私の家から少し離れたところに消防署がある。ときおり救急車が出動するピーポー、ピーポーというサイレンの音が聞こえる。その音を聞くたびに搬送される人のことを思う。重篤な人、傷を負った人、残念ながら事故で息をしていない人だが、よもや私が救急車の乗客になるとは思ってもみなかった。
6月19日の早朝、午前6時半ごろ砂利道をゆっくりと走りながら帰路についた。今年から夏は早朝のジョギングを楽しむことにした。早朝の爽やかな空気は、生気をくれる気がする。約7キロほどの遊歩道が伸びているが、1キロほどが砂利道になっている。転倒事故がそこで起こった。
立ち上がってみると、左手が動かないし痛い。通りがかった一人の男の人に声をかけられた。「大丈夫です」と言って歩く。左肩がものすごく痛い。また通りがかった男の人に声をかけられた。その時は、医者の診療時間にもまだ時間があるし、途方に暮れていたというのが実際だ。ようやくその人に救急車の手配をお願いした。私自身、不覚なことに携帯電話を持ってこなかった。
10数分ののち、お馴染みのピーポー、ピーポーが聞こえてきた。住宅地の入り口で救急車が見えた。手を振ってこちらの存在を伝えた。するとピーポーが消えた。早朝の住宅地、救急車は気を遣っているのだろう。(これなんかそんなに気を遣わなくてもいいのにと思うが、賛否両論があるんだろ)救急車に乗せられて、連絡して頂いた方にお礼を言って別れた。
救急隊員は二名で、車内で血圧測定や傷口の消毒、私に関する情報、住所や電話番号それに転倒したいきさつなどを聞き書き。もう一人の人は、搬送先の交渉を携帯電話で行っている。最初の病院では、私の行きつけの病院があればそちらに連絡してほしいという要請。私は国立機構病院に眼科と泌尿器科に行っている旨を伝えた。救急隊員は、国立に電話をしたが「担当の医師がいない」と言う返事。それを受けて救急隊員は、最初の病院に連絡して受け入れを確認して、ようやく私の搬送先が決まった。この間30分ぐらいかかった。
この状況を見ていると、病院は救急患者の受け入れを歓迎していないと思える。しぶしぶ受け入れを承諾した病院に着いて脱臼の修復まで少し時間がかかった。痛い肩を抱えていたから長く感じた。結局、脱臼と大結節骨折という診断。それで今もリハビリ進行中。動かすと痛い個所もあっていつ治るのやら、ひょっとすると1年はかかるかもしれない。
そこでこの救急体制について考えてみた。24時間救急患者を無条件で受け入れ可能病院の設置が必要だと感じた。そこでネットで検索してみると、独立行政法人国立病院機構東京医療センターのホームページが出てきた。そこには救急医療について詳しい解説があり、救急入院治療を受け安定した後は、自宅近くの病院への処理も出来るとある。
各県でこの東京医療センターのような病院がある。私の通う千葉医療センターは、専門医がいないとして断られたところだ。運営は病院によってちぐはぐで国立といえども門前払いがある。これはいかがなものか。国民の安全と安心を担うための国立だから。立地も悪い。旧来の国立病院だから、もともと救急医療に特化していない。
救急医療に特化した国立病院が必要だ。立地的には高速道路から直接乗り入れるか、インターチェンジ付近がいいだろう。救急隊員の病院探しなんて先進国が恥ずかしい。TVドラマ「ER緊急救命室」のようにならないか。