マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

御所池之内・屋根付き家型藁積み

2023年02月08日 07時24分09秒 | 民俗あれこれ(干す編)
この年は、コロナ禍の影響を受け、2月8日からはじまった「きまぐれや写真展2021 💭リ・ビュー -もっぺん見たい大和の年中行事―」。

会場は、大淀町大岩に営業している平日だけのモーニング喫茶きまぐれやさん。

目的地は、まだまだ先になるが、直線的な道路を走っていた。

10日ほど前の2月17日。

御所の玉手辺りからの雪景色を愉しんでいた。

そこからすぐ近く、北に数キロメートル先だった。

2月の田園に見るものなく、拡がる田園地を車窓から眺めていた。

ハッと気づいた構造物。

アレは藁積みではないか。

思わず急停止し、Uターン。

東に向かう道筋に入ったそこに見た藁積み。



ここ数年前から、家形の藁積みに興味をもって記録、取材してきた。

特に、といえば大和郡山市の田中町とか小南町、豊浦町、池之内町、小林町北、小泉町東辺りに多く見られる藁干しのあり方。

この藁積み構造に名はあるのか。

あれば、田主さんはどう呼んでいるのか。

また、干した稲藁の用途はなにかである。

この家型藁積みは、どこにでもあるというモノでもない。

極めて狭い地域にポツンと見ることがある。

ここ池之内の田園地をぐるり見渡してみたが、遠くの存在もないとわかる。

仮に、池之内集落に農業を営むなかで、ただ一軒しかこの家型藁積みをしてないのなら、藁積み文化はどう伝わったのか知りたいものだ。

ちなみに、大和郡山に家形藁積みをされている用途ははっきりしている。

調べてもらったらわかるが、大和郡山はいちじく栽培農家が多い。

池之内町~満願寺町辺りが栽培の中心地。周辺地区は、稲刈りを終えて干した稲藁は、いちじく栽培農家に移し、栽培地の畑に置かれる。

畑地を乾燥させることなく、いちじくの生育に、需要な役割を果たしている。



ここ御所市の池之内には、いちじく栽培地のように大量の稲藁は必要としない。

おそらく田主さんの畑地乾燥防止用途に溜め置きをしているものと推定する。

(R3. 2.26 EOS7D/SB805SH撮影)

大淀町大岩・モーニングだけの喫茶店 きまぐれや写真展2023 💭リ・ビュー ~ もっぺん見たい大和の年中行事

2023年02月07日 07時42分36秒 | しゃしん(平日喫茶きまぐれや展示編)
大淀町大岩の地に営業されている“モーニングだけの喫茶店 きまぐれや“

コロナ・パンデミックの闘いがはじまった2020年。

その年から毎年の2月に写真展をさせてもらっている“モーニングだけの喫茶店 きまぐれや“。

今年、4回目の写真展は・・・ ~ 民俗の憧憬(しょうけい・どうけい) ~ ” after-コロナに・・”

今年こそ、今年こそ、と願ってきたコロナからの解放。

一歩も、二歩も前進しようとしているこの時期に合わせ、思いを込めた映像を選びました。

また、前年の県立民俗博物館・大和民俗公園施設の茅葺民家に展示した「私がとらえた大和の民俗⑩ ~コロナ禍、その時のT家 ~」写真から、特別に選んだ貴重な民俗を2L版に印刷し、さりげなく窓置きしています。

是非とも見ていただきたい民俗写真。

数年後には、みな中断される可能性も考えられる貴重な映像です。



展示期間は、令和5年2月1日(水)から2月28日(火)。

ただし、営業時間は、午前8時から午後1時のモーニングタイム

また、営業曜日は、月曜日から木曜日の平日(※23日祝日は営業されます)

ちなみに2階は、買い物にまよう魅力的な雑貨販売フロア

お昼は、いつも美味しく食べているワンコインの日替わりスペシャルモーニング



今日は、美味しいドッグ、飲み物はアイスコーヒーにしました

初日の本日に設営協力いただいた20年来の知人。ご夫婦とともに来てくださいました

この場を借りて感謝申しあげます。

(R5. 2. 1 SB805SH 撮影)

大岩に移住された古民家にさまざまな民俗用具を観る

2023年02月06日 08時25分49秒 | 民俗あれこれ
「おおいわ結いの里」に出会った民俗用具

うちにはもっとたくさんのモノがあると云ってくれた管理人のNさん。

ここ、と案内してくれたお家は古民家。

数年前、大阪から移住されたN夫妻が、現在の所有者である。

元々の住民が遺した民俗もあれば、Nさん夫妻が大阪から持ち込んだ民俗もあるらしい。

案内の道すがらに見た格子窓の家。

生活されているのかどうかわからないが、廊下にそっと置いている懐かしい道具が格子越しに見えた。

若い子たちは、見たこともないと思われる火鉢。

私が大阪に生まれ、暮らしていたバラック小屋のような木造市営住宅。

戦時中に見舞われた米国軍による大阪・大空襲にみな焼けた罹災者が移住した居住地に生まれた。

小学生の何年生だったか、記憶は遠い昔。

その家で祖母は和装つくろいをしていた。

どうしたのか、それは知らないが、水に濡れた綿を火鉢周りに置いて乾かしていた。

やがて乾きになった綿が、ふっと燃えて上昇した映像だけは脳裏に焼き付いている火鉢の思い出。

沸かしたお茶もそこでチンチンの音が鳴っていた。

そんな、かつての暮らしの情景がふっと蘇った火鉢。

ストーブは、とても重たい鉄製のガスストーブ。

大阪ガスの製品だった。

近年に見た鉄製(※鋳鉄)のガスストーブは、県立民俗博物館に展示物品として並べていた。

同じ型式ではないが、ネットにあったむちゃ重たい鉄製のガスストーブ

その鉄製ガスストーブが、えらいことになった。

ストーブに暖をとっていたそのとき。

いきなり接続していたガスの管が外れた。

ガス管の先。なんと焔が・・。

まるでバーナーのような勢いで火を噴いている。

その勢いで、管の先が、蛇のようにくねくね曲がる。

まるで生き物のように・・・

こりゃえらいことになった。

中学生だった私はオロオロするばかり。

と、そこに2歳下の実弟次男がとった行動は実に沈着冷静だった。

止まるまでの火吹きのガスホースはくねくね動き回る。

足で踏んで止めようとしたが、そりゃ無理。

火吹きのホースを両手でもった次男は、90度以上に折り曲げてガスの噴出を停めた。

火吹きの状態は落ち着き、ガスは止まり、火も出なくなった。

元栓を締めに走った私であるが、腰が抜けるほど緊張感が走っていた。

その私をさておき、次男は緊急対処に自信をもった。

およそ55年以上も前の体験。

原因は鉄製ガスストーブに接続するガスホースの管止め器具がうまくはまってなく緩んでいたことによるもの。

その後に開発されたコンセント型ガスソケット・ガス栓カチットの登場により安全性が飛躍的に高まった。

カチット製品が登場するまでの期間は、二度とそのようなことが起こらないよう、安全に安全を点検するクセがついた。

ここで長話になっても仕方ない。

足をあげてN家の古民家に向かう。



辻にあった常夜燈2基ある。

正面から見た左側に建つ常夜燈。

「古座中」に目が動いた常夜燈は「八幡宮」。

もしかとすれば、であるが、大岩に宮座があったのではないだろうか。

黒田一充論文「関西大学博物館着紀要」・『奈良県庁文書の宮座調査資料』がある。

『昭和十一年祭祀並宮座調』と、『昭和四年大和国神宮神社宮座調査』史料から調べられた当時の調査データからは、大岩の宮座は収録されていない。

尤も、大淀町に記載があったのは、大淀町増口・水分神社だけしか記録されていない。

増口の宮座は「大字上市宮座に12人。増口宮座は最年長者が当番神主」に就くというだけだ。

座名も記載されていないので、詳しくはわからないが・・・、大淀町の他大字については全く記載がない。

たぶんに県庁から求められたアンケート調査に回答されなかったのであろう。

気になる大岩の「古座中」。

古座があれば、新座があってもおかしくない。

大岩は、かつて西の大岩に東の大岩の2地区であった。

たしか2地区それぞれにお寺さんがある。

東に大蔵寺、西は西照寺があるから、神社も同じように、東に大岩神社、西が八幡神社であろう。

実は、撮った常夜燈の右側にも石塔がある。

比較的、新しく建之された感のある石塔正面に刻印もなかったので記録に留めなかった。

そういえば撮った左側の「古座中」もどことなく不思議さを見せる。

「古座中」の刻印があるその下の台座と石塔にのせている笠・宝珠との風合いが異なるのだ。

機会あれば、尋ねてみたい大岩の文化歴史のひとつである。

その辻から少し歩いたところが、移住した我が家だというNさん。



その角庭にあった井戸に目がいった。

生活感のある井戸は、現役であろう。

木の蓋に井戸水を汲みあげる電動ポンプがある。

かつては手押し式の井戸水汲み。

その当時以前は、釣瓶(つるべ)式の水汲み。

時代文化とともに使いやすさが暮らしを豊かにしてきた。

この日は、時間的な余裕もなく、N家に拝見したい民俗用具を先行するが、古き井戸を守ってきた当主とは、是非ともお聞きしたい「井戸替え」と「井戸神まつり」がある。

N家の門をくぐったそこにあった大量の物品。



なにからなにまでごった返し状態。

N夫妻がかつて集めたさまざまな民俗道具に埋もれそうな情景である。

興味そそられる数々の民俗用具をじっくり見ていたいが、今はその余裕はない。

ただ、その用具の中から、是非とも撮ってほしいと、視線を感じた木製の彫り物。

さりげなく置いていた彫り物は、長寿の印し。



表情豊かに、微笑みの高砂人形尉(じょう)・姥(うば)の板彫りである。

こっちに行くと玄関、と案内されたそこにドーン。



存在がすごいこいのぼりの支柱。

ながーい木(※長生き)の呼び名がある、かつて杉の葉を天頂にもっていたこいのぼりの支柱である。

くぐりかけた玄関の真上に見た記念のしゃもじ。



墨書名は、先代の住民であろう。

県内事例にある民家住民の祝い事は八十八歳の米寿の祝いのしゃもじ。

あるブロガーさんは、桜井市金屋に見たしゃもじは、長寿祈願若しくは御礼とあった

ある工務店さんが歩いた初瀬街道。

名張市の鹿高集落に見つけたしゃもじはテハンも・・・

尤も、テハンなら私も記録した室生下笠間の事例を公開している。

玄関くぐってすぐ、いきなり見上げた天井。



木製の梯子を据え付けていた。

2階にあがる梯子は垂直立て。

非常用の梯子でなく、物の上げ下げに使う梯子だろう。

なんせ、まだ居住してから月数が経っていない。

一部始終がまだわかってない、という。

一間に一歩入ったそこにオクドさんとも呼び名がある火焚きの竈(かまど)。

竈よりも先に気づいた天井につくられた構造。

竈の煙を排出する煙突の先にあった。



古民家にあがるとき、常に見てしまう天井の構造。

そう、ここにも見つかったススダケを据えた構造。



竈や囲炉裏にくべる焚き物。

燃えた火にくすぶる煙が上昇した天井に煤がたまる。

もともとは女竹(めだけ)と呼ばれる竹に煤が付着しているから、煤竹(すすだけ)と呼ぶ。

その煤竹の隙間に木材の欠片。

たぶんに杉皮だと思うが・・

さて、竈である。

タイルを貼りつめた竈は、そんなに古くないが、なんとも不思議なカタチ。

半円に切りとったかのように思えたお釜が気になる。

半円球のような形の古釜は、茶釜のようなぶつぶつ凸凹はないが、鋳物製の飯炊き釜。



なんやら文様が見られるが、判別不要。

こんな形の羽釜(はがま)は、これまで見たこともない

蓋を取ってみたら、なんだ、というかもしれない。

その蓋に置いた道具は拍子木。



今もきれいな音が出る拍子木に、思わず詞がでてきた「火のようじん~カチカチ マッチ一本 火事のもと~カチカチ ・・・」。

腰を下ろして見た竈の焚口。



これもまた鋳鉄製であるが、なんと「火の用心」と漢字の文字があった。

素晴らしい「火の用心」の文字に、毎日の火焚きに注意を払っていたことだろう。

火場にある竈に見た「火の用心」は、確認できたが、護符はない。

まあ、出入り口の玄関内部にもあるのでは、と思っていた逆さ文字で書かれた「十二月十二日」の護符。

泥棒除けの護符であるが、移住されたN夫妻は、泥棒除けの護符も「火の用心」も知らない、という。

大阪吹田出身の旦那さん。

千里ニュータウン開発や仕事柄、万博事業にも絡んでいたそうだが、護符は知らない分野。

生まれ育った地域に見られなかったようだ。

その玄関表にあった紐引きカウベル。



そして、生まれ故郷の淀川に泳いでいた地域に見たことがある竹製のモンドリ。

大きな仕組みだが、さて何の魚を採っていたのだろうか。

(R3. 2.17 EOS7D/SB805SH撮影)

おおいわ結いの里に出会った民俗

2023年02月05日 07時30分18秒 | 民俗あれこれ
お土産に、東京成城石井特選銘菓の「春のおこし」をいただいた平日だけのモーニング喫茶きまぐれやから、施設「おおいわ結いの里」に移動する。

距離にして200メートルくらい。

まだ、駐車場は未整備だが、先週まで開催していた奈良県障害者大芸術祭・ブライベート美術館、「おおいわ結いの里」のときにあった仮設駐車場に車を動かした。

ここ大岩の雪に埋もれるおおいわの里に停車した場が仮設駐車場。

看板はなくなったが歩いていく道。



農小屋に冷たさを象徴する”つらら(氷柱)”があった。

雪はほぼほぼ溶けたが、つららはピーンと張ったままだ。



玄関横に置いてあった木桶。

来客を迎える花活けに使っていた木桶に墨書がある。

判読した墨書は「下市樽吉作」の担ぎ桶。

年代記銘に「昭和弐拾壱年九月三日新調」。

「上(の)喜多所有」と、ある。

帰宅してから調べたネットくぐり調査。

おそくら高取町製薬会社の喜多製薬ではないだろうか。

民俗用具資料としても貴重な道具であるが、実際はどのように使用されていたのか、今では尋ねるすべもない。

さて、「おおいわ結いの里」の受付、施設管理されている管理人のNさんにも、二人の写真家を紹介しておこう。

ともに民俗を調査、撮影している写真家。

目につくもの多く、話題の拡がりになかなか前に行かない。

Nさんが受付していた、そこにも民俗の用具があった。

これまでの体験では見たこともない箱。

よく見れば、置き薬・配置薬の薬箱。



意匠図案は間違いなく名古屋城であろう。

名古屋製剤社製配置人まるはち商會、とあった木箱の薬箱の現在は、「おおいわ結いの里」の受付に利用している。

入室料にいただく受付金銭箱。

用途はずいぶん変わったもんだ。

別途にあった紙。



これもまた名古屋製剤社製配置人まるはち商會が、訪問するお家が、希望される配置薬の種別を指定する要望注文票である。

顧客と配置人が交わす注文書であるが、若い人には、さて何のことやら、であろう。

大広間にあがった二人。

履き心地を確かめたくなって試着した。

カラフルな色柄にお好みを選んだ室内履きの足半(あしなか)。

思う存分に足が動くようだ。

世の女性の大半が欲しくなる足半(あしなか)。

管理人のNさんがつくって、世間に拡げる会の催しも計画している、という。

蒙古襲来の鎌倉時代。

草鞋の機能に草履のカタチ。

草履にかかとの部分のないカタチが足半(あしなか)

関東武士によってつくられ、普及した足半は、飛脚に農民まで利用していた、とある。

織田信長は、合戦に向かうとき腰にぶら下げ、手柄を立てた者に・・。

ちなみに東京・上野に建つ西郷どんの銅像に足半(あしなか)が見られるようだ。



履き心地に満足いった二人は、即時購入された。

(R3. 2.17 EOS7D/SB805SH撮影)

きまぐれや写真展2021 💭リ・ビュー・屋外は白の世界、室内は暖かく

2023年02月04日 07時35分18秒 | 大淀町へ
きまぐれや写真展に二人の写真家も同行してくれた。

ここ、大淀町大岩に食事処を営業しているオーナーさんの紹介が目的。

大岩の里山風景、白い雪に覆われた情景を撮ったあとは、写真展会場の平日にモーニングだけを提供する喫茶きまぐれやに向かう。

喫茶店への入り口まで。

レンガ造りのアプローチ周辺は真っ白け。

この道、実にいいね!である

入店して紹介する二人の写真家。

写真家Kさんは、私の写真展続きに3月に展示する。

展示作品をどう会場壁面などにどう配置するのか、展示様式を模索中。

判断材料に同行した。

もう一人の写真家Sさんは、状況確認。

展示会場の利用判断に、二人ともオーナーのMさんに紹介した。

室内は暖房いれているからぬくぬく。

中庭を見れば、なんと真っ白な樹木に驚く。

まるで”なんじゃもんじゃ”の樹のように真っ白。



真白な花を咲かせる”なんじゃもんじゃ”のように思えてしまうほどの姿。

持って帰りたくなる冠雪状態の樹木。

そういえば、名も知らず、だった。

入口ドアを開くそこは木造テラス。



ロッキングチェアがある関係に外の風景もまた、いい!。

食事は、スペシャルでなく名古屋からお取り寄せしている小倉つぶ餡が美味いバタートーストをいただいた。

希望する飲み物。

二人はスペシャル。

私は一杯が350円の飲み物にサービスが、小倉つぶ餡バタートーストが付加されるドリンクオーダー。



この小倉餡が、むっちゃ旨いんだよなぁ。

展示作品を見て、2階にあがって雑貨求め。

お気に入りに洋服も買ったKさん。

目移りするほど多い雑貨売り場のフロアー。

すっかり気に入ってしまった。

会場に食事されていたうちのおひとりが、展示作品に興味をもたれた。

それもそのはずの現役の能面仏師。下渕在住のIさんは昭和22年生まれ。

これまで、談山神社など、各方面につくった能面を奉納している人物。

茂山狂言師や大倉猿楽師らと懇意されている夫妻だった。

オーナーさんに写真家二人。

三人そろったらかしまし、というのはほんとだね。

よりにぎやかになった平日だけのモーニング喫茶きまぐれや。

そうそう、ここ大岩にもう1カ所。

見てもらいたい施設「おおいわ結いの里」がある。

NPO法人を立ち上げたら、本格的に活動する、と聞いている「おおいわ結いの里」に場を移動する。

(R3. 2.17 SB805SH撮影)

白い情景にほっこりする大淀町大岩の里山冬景色

2023年02月03日 07時58分54秒 | 大淀町へ
強い風に、冷たい空気に我慢できず、温もっていた軽バン車に乗車した3人。

心が落ち着いたところで再出発した。

向かう目的地は、大淀町大岩。

この日は、私がとらえた過去の写真を展示する写真展「大淀町大岩・きまぐれや写真展2021 💭リ・ビューin喫茶きまぐれや」会場にお連れした。

会場に到着するまでに撮っておきたい、今とっておきの雪降り状態。

なにもかもが真っ白な姿に変身していた。

見慣れていた大岩の畑地。

わずかに残る野菜の色に育てる環境つくり。

田主の姿は見なくとも、美しい情景を記録したい。

そう思って、広地に停めた高台。

畑地もあるが、ここから見える会場はすぐそこ。

手に取るような近さ。

畑地ではない広いアプローチは、大淀町のパークゴルフ場

当然ながら、打つ人、パークゴルフを愉しむ人たち姿は見えない。

ここら辺りに住む小動物もいない冷たい世界に音もなく・・・

右手に赤い花。



白い綿のような雪に包まれた紅梅が美しい。



大きく、紅梅だけの姿も撮ってみたが、やはり遠景に佇む姿がえーように思えた。

少し離れてみた白色の紅梅もまた、佳し。



同じ位置で撮った携帯画像の方が、どことなく風情を感じる。

さまざまな状況に、いろんな角度から紅梅を撮っていた。



畑地に必要な水溜めも民俗の一景。

民俗と、いえばいちばん気になる筵干し。

畑地の柵に垂らした筵が2枚。



風除け、雪除けにも役に立たないのでは、と思った筵垂らし。

民俗のある風景写真は、私の好きな一枚になった。

(R3. 2.17 EOS7D/SB805SH撮影)

御所玉手・風雪に耐えられんから超短時間撮り・・・

2023年02月02日 07時58分30秒 | 御所市へ
出発したときは、雪の気配なんて、まったくなく穏やかだった道のり。

その状態が一変した。

京奈和道を南下していた。

高速道を一旦は降りて一般国道を走る、

再びのった高架道は、1車線。

御所ICを下りるころから暗雲立ち込める。

雨だとおもっていたが、そうではなかった。

西から吹く強い風に雪が舞う。

あっという間に、辺りは真っ白。

御所の玉手のころはえげつない強風。

玉手駅も集落も霞むほどの降る雪。

とにかく寒い。

寒いけど写真撮ってみるかい、と尋ねた反応。

同乗していた二人とも撮りたいと云って車外に飛び出した。

さすがに寒いし、冷たい風に数分ももたない。

あわよくば、鉄道だけに電車が降りゆく雪から走ってきたら・・・



そんな情景を待つ余裕などなく、心が折れて、再び乗車し再出発した。

目的地は、まだまだ先。

降りやまない雪道にスタッドレスタイヤは大丈夫だろうか。

(R3. 2.17 SB805SH撮影)

榛原栗谷・春日神社に見た節分御供の福豆

2023年02月01日 07時29分25秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
涅槃会が行われていた榛原栗谷の大念寺を退座。

寺から近い位置に鎮座する春日神社に移動する。

来年の春日神社は、数十年に一度のゾーク(造営事業)になる、と話していたIさん。

塗師を探してほしい、と願われた。

近隣村の安田は、3月にゾーク。

馬に乗る武者姿の鍾馗さん。

隣村の笠間に塗師は居るが、尋ねてみたら忙しいからか、断られたそうだ。

少し離れる隣村の長峰もゾークのときに綺麗にしやはったけど、笠間の塗師。

村に、たいがいは一人の宮大工が居る、と思っていたがそうでもなかった。

ゾーク対象となる社殿を、塗り替え、綺麗にする塗り仕事師は、そうそう居るワケではない。

だからあちこちの村から依頼される。

この地域付近に存じている大工棟梁は、榛原雨師に仕事場をもつKさん。

笠間のSさんに教えてもらったゾーク。

その地が雨師。

たまたま尋ねた方が宮大工を営むKさんだった。

Kさんは、数週間後に行われた雨師に鎮座する丹生神社の造営事業に棟梁頭としていかんなく力を発揮。

上棟祭主軸の儀式に、工匠長。祝詞奏上から振幣の儀、工匠長盃の儀、丈量の儀、墨入れの儀、手斧の儀、鉋の儀。槌打ちの儀に「セーンザーイ トウ」、「マーンザーイ トウ」、「エーイ エイ トウ」、曳綱・・・

目出度い儀式もされる工匠長のかっこいい姿は、今でも脳裏にこびりついている。

探してくれの願いに答えることはできなかったが、ゾークを前に春日神社の今日を拝見したくなった。

神社側から見た大念寺に村の人たちの車はまだあるから、片付けに入っているんだろう。



参拝に立った社殿下。

現状の社殿絵は、背伸びしても見られなかったが、足元に見つけた節分の印があった。

袋のままの福豆。



カラスに喰われることなく、一週間も経った今も見られた福豆。

節分の日に何人かが、参拝に供えていた。

(R3. 2.11 EOS7D撮影)