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小説 囚われた男(12)

2006-11-25 14:30:40 | 小説
 事故は、十年前の一月二十三日新大橋通りの築地本願寺前で起きた。この日は朝から気温が低く、午後になっても三度ほどで低気圧が関東南岸を通っていた。典型的な雪を降らす気圧配置だった。
 事故の起こった午後4時ごろは、雪がちらついていて、路面は滑りやすくなっていた。スリップした車に正面衝突され妻と子供は死んだ。相手の車は四駆のブロンコ、妻が運転していたのは、トヨタカムリだった。これではひとたまりもない。

 まざまざと思い出すのは、警察で加害者の男の印象だった。アメリカの有名ブランド、エディバウアーのアメリカ・インデアンが着るような模様の入った短いコート、ジーンズにカウボーイがかぶるテンガロン・ハットにカウボーイ・ブーツと粋がっている。
 四駆に乗ってるんだから、当然だろうというような顔をしていやがる。いけ好かない野郎だぜ! 
 そしてガール・フレンドなのだろうか、似合わないのにブロンド色に染めた髪、これもカウガール・ブーツ。
 この二人がいちゃつきながら、ニヤニヤ笑いで何の反省も見せていなかった。本当に腹立たしかった。妻や子供のことを思うと悔しくてたまらなかった。あの男をぶちのめにしてやりたい衝動を必死に抑えた。

 一年半ほど過ぎたころ、千葉と名乗る男が現れた。最初は電話だった。日曜日の午後かかって来た。
「生実清さんかね」と横柄な年配の男の声だった。
「ええ、そうですが」気分を害したので、ぶっきらぼうに返事をする。
「よく聞いてほしい。あなたの奥さんと二人の子供さんの死亡事故の加害者の現在の住所を知りたくないか?」生実は突然のことで考えがまとまらないうちに
「その書類を若い男に、夕方までに届けさせる。背の高い男で、なめた真似をすると怖い男だ。気をつけて、じゃ!」電話は一方的に切れた。

 何のことか分からないと思いながらも、事故以来加害者の住所が知りたいと思っていたことを思い出した。それが何故知らない男から、知らされるのだろうか。落ち着かない気持ちで午後が過ぎていった。
 テレビをつけてすぐに消し新聞や本を見ても集中できない。外にも出られないもどかしさにも我慢しながらいつの間にかソファで眠っていた。

 突然、ブザーの音で目を覚ます。部屋はたそがれ時の薄暗さに包まれていた。時計を見ると午後五時を過ぎていた。インターホーンで「どなた?」と応じると、「使いのものです」という返事。
ドアを開けると、身長百八十センチ、体重百キロはあろうかというがっちりとした若い男が立っていた。黒っぽいスーツを着てネクタイを締めている。
「それじゃ書類をお渡しします。それから、今日のことは記憶から消してください。あなたのためですから」それだけ言うと踵を返して去って行った。
 生実は一言も言えず立ちすくんでいた。畜生、こんなときなんと言えばいいんだ。届けられた書類には、
「東京都中央区新川二丁目ビラ・茅場町十四階建の十四階一四○五号吉岡信二 職業イラストレーター三十歳妻あり、子供なし」とあった。
              
                 新川二丁目遊歩道