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映画「真実の瞬間(とき)」いわゆる赤狩りに翻弄されたハリウッド

2018-10-04 14:07:05 | 映画

          
 アメリカの議会下院委員会に非米活動委員会があった。歴史は古く第一次世界大戦末期が始まり。第二次世界大戦の終結で米ソの冷戦が始まった。敵国になった共産主義国家ソ連に関連する監視:告発が主な仕事だった。

 共和党上院議員のジョセフ・マッカーシーは、国務省内にスパイの存在を指摘し、共産主義者の摘発に注力した。それを1950年3月29日付ワシントン・ポスト紙風刺漫画で「マッカーシズム」と書かれた。 赤狩りの代名詞となったマッカーシズムは、アメリカ陸軍関係者や連邦職員だけでなく作家、芸術家、俳優など民間人の多くもスパイ容疑がかけられた。

 当初、国民の大多数はマッカーシズムを歓迎したが、手法が強引で強権的なところが嫌われ次第にその勢いが落ちて行くがそれには20年間を要した。

 1950年代、映画監督のデヴィッド・メリル(ロバート・デ・ニーロ)は、20世紀ピクチャーズを起こしたプロデューサーのダリル・F・ザナック(実在した人物)(演じたのはベン・ピアッツァ)に呼び戻されフランスから帰国した。迎えにきた脚本家のバーニー・バクスター(ジョージ・ウェント)と自宅に帰ってみるとビックリ・パーティもどきの歓迎に人々が集まっていた。

 その中に脚本家のラリー・ノーラン(クリス・クーパー)と妻で女優のドロシー(パトリシア・ウェティグ)夫妻の様子がおかしい。ラリーが先に帰宅しドロシーを送っていって見たものは、ラリーが蔵書を焼却しているところだった。ドロシーは2階からタイプライターを放りだし「誰を売ったの? 私も売ったんでしょ」と叫ぶ。ようやく自分の周囲に起こっていることが分かり始めたデヴィッドだった。赤狩り旋風が吹き荒れていた。

 デヴィッドも過去に共産党の集会に出たことがある。しかし、共産党員ではない。それらを把握する非米活動委員会は、めぼしい人物に写真を見せて写っている人物の名前を言えと強要してくる。裏切り行為なんて出来ないデヴィッドは、ザナックが勧める弁護士と物別れ。

 FBIの監視がついて映画製作も出来ない。別の仕事につくとそこへFBIがやって来てデヴィッドのことを聞いてくる。雇用主としてはFBIに睨まれている人間を雇うことはできない。当局はデヴィッドを干上がらせようとしていた。

 家庭も順調とはいえない。映画製作に没入するタイプのデヴィッドだから、家を顧みないこともたびたび。妻ルースとは別居状態。唯一息子との時間にルースと顔を合わせる。

 非米活動委員会の手法は、共産主義者の追放と言う大義名分を笠にきて偽の「共産主義者リスト」といわれるように偽証や事実の歪曲、容疑者に対する自白、協力者の告発、密告の強要などを行っていた。(ウィキペディア)

 アメリカ合衆国憲法修正第1条で表現の自由、報道の自由、平和的に集会する権利、請願権を妨げる法律の制定を禁じている条項を盾に非米活動委員会への協力を拒否している。それでも懲役刑を免れなかった人々も多数いた。この強権的な手法は、国民から見放されて自浄作用で1975年に非米活動委員会は終焉を迎える。

 アメリカ国民もそうだが、日本国民も共産主義を受け入れる土壌はない。共産主義排除は分からないでもないが、手法がまずかった。映画はこれらを描くが今一つインパクトに欠ける。印象に残った映画とはいえない。1991年制作 劇場未公開は納得。原題「GUILTY BY SUSPICION(疑いの罪)」

   
    
監督
アーウィン・ウィンクラー1931年5月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。

キャスト
ロバート・デ・ニーロ1943年8月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。
アネット・ベニング1959年5月カンザス州トペカ生まれ。
クリス・クーパー1951年7月ミズーリー州カンザスシティ生まれ。
パトリシア・ウェティグ1951年12月オハイオ州シンシナティ生まれ。
ベン・ピアッツァ1934年7月アーカンソー州生まれ。
ジョージ・ウェント1943年10月イリノイ州シカゴ生まれ。