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小説 囚われた男(9)

2006-11-15 13:08:47 | 小説
 生実はバーテンダー兼用心棒で大男のジムに勘定を頼み、タクシーの手配も依頼する。
 この店ではというか、こういう状況では男が勘定を持つのがマナーというもの。これをケチっていては絶対もてない。なぜなら、こういう店に来る女性は、目的の半分は男に奢らせることだからだ。あとの半分は当然ながらセックス・パートナーを見つけることだ。

 しかも店の料金制度は、アメリカン・スタイルでチップがいる。だからといって酒や料理が安いわけではない。男が無理してこの店に来るのは、優美で上質の女が手に入るからだ。羽目をはずしてもいいが、限度をわきまえないと二度とこの店のドアを開けることはできない。

 以前、ドイツ人グループに、酔った日本人ビジネスマンが、その席に近づき右手を上げて踵をカチンと鳴らすしぐさで「ハイル、ヒットラー!」といったため、乱闘騒ぎに発展しそうになった。
 大男のジムが仲に入り、日本人ビジネスマンの襟首をつかみ、「二度と来るな!」といって表に放り出したことがあった。
 この店はジムが完璧に支配して平和を保っている。誰もがマナーを守ってさえいれば、ゆったりと楽しいひと時を過ごせるのである。



 タクシーが夢の島マリーナに着いたのは、午後十一時を回っていた。
夜間専用出入口から入り、カード・システム機で出港手続きを済ませクルーザーに向かった。
 この頃になって、女三人は打ち解け始めた。テルマの明るさが一役買っているのかもしれない。クルーザーの船内を案内するにしたがって、ますます女たちの気分が高まってきたようだ。
 生実はエンジンをかけエアコンのスイッチを入れた。しばらくするとキャビンの気温が上がってきた。まずはビールで乾杯。何のために乾杯するのか誰も何も言わない。通過儀礼にすぎない。
 生実はスイッチで抜錨、船首を海ほたるに向けスピードを上げる。首都高湾岸線の下をくぐり東京湾に出る。
                
 波は穏やかなうねりで船酔いの心配もない。空気は澄んでいて遠くまで見渡せる。京葉、京浜そして都心の眩いばかりの光の乱舞は、どこかの舞台を見ているように気分を浮き立たせる。
 しばらく歓声が続いていたが、女性三人は景色の変化が乏しいのでコーヒーを淹れるといって、キャビンに降りていった。

 しばらくして、久美子がコーヒー・カップを両手に戻ってきた。
「コーヒーをどうぞ」といって差し出す。「ありがとう」といってカップを受け取り一口飲む。
「うまい!」
「おじょうずね」久美子の冷ややかな口調。 
「いや、本当だよ。いつも自分で淹れていると、他の人に淹れてもらうと美味しく感じるんだ。特に女性に淹れてもらうとね」
「ところで、生実さん。テルマから私たちのこといろいろお聞きになっていらっしゃるのでしょ?」
「うーん……」
「『バーニー』でテルマと話していらしたじゃない?」
「ああ、そうね、分かった。あなたと増美さんとはレズビアンの関係だということとテルマもそうだということ。
 それから、あなたをダンスに誘ったのもテルマの願いだったということも。もっと言えばテルマも増美さんに思い入れが強いということもね。これなんかも、とっくにお見通しのことだと思うが、余計なことをしたと言われれば謝りますよ」