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ナイジェル・ニコルソン「ヴァージニア・ウルフ」

2005-09-02 10:48:25 | 読書
 映画「めぐりあう時間たち」がいざなってくれ、たどり着いたのが美人ではあるが可愛くないヴァージニア・ウルフだった。
 「ダロウェイ夫人」「燈台へ」「ヴァージニア・ウルフ短編集」と読んで美しい文体に魅入られたが、難解な部分が多く果たして理解できるかとやや不安である。

 この本は、名門出の女流ベストセラー作家で、ヴァージニアと同性愛関係にあったヴィタ・サックヴィル=ウェスト(日本では出版がないかもしれない。図書館やアマゾンでの検索にヒットしなかった)を母に持つ著者が、10歳のころ身近に接点があったヴァージニア・ウルフについて書かれた評伝である。

 難解だといって自分を卑下する必要もない。何故なら「ダロウェイ夫人」について、多くの読者にとって難解すぎたと著者は言う。もう一つ、私も「波」を読み始めたが途中で投げ出した。“「波」は大変な思索と苦労の産物だった。あまりに独創的な作品で、その意味を解する人はほとんどいなかった”という。

 ヴァージニア・ウルフは、天才でありフェミニストでレズビアン傾向があって、精神を病む難病を抱えていた。精神病は幼少の頃、異母兄弟からの性的いたずらが原因とされ、レナードと結婚後印刷にも手がけかなり多忙で自分の文筆活動との両立に神経を使ったともいう。

 “ヴァージニアはヴァネッサ(姉)の子を別にして、子供は特に好きということもない。それでも著者は“彼女は私たちに興味を持っていた。子供たちは変人、奇人と同じで物珍しく、彼女は私たちを楽しませるふりをして、その実自分が楽しんでいたのだ。
 「さあ、今朝何をしたか教えてちょうだい」
 「そうですね、特に何も」
 「それではだめ、だめ。誰に起こしてもらったの?」
 「太陽、寝室の窓から差し込むから」
 「それは笑った太陽?怒った太陽?」それになんとか答えると、次は身支度について。「どっちの靴下からはいたの?右?左?」そして朝食、この調子で延々、彼女にあった瞬間まで続くのだ。それは観察の訓練でもあり、それとない助言でもあった。「飛び回るアイデアをつかまえてピンで留めておくようにしないと、今に何もつかまえられなくなってしまうわよ」。これは私が一生覚えていることになる忠告だ。”
 ヴァージニアの子供たちに対するユーモアのある態度やユニークさについても引用してみよう。“私たち(子供たち)が黙り込んでいると、かまってくれた。ある日、私たちがアヒルにパンのかけらを投げてやっていると、彼女は言った。「パンが水に落ちる音をどう表現する?」、「パシャッ?」、「ちがうわ」、「ポシャッ?」「ちがう、ちがう」、「じゃあどうなの?」「アンフ」と彼女は言った。「でもそんな言葉はないよ!」、「今出来たのよ」。

 私は(著者)一度、彼女と二人で列車でロンドンに出たことがある。列車が田舎の駅を出ると彼女は私にささやいた。「あの隅に座っている男の人が見えるでしょう?」「うん」「彼はリーズから来たバスの車掌さんなのよ。この辺に農場を持ってる叔父さんのところで休暇を過ごしにきたの」「でも、ヴァージニア、どうしてそんなことが分かったの。あの人に一度も会ったことがないじゃない」「それは聞きっこなし」
 それからロンドンまでの半時間、彼女は私にその男の人生を語ってくれた。当の本人は二十世紀文学の登場人物になっているとも知らず、パイプを吹かしていた。”

 映画「めぐりあう時間たち」のエンディングはヴァージニアの入水場面で終わるが、場面に重なるナレーションは、レナードにあてた遺言で「レナード、人生に立ち向かい、いかなるときも人生から逃れようとせず、あるがままを見つめ最後にはあるがままを愛しそして立ち去る。レナード、私たちの間には年月が長い年月が限りない愛と限りない時間が」脚本家が書いたものだが、本物の遺書がある。

 「最愛の人へ。私は狂っていくのをはっきりと感じます。またあの大変な日々を乗り切れるとは思いません。今度は治らないでしょう。声が聞こえ始めたし、集中できない。だから最良と思えることをするのです。
 あなたは私に最高の幸せを与えてくれました。いつでも、私にとって誰にもかえがたい人でした。二人の人間がこれほど幸せに過ごせたことはないと思います。このひどい病に襲われるまでは。
 私はこれ以上戦えません。私はあなたの人生を台無しにしてしまう。私がいなければあなたは仕事ができる。きっとそうしてくれると思う。ほら、これをちゃんと書くことも出来なくなってきた。読むこともできない。
 私が言いたいのは、人生のすべての幸せはあなたのおかげだったということ。あなたはほんとに根気よく接してくれたし、信じられないほど良くしてくれた。それだけは言いたい。みんなもわかっているはずよ。誰かが私を救ってくれたのだとしたら、それはあなただった。何もかも薄れてゆくけど、善良なあなたのことは忘れません。あなたの人生をこれ以上邪魔しつづけることはできないから。私たちほど幸せな二人はいなかった。」
 
 私は美しい文体から推し量って、天才ヴァージニア・ウルフの遺書は誰にも書けないようなものになるのではないかと思っていたが、気持ちを率直に表現して普通の人が言うように虚飾をまとわず感謝と愛が感じられるものになっている。

 そしてヴァージニアは毛皮のコートのポケットに大きな石を詰め込みウーズ川に身を投げた。検死が済みレナード一人の立会いのもと、彼女は火葬された。その灰はロドメルの庭に埋められた。「波」の結末の言葉を墓碑銘として。

 汝に向かいて飛び込まん、征服されず 屈服せず、おお、死よ。