かつてバレー・ダンサーとして成功し引退後はジュリアード音楽院で指導に当たるトビー(パトリック・スチュワート)は、行きつけのダイナーでシアトルからの夫婦と会う。夫はマイク(マシュー・リラード)と言い、妻はリサ(カーラ・グギーノ)と言う。用件はアメリカ・バレエ史の取材ということだった。
トビー持ち前の社交性が発揮され自宅アパートへ夫婦を招いた。アルコールとマリワナが意外な方向へ向かわせる。リサの質問が1960年代ごろのバレエ関係者の私生活に及び始めた。疑問を持ったトビーは「バレエ史に個人的なことが必要か?」
1960年代というのはトビーの全盛期で、トビーは多くの女性と浮名を流していた。ようやくマイクとリサは、真実を打ち明ける。マイクの母から聞いたのが、マイクはトビーの息子ということだった。
トビーは強く否定する。その理由は、セックスの度にコンドームで避妊していたというもの。納得しないマイクは、トビーを押し倒して口に綿棒を入れて唾液を採取した。このDNAサンプル採取の行為が妻のリサを怒らせる。研究所へ持ち込むために帰りを促すがリサは拒否。マイクは単身タクシーに乗る。
残されたリサとトビーの間にも冷たい風が吹いているようだ。「焼き菓子でも食べるか?」トビーの一言が暖かい風に変わた。そして飛び出した言葉「最後のセックスはいつだったかな?」とトビーは遠慮はしない。年の功でこの夫婦の性生活を喝破できる。
「7ヶ月前が最後」とリサ。驚きもしないトビー。さらに「クンニリングスは好き?」困ったようにリサは「ええ、好きです」トビーはセックスについての解説を始める。
「セックスは自然からの贈り物だ。受け入れる側と与える側の両者にとって生きる喜びにつながる。行き詰った結婚生活に必要なのはクンニリングスだ。君の旦那がクンニ出来ないような状況なら誰かほかを探すべきだ」リサは戸惑い言葉が見つからない。それを見たトビーは「私を選べとは言っていないよ」
そして「自分の人生に満足も後悔もしている。どちらの人生も私のものだ。マンネリに流されて人生を無駄にするな。君は若くて美しいそれに賢い。諦めるな」父親捜しに来たのに、図らずも人生訓を聞かされるとは、リサは満足の面持ち。
こういう会話の末、ようやく口を開いたトビーは、マイクが自分の子であることを認める。トビーらしく「その時は、コンドームを忘れたから」とのこと。
研究所から舞い戻ったマイクがリサに「帰ろう」と言うが、リサは「まず、トビーに謝って」と言う。ようやくマイクは「失礼なことを言って悪かった」
帰り支度のマイクを見ながら「最後になるかも」父親であることを告げないとの意を含めてトビーにリサが囁く。
階段を下りて玄関ホールに着いた時、トビーから声がかかる。「言い忘れたことがある」マイクに息子であることを告白する。映画の最大の山場、感情移入すると涙が出てくる場面。
しかし、映画は皮肉な結果を用意していた。「明日空港へ行く前に一緒に食事をしよう」とトビー。翌日、マイクとリサ夫婦が地下鉄駅を出たところで、マイクの携帯が鳴った。トビーの部屋に悄然としたマイクとリサが入って来た。マイクが「一致しなかった」と一言。
タクシーを待つ三人。ハグと握手で別れのあいさつ。タクシーのマイクとリサ。言葉を交わさず今までのことをあれこれと考えているのだろう。しばらくして二人の微笑む目が合う。
ショックから立ち直ったトビーは、山仲間に電話をする。なんでもなかったように日常が帰って来た。トビーは破綻しかけた結婚生活を蘇生した。
マイクとリサの間に子供が生まれるだろう。多分、この二人はトビーに見せに来るのは確実。赤の他人になったといえ、「袖触れ合うも多生の縁」と言うではないか。
この映画2004年にブロードウェイで初上演され高評価を受けた戯曲がベース。2014年制作で劇場未公開だし、DVDもない。どうして未公開なのか理解に苦しむ。出演の三人芸達者で、心に残るいい映画だ。原題は「MATCH」
監督
スティーヴン・ベルバー1967年3月ワシントンDC生まれ。
キャスト
パトリック・スチュワート1940年7月イギリス、ヨークシャー生まれ。
カーラ・グギーノ1971年8月フロリダ州生まれ。
マシュー・リラード1970年1月ミシガン州生まれ。