マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

城町・東城のカンピョウ干し

2023年09月20日 07時54分16秒 | 民俗あれこれ(干す編)
今日は土用の丑の日。

あっちこちのスーパーで販売している鰻。

これでもか、これでもかと映し出す鰻の蒲焼に、鰻重、鰻丼、鰻巻き・・・。

思い切って、今日のお昼は鰻一匹売りの蒲焼を買ってきて、といわれて走ったスーパートライアル小泉店

あれこれ買って帰ってきた大和中央道。

城大橋行きの信号を渡った右手に、白いものが目に入った。

量は少ないが、これはカンピョウ干しに違いない。

そう思ってハンドルをきって右折れ。

右手に東城公民館が建つ位置から眺める白い干し物。



近づいて確認した白いものは、まさにカンピョウ干し。

大和中央道が完成、開通するまでは、まったく気づかない位置にあったカンピョウ干し。

これまで拝見してきた県内事例のカンピョウ干しは、もっと多いし、長さがある。



皮むきの道具は、おそらくカンナでなく、包丁切り。

その推定は、どんぴしゃ。

農小屋の前に放っていたカンピョウ剥きの残欠。

玉のユウガオも小さいような気がする。

竿は太い竹竿。



3本の木で組んだウマを立て、水平に据えた竹竿。

私が見てきた事例は、すべてが藁巻きだったが、ここにはそれが見られない。

尤も、竹には油があるから干したカンピョウは剥がしやすい。

理にかなった竹竿干しもまた民俗、暮らしに工夫がある。

面白いことに、すでにカンピョウ干しを済ませて、ひも状になったカンピョウを編んで束ねた形のものがある。



保管しやすいような形にされていた事例。

細切れになったカンピョウも美味しくいただく食材。

捨てるところは、ない、といいたいが・・。



実は、剥いた皮は、トウガンとかスイカの皮と同じよう、漬物にする家もある。

種は、場合によっては売り買いされ、金になる種。

カンピョウの種は接ぎ木に利用されるのだから、もっと栽培されてもいいのでは、と思うが、そうは簡単にはいかないらしい。

もう一度、きちんと撮っておきたいと思って鰻を食べた食後にもやってきた東城のカンピョウ干し。

撮ろうとしたときに出会った軽トラを運転していた農家さんに出会った。

お声をかけたのは、水路で何をされていたか、である。

S・Aさんは昭和18年生まれ。

2月1日の朝方にしている粥占いで知られる奈良市石木町に鎮座する登彌神社の氏子さん。

ここ城町・東城は大和郡山市。

実は、登彌神社の氏子区域は、ここ旧城村(東城・西城)に、行政区域が奈良市の石木町、大和田町の3町からなる。



今年の豊作を占った粥占いの結果は、東城公民館に貼りだしている。

78歳のSさんがいう旧城村の東城(ひがしんじょ)、西城(にしんじょ)。



江戸時代のいつごろであったか、はっきりしないが、ここら辺りの富雄川はよく氾濫したそうだ。

氾濫に水ツキに対策したのは、集落ごとの高台移転である。

東城、西城とも高台移転。

川の氾濫に旧村の城(じょう)は、そのことがあって、東西が離れ、分断した、ということだ。

氾濫が絶えなかったかつての富雄川は、ここ旧村の城から小南、豊浦、杉、番条を経て秋篠川に繫がっていた。

殿さんが令をだした大規模な河川付け替え工事。

今では富雄川は、ここ城からは、外川、田中、万願寺を経て南に流れる河川に。

そして大河の大和川に繫がり、現在に至る。

話題は、カンピョウ干しに戻そう。

話してくださったSさんによれば、ここ東城では3軒ある、という。



うち1軒が、今撮影させてもらっているS家。

苗字は同じだが、家は異なる。

我が家の息子と同学年だった学友の家も同じS家。

他にもS家が何軒もあるから、尋ね間違いは、多々あるらしい。

実は、話してくださったSさんも、またカンピョウを干しているそうだ。



昨年は、長雨で失敗したが、今年は梅雨明け一気に照りが続く日。

皮を剥いたカンピョウ干しは1日で竿から下ろした。

完全に水分を抜くために、それからも数日間も乾燥させるが、平らなところに広げて干す、という。

うちも、ここと同じようにウマを設えて水平にかける竹竿。

竹といっても青竹でなく、カラカラに乾燥させた枯れ竹。

剥いたカンピョウは、水分があるから、枯れ竹に垂らして干したら、くっついてしまい、剥がすのが難しくなる。

その対策にしているのが、藁巻きである。

かつては麦藁。

麦作りをしなくなってからは稲藁を巻いて干したそうだ

ところで、お昼前に稲地の水路に来られたのは、何をされていたのか・・。

実は、一週間前に水路を断って、堰を止め、土用干しをしていた、という。



田んぼの水を切った稲地はカラカラに乾く。

日干しの田んぼにひび割れ。

乾ききった田んぼの稲は、根の張りを強くする。

大風にあたっても倒れないように根をわざとはらす仕組みが土用干し。

水出しの日程は、地区ごとに水利組合が決める。

今日がその日だという78歳のSさん。

ここは、補助金をもらって休耕田施策にコスモス畑を栽培している。



「城町環境保全組合花畑」を表示しているのは、その施策を伝えるためでもあるが、道行く散歩の人たちが、「綺麗ですね」と言ってくれたときの気持ちが嬉しくて、続けている、という。

今の時季、コスモス花は、まだ少ないが、多くなってきたら、どうぞ切り花に使ってください、と伝えている。

一人、数本程度なら、どうぞお持ち帰りください、である。

今の時季、数は少ないが、猛暑日に咲くコスモスを前景において、カンピョウ干しを撮っていたが、これまで何人もの人たちが、コスモス花の群生を撮っていた。

が、カンピョウ干しを入れる人は初めてだ、という。

秋ともなれは、小山に植えている柿の実がいっぱいできる。

その柿をもぎ取って吊るしカキを作っている。

軒下に干しているここら辺りの家はあちこちに見られるが、うちは地産地消、産直市場のよってって大和郡山店に商品の吊るし柿を出している、という。

その時季になれば、吊るし柿の景観も撮らせてもらおう。

ちなみに「城町環境保全組合花畑」の前を流れる水路に思い出す。

小学校帰りの次男は、たいがいこの水路に入ってじゃぶじゃぶ・・・泳いだわけではなく、水生動物捕り。



主に捕ってくるのはアメリカザリガニ。

ときおりはカメ。

イシガメだったか、ミシシッピアカミミガメだったか、記憶は曖昧であるが、持ち帰ったザリガニもカメも飼っていた金魚がいなくなった水槽に・・。

生きながらえたザリガニもカメも数年間。

冬越しに落ちていた葉っぱを集めて水槽に入れていたら、そこに潜っていた。

春になったころ。腐葉土のようになった葉っぱを取り除くと、ザリガニもカメも生きていた。

そのままずっと、いうわけにはいかず、富雄川に生きる道を勧めた。

それから10日後の8月8日に出会えたカンピョウ干しの田主さん。

夕刻、業務スーパーににんにくを、と思って車を走らせたらカンピョウ干しの男性が見えた。

行き先は後まわし、勝手に写真を撮って勝手に公開、アップするわけには行かないから表敬訪問、自己紹介に撮影の主旨を伝えたら了解された。

s24年生72歳のS・Yさん。

母親は生前にカンピョウ作っていた。

場は高専向こうの城ケ丘住宅地。

かつては田畑が拡がる地だった。

また旭ケ丘住宅地に食料品店を営んでいた大牟礼さんが入居するまであった田畑で耕作していた今から50年前の田畑。

母親が亡くなってから辞めたカンピョウ作り。

S・Aさんに教えてもらって30年ぶりの今年初の収穫に干した。

日当たり良好すぎてデキは思ってより難しかった。

カンピョウの栽培地は柿山の辺り。

このときに干したカンピョウは友達にもらったものなど、いろいろ話してくださった。

(R3. 7.28 SB805SH/EOS7D撮影)

実弟が贈ってくれたサッポロ・エビスマイスターギフト用限定瓶詰めビールを飲む肴は五郎藤うなぎ

2023年09月19日 07時51分48秒 | もらいもの・おくりもの
おふくろを乗せて、数年前に立ち寄った大阪・泉佐野漁港の青空市場

売り場に、それはそれは美味しい海鮮もんがいっぱいある。

おふくろの希望、かーさんの食べたいものを買っていた。

これは食べたい、と思ったが諦めた魚は、おふくろが最も嫌いなうなぎだ。

買えなかったが、しっかり覚えた店内焼きのうなぎ調理していた店名は「五郎藤」。

大正十五年が創業の「五郎藤」。

大阪・堺の名物、国産の鰻にこだわり販売してきた「五郎藤」の鰻店の店名だけは頭に入れていた。

なんと、その「五郎藤」の鰻が、ご近所にあるスーパートライアル小泉店に売っていた土用の丑の日。

お値段は、いうほどお高くない。

もっとも大きさは“大”サイズ。

超特大サイズなら、躊躇う価格帯。

鰻を食べるなら、私がいないときにして、と云われていたおふくろが不在時間帯。

この日は週に2回出かける通所リハビリ施設。

鰻など見たくないおふくろ。

鬼の居ぬ間に食事摂っても、ええんよと事前許可済み。

と、いうことで、かーさんと食べるお昼の食事は五郎藤うなぎ。

そこに、なんと実弟が贈ってくれたサッポロ・エビスマイスターギフト用限定瓶詰めビールが昼前に届いた。

いつも、発泡酒じゃかわいそうやん、たまには上等もん、本物のビール。

プレミアム・エビスマイスタービールを呑んでや、と・・・



ありがたく受け取ったプレミアムビールは、夜に呑むとして、お昼のうなぎのかば焼きには、見るだけーーー❣

肴は、どうやらプレミアム・エビスマイスタービールに転じ、めっちゃ旨い「五郎藤」の鰻を味わった。

お皿に盛って、たれいっぱい落として食べた「五郎藤」の鰻。

レンチンでも美味しく、ほくほくの味。



ひとかけだけは、ご飯にのせて食べる。

うなぎのたれもたっぷり漬けて食べたら、ご飯も美味しい。

お昼から、もうたまらんわー。

その味、この味を記憶したまま夜に飲んだエビスマイスタービールが旨い。

やっぱり、ほんまもんのビールは味もホップやし、コクもある。

なお、実弟の嫁さんからは11種セット詰め合わせ「京つけもの西利の京漬物」



お義母さんに、と贈ってくれた。

(R3. 7. 9、27 SB805SH撮影)

大塩・七日盆習俗に尋ねた刺しさば食の記憶

2023年09月18日 07時52分15秒 | 山添村へ
お盆の行事に墓参りがある。

10年ほど前に聞いていた山添村大塩の行事。

習俗に「七日盆の墓掃除がある。盆入りに前の7日は、墓掃除、綺麗にして先祖さんを迎える」。

下見に訪れた、この日に出会った村の人。

これまで何度も取材してきた大塩の年中行事に度々お会いしたことがあるKさん。

七日盆の墓掃除の件を尋ねたら、8月初めの日曜日だという。

午前中に墓掃除。

午後に七日盆の井戸替え
作業がある。

七日盆から尋ねた、お家の盆行事の刺しさば。

かつては同村、北野の大矢商店で買っていた刺しさば

両親が揃っていたころにしていたお家の行事。

買った刺しさばは2尾。鰓(※エラ)に差し込んだ刺しさばを供えたあとに食べていた。

両親が健在だったころだからずいぶん前のこと。

いつしかサバからトビウオに切り替えた。

購入先は、割合に近い県境を越えた三重県の上野にあった魚屋さんで買っていたそうだ。

これまで聞いた事例に、刺しさばでなくトビウオ地域があった。

同村の桐山、岩屋、遅瀬に大西。

山添村でなく桜井市の箸中もトビウオだった。

他にもあるのでは、と思っていたところに、ここ大塩もそうだった。

刺しさばを売っていた大矢商店の店主も、「昔はトビウオだった」と・・

地域全体が、そうだと言い切れない食文化。

それぞれのお家によって異なる。

Kさんの事例がまさしく、そうである。

そうだ、お盆の前に調べておきたい三重県特有のトビウオ調査に、さあ、出かけてみよう。

平成23年8月13日に訪れた山添村菅生の庭に設える餓鬼棚

籠を伏せるような形式は、珍しく貴重な民俗。

そのときに話してくださったお盆に供え、家族が口にする刺しさば民俗があった。

菅生もまたトビウオ文化。

刺しさばもあったといいうから二通りの習俗。

重なった時代があったのだろう。

桜井から来ていた行商が売っていた魚は加工した塩干魚。

塩干のヒダラも売っていた。

伊勢で仕入れた、というトビウオは名張経由の行商。

2尾のサシサバ、トビウオ、ヒダラ。

いずれにしても両親が揃っている家ではそれらを食べていたという。

食する民俗にお盆の習俗が合わさった民俗。

その魚を運ぶ流通、販売。加工に漁港まで遡る文化があったからこそである。

来月に調べたい刺しさば売り場。

三重県名張に足を運んで調査する予定を入れた。

先に訪問、三重県名張の刺しさば調査に出かけるにあたり、店舗の裏で自家製の刺しさばをつくり、お店で売っている都祁白石の辻村商店の店主にご挨拶をしておこう。

ところで、ここ大塩に訪れた行事調査は、他にもある。

この日の午後4時過ぎに訪れた大塩。

たまたま大塩・観音寺の月詣りに来られていた女性に伺った。

墓掃除などをしていた分家のみねだ、という婦人の話によれば、24日は、極楽寺石塔墓地の「盆入り行灯」。

さて、聞きはじめの「盆入り行灯」とはなんだろうか。

山添村に極楽寺がある大字は切幡。

虫送りの出発に極楽寺に灯しているローソクのオヒカリを松明に火移しする寺である。

また、正月はじめに行われるオコナイ、と呼ぶ初祈祷行事を営まれる極楽寺。

そういえば、お盆の行事は、詳しく聞いていなかったなぁ。

また、31日の「水無月」に仏壇素麺供えも聞いたことがない。

盆の三が日に供えるのは、いつも決まっているが、他家とは違うかも。

そこで尋ねたサシサバも知らないという婦人。

家族の一人が亡くなったら墓石を建てるが、某家なんかは30墓もあるもんだから、それぞれにお花や供物を用意せなあかんし、並べるだけでもたいへん。

虫送り祈祷に北谷住職も来られていたが脳梗塞を患った関係で、息子五人は仏僧に。

代わりに先日の大般若経を務めたのは、針観音寺の息子さん。

そういえば切幡は松明で虫送りするが、大塩は北谷さんに書いてもらった虫送りの祈祷札である。

それは川に流す札や、と思い出した農休みの虫送り

村の周りの四方に竹札を立てるのは大般若経転読法要後の風の祈祷札立て

立てる場所は4カ所。

実にわかりにくい藪の中にも立てていたことを思いだした。

それから伺った、行事取材に何かとお世話になったYさん。

車を停めて登る坂道は急こう配。



ちょっと登っては休憩。

何度も休憩した集落の入口から、行事なくとも幾度か訪れるようになったお家に向かったが、生憎の不在だった。



そのことを隣家のKさんに伝えたら、さっきに家を出たばかり、電話したらどう、といわれてコールしたら三重県・名張に用事があり、お出かけ中。

久しぶりです、と声をかけたが・・・電波事情が悪いのか、切れた。

そこでKさんに伺ったのが、前述した盆入りの墓掃除に井戸替え作業。

Kさんは、村の行事でお会いしていた方。

話によれば、村にミバカが4カ所もある。

この年は8月1日が日曜日。

午前中に八柱神社の朔日坐があるが。

外してもらい、午前は墓地の掃除に。

午後2時から井戸替え作業をする。

すぐ近くに山の神があるミバカに井戸(※給水槽)替え。

来ていいよ、と云ってくれた。

ちなみにかつては大矢商店で買っていた刺し鯖を供え、食べていたが、いつしか三重県の上野に出かけてトビウオ買い。

刺しさばから、トビウオに切り替えたが、今は何もしていないそうだ。

大塩を離れ、帰路にかけたYさんへの電話。

食事も済ませて、やっと電波の届く位置に移動してきたそうだ。

この年は、大塩の村マツリ。

トーヤ勤めに難儀した、という。

Kさんから許可いただいた井戸替え作業。

上(かみ)の組が、今もやっている、と話してくれた。

そして、尋ねたブトクスベ。

ずいぶん前になるが、Yさんが話してくれたぶとくすべ。

平成17年に亡くなられた母親が畑でしていたぶとくすべは、畑の小屋にたしかあった、と聞いていた。

畑作業に難儀する虫に悩ませる時期。

梅雨明けから秋口まで、腰にぶら下げて使っていたぶとくすべは、母親がつくって遺してくれた農の道具。

今でもあるんやろか・・。

その件については、井戸替えのときに聞いて
みよう。

(R3. 7.24 SB805SH撮影)

日清食品・日清まぜ麺亭の冷凍名古屋発台湾まぜそば

2023年09月17日 08時10分45秒 | あれこれインスタント
ほぼ一週間に多いときは3日。

少なくとも2日は必ずや出かける買い物。

定番のバナナに調整豆乳は必須だが、あれこれ店内をうろうろして目ぼしいもの探し。

欲しかった冷凍もんに日清まぜ麺亭の冷凍台湾まぜそばが冷凍ショーケースにあった。

それも特売月間中は158円。

スーパーサンデイでも同じような格安値段。

どっちで買ってもいいのだが、買い置き用に1袋を買ってきた。

うちの冷凍庫は、そんなに広くない。

考えて、考えて買わないと、収める場所がなくて、買ったその日にたべなきゃならないはめに陥る。

冷凍庫の管理は、特に厳しく管理する家人がいる。

相談なしに買ってきたらえらい目に合う。

で、実はその冷凍庫に、何週間か前に買っていた冷凍めんがある。

何年か前に食べたファミマのお母さん食堂製品の台湾まぜそばの味よ、もう一度味わってみたいと思って買っていた。

冷凍食品の台湾まぜそばは、麺屋こころ監修を受けて発売した、まさに麺屋こころを再現した味わいが評判。

価格は税込み298円であるが、手持ちのTポイントカード買い。

Tポイントカードが利用できるコンビニエンスストアは、ファミマオンリー。

食事処で利用したいのだが、なかなか機会がとれない。

そういう場合は、ファミマの総菜・弁当を買うことにしている。

2種類ある台湾まぜそば。

愉しみに、いつ食べようか、と思ってたところに、これ美味しそうだから、1袋ちょうだい、と申して電子レンジチン。

これむっちゃ旨いわ、という家人。

ぱくぱく、ぱくぱく。

ペロッと食べた。

味が濃くて、むちゃ旨い。

特に魚介系の味が美味しいという。

そんなに旨かったらまた買っておこうと、ともう1袋。

あれぇ、日清まぜ麺亭の冷凍台湾まぜそばが2袋もあるやん。

あのとき家人が食べた台湾まぜそばは、麺屋こころ監修台湾まぜそばやったんや。

まぁいいや・・・。

それから数日後の、本日。

冷凍庫にあった日清まぜ麺亭の冷凍台湾まぜそばをチンすると云い出した。

いいよ、私も食べるからと・・・。

先に昼めしを摂った家人に尋ねた。

前回と、今回との味比べ。

どちらが、どうやった、と聞けば、日清まぜ麺亭の冷凍台湾まぜそばの方が、ピリッと辛かったようだ。

味は遜色なく、どちらも旨いが、敢えて言うなら麺屋こころ監修台湾まぜそばの魚介煮干しが甘くて美味しかった、という。

そうか・・・。



で、私もチンした日清まぜ麺亭の冷凍台湾まぜそば

内袋のまま、電子レンジで5分間。

裏表ひっくり返すことのない出来上がり。



袋から滑らすように皿に盛った日清まぜ麺亭の冷凍台湾まぜそば。

美味そうな香りがふわっと漂う。

日清まぜ麺亭の冷凍台湾まぜそばにあった一口メモ。



刻み葱にもみ海苔。

おろしにんにくに卵黄。

今回は卵黄なしで、先にあげた3品をトッピング。

まぜまぜして食べた一口目。

ピリッと感じる辛さ。

しびれ感に近い辛さもあるが、タレが旨い。

コシのあるややもっちり麺に混ざったタレが美味いんじゃ。



おろしにんにくをトッピングしたが、にんにくよりも断然に旨いベースのタレ味。

ゆるーく味わえる胡麻風味の豚ミンチ肉。

ニラは少ないが、タレ油にたっぷり浸った台湾まぜそばが美味い。

味のベースは醤油味。

味のプラスは魚粉。

煮干しっぽくない魚粉。

喉に引っかからない程度の魚粉の旨さも加味された台湾まぜそばが美味いやん。

決して辛くないのが、台湾まぜそば。

辛みが嫌いな家人の口にも合う台湾まぜそば。

こりゃ嵌るわ。

ところで日清まぜ麺亭の冷凍台湾まぜそばは、さらに旨かった



まぜそば麺を食べ尽くした皿をみれば、油が浮きそうなギトギトにニラも刻み葱も海苔の欠片も残っている。

日清まぜ麺亭の冷凍台湾まぜそばが推奨する、一味追加は、追い飯で味わう後処理喰い。



ほんのちょっとのご飯を入れて、残っていたまぜそばタレに絡める。

ちゃんと混ぜた一口目。

これが凄い。



追い飯の方が、さらなる味アップ。

むちゃくちゃ旨くなった。

追い飯するなら、卵黄は外した方がいい。

濃い目の味が、緩んでしまうから、追い飯をするか、しないかの判断を先に考えたうえで行動すべし、ということだ。

(R3. 7. 9、27 SB805SH撮影)

エースコックの超スーパーカップ辛味噌ワンタン麺

2023年09月16日 07時56分45秒 | あれこれインスタント
昨日が、満願の賞味期限だったエースコック超スーパーカップ辛味噌ワンタン麺

3カ月前、イオンモール大和郡山で買っておいたスーパーカップ麺。

88円売りの特売コーナに積んでいた中の1箱を買っていた。

やっと食い扶持に繫がった本日の昼めし。

クラブ帰りのかーさんに伝えていた件は、総菜、弁当は要らんから・・・。



わが家のカップ麺蔵から取り出して、早く食べないと、といわれていた指定商品。

辛いラーメンは完全拒否するかーさん。

私は、よほどの鹹さでない限り、食べてみよう派。

カップ麺蓋に書いてある謳い文句は、「四川山椒香る・・・辛味噌ワンタン麺」。真っ赤なスープは辛みに溺れそうな赤い海に、また嵌ってまいそうになったが・・

熱いお湯を入れて4分待ち。

麺の太さも多少はあるが、麺量の多さに4分待ち。



蓋を開けたそこは、刻み葱が目立つ黄色い麺が拡がる海。

肉ワンタンがほんの少しだけが浮いている。

そこに落とした液体どろスープ。



味噌系の場合は、だいたいがこのようになるが、箸を突っ込んでぐるぐる。

まぜそばではないが、液体スープを全体に混ぜ込むと、ほぅうら、真っ赤な海になったでしょ。



想定していた通りの真っ赤な海に、ぱらぱら振りかける小さな粉粒が、四川山椒。

たしかに、謳い文句通りに香りがある。

あるが、強烈な香りでもない。

これまた混ぜ込んで、食べた一口目。



辛みはたしかにあるが、インパクトに欠ける。

四川山椒のピリリ感もあるが、強烈さはない。

それにしてもだ。

食べ終わってから5時間も経過しているのに、口というか、喉の奥の方にインパクト強い四川山椒の残像が・・。

スポーツジムに出かけて出る出るげっぷに、消化しきれない四川山椒の残像が湧き上がる。

恐るべし、といわざるを得ない四川山椒の実力。

これを機会に、四川山椒とか、花椒の類は、卒業することにしたが・・・

(R3. 4.23 SB805SH撮影)
(R3. 7.26 SB805SH撮影)

解体工事の前に見納め、撮り納めに撮っておきたい天理・南六条北方の環濠集落景観

2023年09月15日 07時56分45秒 | 天理市へ
奈良県内・平坦盆地部に見られる環濠集落。

数々あれど(※推定200~250地)、いちばんのお気に入りは、天理・南六条。

旧地名を「元柳生」と呼んでいる天理市南六条の北方の地。

伝統行事の取材に幾たびも訪れた天理・南六条。

特に、気に入っていた環濠は、西の環濠

昔しながらの風情を遺していた環濠も今や、大きく変貌しようとする時代が・・・とうとう・・

出里が、北方だった知人が伝えてくれた取り壊しの件。

「元柳生の旧家。戦国時代から伝わる森家の居宅。集落にある工務店、買い取った邸宅と田んぼ。そのうちの一部の建物の傷みが酷い状態にあった。リニューアルするにも難しい状態に、特に西の環濠に寄り添う形に佇まう土蔵の姿は、おそらくすべてを撤去するであろう」と、伝えてくれた。

「森家側の環濠に、夕景の時間帯をはじめに雨の日、晴れの日、またお盆のあり方も含めて、できる限り、機会を設けて撮っておきたい」と伝えたが、解体工事はまったなし。

しかも、土蔵の解体とともに、石垣で組んでいた環濠も、コンクリートによって固められるとも・・

この月の29日に予定している、と聞いた解体工事・・・

失念せんように、早めに、思ったところで撮影に走った7月22日。

行事の下見に出かけた室生小原室生染田

さらに、旧都祁村の白石から下った奈良市・今市を経て到着した天理・南六条。



メールで連絡してくださったFさんが、伝えてくれた通りの環濠側から見た家屋が崩れた状態に、ここまできていたか、とため息。



見納め、撮り納めに撮らせてもらった景観。



撮影データの整備に追いまくられ、携帯画像であるが、選んだ3枚をFさんに送り、またイチガンカメラでとらえた映像も遺しておく。

(R3. 7.22 SB932SH撮影)

通りすがりに、この年も拝見した奈良市今市の地蔵盆

2023年09月14日 07時54分18秒 | 奈良市へ
宇陀市室生の小原、西隣の染田を経て、大和高原の地でも奈良市内の旧都祁村・白石に立ち寄った。

刺しさばをつくり、店内販売をしている辻村商店。

なぜかシャッターを下していた。

仕方なく、でもないが仕入れた和歌山県産の刺しさばを見届け、天理市の福住から下る旧五ケ谷村。

さらに西へ、西へとハンドルを握る帯解街道。

この年も拝見した奈良市今市の地蔵堂。

今日は、22日。

なぜに地蔵堂の扉が開いているのか?

今日は、平日でもない海の日の祝日、木曜日。

翌日の23日ならわかるが、その日も祝日のスポーツの日。

東京オリンピックを実行するがための、今年限りの連チャン祝日。

実に、ややこしい令和3年の2021年。

コロナ禍によって2020年の東京オリンピックは、一年先送りした結果である。

さて、この日が奈良市今市の地蔵盆であるのか、わかっていない。

4年前も通りすがりに拝見した平成29年7月23日の地蔵盆も、今日も同様。

付近にどなたもおられないから、尋ねることもできなかった今市の福徳延命地蔵尊。

吊るした提灯は、地蔵堂の天井にびっしり埋め尽くした情景が美しい。

今夕に地蔵盆があれば、ここに滞在し、明かりが灯った地蔵盆の姿を撮っていることだろう。

午後3時半であっても、それはそれ。

吊るした提灯に圧倒されるのもいいだろう。

(R3. 7.22 SB805SH撮影)

簾を梯子代わりするセミ、その後に生まれた蝉の抜け殻は六体に

2023年09月13日 07時19分59秒 | 自然観察会(番外編)
7月14日の午後4時前の北の窓。

こんな時間に気づいた外の世界。

窓の外に垂らした長めの簾。

家のひさしから垂らした簾の先。

ほぼ地面につながっているような・・

風が吹いて崩れることもなく地面スレスレに位置している簾。

北の簾に陽が当たるのは、西に夕日が傾くときだけ。

いわゆる西日が差す、という時間帯。

日差しを遮る簾の役目もあるが、北の隣家から見えないようにするのも簾の役目。

それが、なんと土中から誕生したセミが登る梯子でもあったんだ。

5日前、初鳴きしたアブラゼミの抜け殻が一体。



距離をとったもう一体の抜け殻は、クマゼミであろう。

可能性を考えられるセミの生まれた場所。

小さな穴が見つかった。

その穴の下。

つまり土中に数年間も暮らしていた幼虫のセミ。

蝉は、土中に7年間も籠って、8年目に巣立つ。

その蝉をモチーフに映画化されたと、勝手に思っていた原作が角田光代が発表したベストセラー小説「八日目の蝉」。

そのことはともかく、私が子どものころに教わった蝉の誕生。

親蝉が、土中に産卵。卵から孵化した幼虫が、成虫になり、広げた羽根を羽ばたかせて巣立つまで8年間。

どんな蝉も同じように思っていたが、違った。

専門家が織り成す昆虫・植物に動物のプチペデイア「NATURE&SCIENCE」ブログを拝見し、目からうろこ。

ツクツクボウシは、1年から2年間の土中暮らし。

アブラゼミなら3~4年。

クマゼミでも4~5年。

なんと、執筆者は知人の草柳佳昭さん。

出版社・山と渓谷社時代は編集者だった。

彼から打診された刺しサバ要件。

ご縁をもらって刺しサバをとらえた写真ならびにコラムまで執筆。

出版された山と渓谷社刊・著者池田陽子『サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』

アマゾンなどで現在も販売している、拝読したら鯖を食べたくなってしまうすごい本。それこそ目からうろこの『サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』である。

話題は、簾を梯子代わりに選んだ蝉に戻そう。

2体だった蝉の抜け殻。



やがて、というか1週間後の7月21日。

毎日の雨戸あけが、実に楽しみになった。



知らず、知らずのうちに、なんと六体にもなっていた。

(R3. 7.14、21 EOS7D撮影)

都祁白石・ショッピングプラザたけよしの刺しさば

2023年09月12日 07時10分38秒 | 民俗あれこれ(売る編)
宇陀市室生の小原の行事調査を経て、西隣の染田

そこで見た願かけの道具。

穴薬師に詣でた願かけなのか、それとも願満のお礼に奉納した穴あけ道具の錐(キリ)を記録していた。

さらに、西へ走った行先は奈良市の旧都祁村の大字白石。

7月末近くの今日なら干しているお盆の魚。

真っ黒けの干す刺しさばを見たくなって走ってきた商店。

なんと、シャッターを下ろしていた。

緊急の用事に出かけた、と判断し白石のショッピングセンターに向かった。

ハンドルを握りながら、つい口に出る奈良県民ならたいがいの人たちが口ずさむ奈良テレビ放送が流すCMソング。

頭の中でも、繰り返すショッピングセンターたけよしのコマーシャルソング

「♪・・見つけっちゃたねェ~ ゆめ~いっぱい なんでもそろぅ うっ! たけよし~・・♪♪」メロデイに、引き込まれるように入店した。

これまで、お盆のころしか入店しなかったショッピングプラザたけよし。

トイレの借用に降りていった階段向こうに見えるアレは何?

商売の神さんこと、えべっさんだ。

中階段の棚に置いていたのか、それとも従業員の方たちが、上り下りされる都度に頭を下げる祭りの踊り場なのか・・・



よくよく見たえべっさん。

商売繁盛を叶える笑顔のえびすさんはともかく、固定している箕が黒ずんでいるように見える。

色合い、風合いからみた年代はわからないが、新しいえびすさんでもない。

どちらのえびすさん行事で受けた縁起物なんだろうか。

これも民俗のあり方と、とらえて携帯カメラに収めた。

店内に入って商品売り場に目当てのものを探したらあった。



まさか、の出会いは、今年も販売していた和歌山県産の刺しさば。

刺しさば加工は、たぶんにショッピングプラザたけよしではないだろう。

賞味期限が来月の8月17日の刺しさばも買いたいが、我が家の冷蔵庫では保存する場所がなく、泣く泣く諦めた。

(R3. 7.22 SB805SH撮影)

室生の染田・染田の穴薬師算

2023年09月11日 07時40分48秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
室生の小原で村の年中行事を教えてくださった。

なにかと多い小原の年中行事にふつふつ興味がわいてくる。

場を離れて、どこに車を走らせるか。

とにかく県道に出て奈良市の旧都祁村辺りで民俗に出合ってみたい。

なにも行事が民俗でなく、暮らし、生活の全般が民俗。

その一部にハレなどの地域行事がある。

探し出す、見つけ出すには、耐えずアンテナを伸ばしておけば・・・

小原から西へ、西へと向かった。

走行するフロントガラス越しに見た、これ何?

賽銭箱に線香立てがあるそこは室生の染田。



地元に住まい、野鍛治仕事をしているFさんが、話していた染田の「染田の穴薬師算(ざん)」。

毎年の9月7日に無病息災のための会式が行われている、とあった。

それから、その時期になれば足を運んでみたが、どなたにもお逢いしたことがない。

この通りを走る度に見るのは、石造物と「染田の穴薬師算(ざん)」の由緒板書き。

毎度、変わりのない情景に、いつも通りすぎていく。

ところがだ、この日は違った。

目に入った特別なモノ。

線香立ての隣に並べていたソレは、いつの時代なのか、さっぱりわからない、旧い道具。

見た目からして木工工具の”キリ”。

穴あけするキリの部分は鉄錆状態。

そう、これは、納めたキリ道具。

Fさんが話していた願かけの用具。

染田の穴薬師算は、「室町時代初期のころ。薬師如来の十二神将、七仏薬師に因んで、祀られたもので、染田天神とともに、文化的価値が高く、特に耳、口、婦人病にご利益があると、云われています」と、あった。



野鍛治師のFさんの話によれば、「願かけに、穴あけ道具のキリを12本、納める人が、見られる」

常にではなく、願かけだけに、患った人が、なんとか”思い”を解決してくださる、と願い、12本のキリを納める人がおられた、ということだ。

毎年の九月七日は、無病息災を願う人たちによる会式がある。

近所の善男善女たちが営む穴あけの願かけ。

耳が聞こえないなど、キリを供えて願かけしたら、治った、という人もおられる穴薬師信仰。

キリを納めて願かけする地蔵さんがある。

その地は、明日香村の平田。

下平田の「耳なおし地蔵」である

不特定日に、願かけをする人が何人も・・。

たまたま出合えた平成28年6月19日

参拝に来られた婦人の話によれば、耳の病気が治ってほしいと願かけされた人が、平癒した場合、願満のお礼にキリを納める民間信仰であった。

ちなみに、Fさんがいうには、9月7日は、地区役員による「代参」詣で。

願かけされた方が納めた12本のキリに違いない。

キリの錆に柄の経年劣化から判断するに、相当な年数が経っているもよう。

それも、記録と判断し、映像に収めた。

状況がわかったことで、再出発。



数メートル走ったそこにあった護符は、今年に行われた染田の田の虫送りの痕跡。

ここは、染田と隣村の多田との境界地。

田の虫送りは、どことも境界地に立てるのが習わしである。

ところで、ネットに見つかった全国津々浦々、各地にある「穴薬師」。

古墳名称に多い穴薬師もあれば、それぞれ地域に意味のある穴薬師信仰事例もある。

見つかったごく一部を下記に書き留めておく。

宮城県仙台市太白区門前町にある穴薬師は「薬師瑠璃光如来」。

埼玉県熊谷市江南地区の穴薬師

群馬県高崎市・小暮の穴薬師

また、コトバンクに挙がっている穴薬師に、奈良県宇陀市・室生の向淵(むこうじ)の地蔵三尊石仏があり、「耳病の人は錐(キリ)を奉納し、乳のほしい人は、手拭いを納める」民間信仰がある、とあった。

(R3. 7.22 SB805SH撮影)