ポーランドが親日国家だと言われるが? ある日の夜、「三井ガーデンホテル汐留イタリア街」で食事をした。レストラン・ラ・マレーアのイタリアン・ビュッフェ形式で飲み放題、食べ放題だ。朝食、ランチ、ディナーに対応している。
若い頃のようにがつがつと飲み食べるには歳をとりすぎた。料理もフランス料理がずらりと並んでいるわけでもない。サイコロ・ステーキ、ローストビーフ、鳥の唐揚げ、寿司、ハム、チーズといったバイキングだ。
静かな室内に急に大勢の人が現れた。欧米の人たちで、実に静かな人たちだ。年齢は若い人から高齢者までいろいろ。失礼ながら観察しているとアルコールに手を出さないし、若い女性がご飯をお皿に取っていた。どこの国だろうとフロントに聞いてみると「ポーランドからのお客様です」という返事。
ウィークデイのディナーは、午後5時からで着いたのが少し早かったのでフロントの前で座って時間をつぶした。時間的に宿泊客のチェック・インが多く、欧米の人が多かった。私の見ている間で中国人や韓国人は見なかった。大騒ぎするこの人たちを避けたいなら、このホテルがいいかも。
そしてあるネット放送で「ポーランドは親日国だ」と言って歴史的事実を熱っぽく語っていた。そこで外務省のホームページを覗いた。「ポーランドという国」として親日の理由をあげてある。
ポーランド人が日本びいきな理由
①日露戦争 ポーランド人捕虜を手厚く待遇 日露戦争勃発後の1904年7月、当時ロシアの支配下にあったポーランドは、ロシア軍の一部として従軍、日本と戦い捕虜となった。ユセフ・ビウスツキ将軍は、ポーランド軍人約4600人への待遇改善を求めた。これに対し日本政府は、松山市内で終戦までポーランド軍人捕虜を手厚く待遇した。大国帝政ロシアを破った日本人に対し賞賛の好感情は今日まで続いている。
②ポーランド人シベリア孤児への支援 1920年代の初めのロシア革命の混乱の中で親を失ったシベリアのポーランド孤児765名を、日本政府と日本赤十字が保護したあと祖国ポーランドに帰した。
③「命のビザ」発給 第二次大戦中の1940年、リトアニアの首都カウナス(当時)にあった日本領事館の領事代理を務めていた杉原千畝氏が、多くのユダヤ系ポーランド人、リトアニア人に日本通過査証を発給して、ナチスの迫害に遭った多くのユダヤ人が日本経由でアメリカ等第三国に脱出することが出来た。
ネット放送で熱っぽく語っていたのが②の孤児救済だ。YouTubeで元ポーランド大使兵頭長雄氏の動画が感動的。
外務省のホームページはこちら。日本とポーランドの4項目だけの比較とポーランド美女を掲載しておきます。