性はないから、この場に介護用具専門員は無用。

せっかく来ていただいていたばらの木のNさんは、Fさんの指示で退座、引き揚げてもらった。

おう、なんてこったいと頭を抱えたのは私だが、協議は前へ進めなきゃならない。

週1回の通所サービスは、水曜か土曜のいずれかに選択する。

おふくろの希望もあって、月に1度の派遣美容が受けられるようにしてほしい、と。

そうであれば、土曜日しかない。

それしか決められなかった午後4時に解散した。

解散後、しばらくしたら玄関ドアを叩く音にハーイと返事したらFさんが立っていた。

1階の郵便ポストに入っていた封筒。

Fさん、申しわけないが開封させてもらったら赤色の要支援1だった、という。

届いた介護被保険者証を預かり、区変の申請をこれからしてきます、と。

その申請を受けた区役所から黄色の仮被保険者証が送られてくるそうだ。

区変はともかく、期待していた要支援2はない。

決まった介護支援に、私はおふくろの前に座って、家の入浴はしたくない・・ブツブツ・・外の風呂は行きたくない・・ブツブツ・・呟いた。

強情に突っぱねるおふくろの反応に泣きたくなった。

ふと、思って念のための風呂場の確認。

しばらく使ってなかったガス風呂機器は、動くのか、それとも動かないのか・・。

ガス釜は屋外のベランダ設置。

ガス供給の栓は開いている。

火点けは風呂場にある操作盤である。

その操作スイッチをプッシュして電源オンにしたら、すぐさま点火した。

ならば溜めていた浴槽の水は・・・。

温い。

なんてこったいお風呂は沸くやんか。

スイッチはなーんも固いことあらへん。

お風呂が沸くなら入浴できるやん。

通所施設のアロンテイアクラブと同じように入浴ヘルパに就いてもらったらえーやん。

おふくろは、その反応に、早口で口を挟むこともないくらいにパニック状態に陥っていた。

自宅風呂の入浴案はまたもや断ったおふくろに、ゆっくりとした口調で、いや涙をみせながら、売り返し説得したら・・・思いつめた表情から解放されたような顔で承諾してくれた。

あんなに話してくれる「皆の声におまかせします」と云っとけば良かったかも、とぽつり。

頑固な心が、解き放たれた今だ、と思ってFさんに電話をした。

おふくろが、今承諾してくれましてん。

解散したあとからよう考えたら、ちょっとチャレンジしたくなった、というおふくろの思いを伝えて、ご無礼した協議にお詫びを申し上げた。

そうしたら、明日また協議しましょ、ということになった。

担当者会議は、明日の午後5時に再協議に至り、ほっとして奈良に戻った。

31日は、午後5時から始める担当者会議の再協議。

おふくろの意思は、自宅風呂利用の入浴に固まったことからふれんど介護センターのFケアマネージャーとヘルパー派遣をするハート介護のKさんと支援方法を相談しながら具体的に詰める。

その前に、おふくろが伝えたい話しがある、と。

再調査のときの質問である。

通所サービス施設のアロンテイアクラブに通っているが、通所する患者さんの多くは車椅子補助付きで入浴している、という。

その際である。

大勢の患者さんを入浴支援されるので、介護担当者の手は、自分までまわってこないと判断していた。

まわってこないので、自分にできるなら自分で、と思って支援は遠慮していた。

自分自身の力で身体を洗っているが、本当の気持ちは背中も髪の毛も洗って欲しいのだが・・と話したら、「それ調査のときに言ってよ」と思わず口に出たFさん。

とにかく自宅風呂の環境をみましょう、ということで4人が動く。

おふくろが、圧迫骨折になる前の元気だったころの風呂跨ぎである。

洗面所が邪魔になるので、足跨ぎの際は、2口蛇口(※シャワー蛇口であるが、硬くロックした状態だから動かせない)がある側にしていた、と伝える。

介助に要る風呂場の補助具は、風呂桶の縁に一時的に取り付けられる道具がある。

ただ、現在は出はらっており、見本をもってきたいが、今はない、と。

風呂室内に座れることもできる台がある。

その台は、準備もできるが、市営住宅の浴室は狭く、相応しいものがないらしい。

できれば、市中のDIY店で探してほしい、と。

入浴ヘルパーに来ていただく日は、通所支援のアロンテイアクラブに合わせた水曜日。

時間は特に夜の決める必要もないから午後2時とする。

入浴介助は、見守り程度とし、おふくろが自分自身で風呂浴槽を跨り、また洗うことができるように見守る。

万が一、助けを要するときにヘルパーさんが介助する。

また、風呂場の洗いなどは清掃ヘルパーの範囲内とする。

翌月の11月6日は、買い物ヘルパーの日であるが、その日は要支援ではレンタルできないから買い取りになる入浴補助具の見積もりに、ばらの木のNさんに来てもらって相談する。

女性性器は洗わないと汚れやすく、入浴が週1ペースであれば、炎症を起こす可能性が高くなる。

日々入浴できる人であれば、問題はないが、週1ペースでは、一般的に尿道炎・膀胱炎にかかる恐れが高くなり、できればシャワーは必要です、とFさんに云われたおふくろがぽつりと・・。

シャワーは10年以上も前に壊れてしまった。

ガス取り扱い店に見積もってもらったら当時14万円だった。

そのことを息子たちに話したら、Kも、Yも、2万円ずつ出資すると云ってくれた。

2人の息子の出資金に親も足して12万円。

それでも足らんから、もういいやと云って断ったことがあったと云いだす。

だが、今回のおふくろは違った。

シャワーはどうしても欲しいと云いだしたからガスに関係する伝票を探した。

以前、利用していた商店は安立地区と思い込んでいた。

探してみれば、チンチン電車から、まだ東の通りにある清水町にある仲西商店だった。

見つけた伝票に載っていた電話番号に架けたら、工事できる人が動けないから、同業の杉本町にある橋詰商店にお願いしている、という。

その店にお願いするからかかるまで待ってもらって取り合ってほしい、という。

午後6時半、橋詰商店のナガサワさんから電話があった。

大和川団地の風呂環境は知っている、というナカガワさん。

見積もりするのでそちらに行きます、ということで11月2日に設定した。

戻られたFさんから電話があった。

明日にでも地域包括センターのBさんからの連絡で、契約日の調製に電話がかかるのでよろしく、との伝言である。

また、朝に迎えてくれるアロンテイアクラブの送迎担当者が、いくら電話しても繋がらない、という。

私の携帯電話でテストした結果でわかった原因は、子機にある。

普段の子機は充電器に置いておくのだが、きっちり嵌っていなくて、浮いた状態で離れている場合がある。

そのときの子機は話中になるときもあれば、稀に繋がる場合もあるとわかった。

いろいろあって本日も滞在時間が3時間。

あっという間の3時間である。

(H30.10.2 SB932SH撮影)
(H30.10.3、10、17、27、29、30、31 記)