1989年発行の二見文庫「秘蔵の名作艶本・大奥の女」という淫文集に挿絵として春画が掲載されている。当時は局部の露出に神経質だったのか、すべてにボカシが入っている。男女の性器がかすかに分かる程度だ。
そして最近図書館から借り出したのは、「葛飾北斎・春画の世界」洋泉社2005年3月刊、別冊太陽「春画」平凡社2006年11月刊に加え「浮世絵春画を読む上・下」中公叢書2000年11月刊などに挿入の絵は、いずれも巨大な男根とこれまた大きく描かれた女陰の滑稽さに猥褻さがあまり感じられない。しかし、着物姿の交合は、想像力をかきたてられ、その絵の中に入っていくとぞくぞくする興奮に見舞われることも確かだ。いまどきのインターネットで見るアダルト・サイトの映像のまやかしや陳腐さと比べものにならない。
現代の男女のファッションは、体の線をくっきりと見せることには事欠かないが、下着は窮屈なブラジャーや小さな襞飾りのパンティやTバックというセクシーなものだが、ジーンズはゴワゴワとして手触りが悪い。
それに引き換え春画の時代は、ノーブラ、ノーパンで他を拒むものが無いと受け止められるほどだ。女の着物の襟足から手を滑り込ませ、乳房と乳首の感触に身を震わせながら、裾をちょいと持ち上げて股間の恥毛に隠された暖かい湿り気に触れるともう恍惚の境にさまようことになる。
そんな想像をたくましくしながら、日本を代表する浮世絵の奥の深さを投影した春画を見直すきっかけになった。もともと春画の使い道はなんだったのか。よく言われるのは、当時の性教育に使われたというものがある。
いろんな性行為の体位を描いたもので、嫁入りに母親が娘に持たせたとも言う。それ以外に「火除け」「虫除け」「弾除け」などの護符や夫婦和合のためのお守り、あるいは大名からの贈り物や正月の年賀にも使われたらしい。
またアダルト・サイトだけれど、あの男が絡むシーンはどうも好感が持てない。男がスマートでないヤクザっぽいので見るのも嫌になる。今はまったく観ていない。それに比べると春画のほうは、美化されている嫌いがあるが嫌悪感がない。
この葛飾北斎の「富久寿楚宇(ふくじゅそう)」第九図が女の表情や二人の重なり具合が大好きな絵だ。エクスタシーの恍惚とした表情がエロティックだ。これは、亭主の留守に間男を呼び、性を堪能する二人。重なり合う二人の裸身のうねりが見事である。本画帳中最も評価の高い一図と説明にある。
このブログに掲載してあるのは、本からスキャナーで取り込んだものではない。著作権の関係で手間をかけた。スキャナーで取り込んで、トレーシング・ペーパーの上にトレース、それを再びスキャナーで取り込み、プリントアウトしたものに着色したものだ。色合いは原本通りにはなっていない。こういう作業も結構楽しい。 局部に着色していて、絵師はどんな気持ちで描いていたのだろうと思ったことだ。妻や恋人の持ち物を参考にしたのだろうかとも思ったりする。それにしても女がスキ者に描いてあることだ。絵の中の書き入れの文章には、「抜かずにやっておくれ」とか「あと五つ気をやって」などと男に要求している。この時代の男もこんなスケベ女が好きだったのだろうか。いや、絵師がそんな女が好きだったのか。とにかく男が大変だというのは間違いない。
もう一つ北斎のものをトレースした。欠題組物の第八図、遊女とその情夫。年明けに夫婦の約束をしている二人。互いに相手が約束を違えないかと心配している。春画における常套の設定であるとの説明がある。春画は、乳房に注意を向けさせないで、男女の顔の表情と性器結合に力点が置かれている。この絵でも乳房は申し訳程度の扱いだ。