貧しい生い立ちでろくに教育も受けていない男の悲惨な人生。男の名前はジョージ・イーストマン(モンゴメリー・クリフト)。彼の縁戚に伯父のチャールズ・イーストマン(ハーバート・ヘイス)がいた。チャールズは水着製造工場を経営していて羽振りがいい。ジョージがホテルのボーイをしていた時、この伯父に偶然出会い「わが社で働け」の一言がジョージにとって、上昇への階段になるはずだった。
女工のアリス・トリップ(シェリー・ウィンタース)と親しくなり、懐妊する事態にまで発展する。そんな時、伯父のチャールズから一族に紹介すると言われて会ったヴィッカース家のアンジェラ・ヴィッカース(エリザベス・テイラー)。今まで会ったことない美しい女性にショックを受ける。 が、あまりにも身分が違うと心のどこかが囁いていた。しかし、アンジェラとより親しくなり、アリスがじゃまになる。ジョージに一度はアリスを亡き者にという感情がわいたが、思いとどまる。しかし、思わぬ事故でアリスが死亡する。
警察は殺人事件として取り上げる。裁判が開かれフランク・マーロ検事(レイモンド・バー)の追及が厳しい。死刑判決を受けたジョージにアンジェラが訪れる。「一生忘れない」という言葉に、ジョージは「どうか、忘れてほしい」と答える。ジョージの母親ハンナ(アン・リヴィア)と牧師から、「実際に殺人を犯したか否かにかかわらず、アリスの死を望んだジョージの心に罪がある」という重い言葉をジョージは受け入れていた。
エリザベス・テイラーにはジョージばかりでなく、私もショックを受けた方なのだ。「若草物語」の彼女を見たとき「世にもこんな美女がいるのか」とショックだった。一緒に行ったガールフレンドも巷の女性も目に入らなくなったという現象だった。自惚れが強すぎた若き時代の忘れえぬ想い出と言えばいいか。モンゴメリー・クリフトの暗い雰囲気が白黒映画と相まって、ミステリアスに仕上がっている。
この映画を監督したのは、ジョージ・スティーヴンス。1904年12月8日~1975年3月8日70歳で死去。以下この人の特徴をウィキペディアから。「戦前は娯楽映画を中心に撮ったが、第二次世界大戦中はアメリカ陸軍の映画斑に所属して戦意高揚映画の製作にあたった。西部戦線では連合軍の進撃に随行し、なかでもダッハウ強制収容所では解放直後から現場の記録撮影に従事し、ニュルンベルク裁判ではそのフィルムで制作された映画が証拠として上映された。
凄惨な戦争を実体験したことから、戦後は人間の内面を描いた作風に変わる。1948年の『ママの想い出』を皮切りに、1951年にジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『アメリカの悲劇』のリメイク『陽のあたる場所』でアメリカの上流社会を夢見る若者の悲劇を描き、見事アカデミー監督賞を受賞。
続いて1953年、西部劇の名作『シェーン』で少年の視点を通して西部に生きる開拓者とガンマンの交流を描き出した。して1955年、壮大な家族ドラマでジェームズ・ディーンの遺作となった『ジャイアンツ』でその名声を決定的なものにした。本作では2度目のアカデミー監督賞を受賞、アメリカの家庭劇を中心に描いたことから、ドメスティック・リアリズムの巨匠と称された。
モンゴメリー・クリフトは若くしてこの世を去った。1920年10月17日~1966年7月23日45歳で死去。ネブラスカ州オマハ出身。ウィキペディアより「子役として13歳でブロードウェイで初舞台を踏み、以後10年間は舞台で経験を積み、多くの作品で主演を務めて高い評価を得た。ハリウッドからの誘いを断り続けていた彼だが、1948年、ジョン・ウェイン主演の『赤い河』で映画デビュー。同年の『山河遥かなり』でナチスによって母親と離ればなれにされた事によって、恐怖のあまり人間不信に陥り失語症となった少年を保護した心優しい米兵を演じアカデミー賞にノミネート。
その後『陽のあたる場所』、『地上より永遠に』でもノミネートされ、二枚目俳優として活躍する。1950年頃からアレルギーと大腸炎に悩まされるようになり、その結果、アルコールとドラッグの問題を抱えるようになる。更に1956年に交通事故に遭い顔面を負傷、整形手術をする[3]も顔の筋肉の一部が動かなくなってしまい、以後更に健康上の問題を抱えるようになる。1959年にはテネシー・ウィリアムズの戯曲の映画化『去年の夏 突然に』、1961年にはマリリン・モンロー、クラーク・ゲーブル主演の『荒馬と女』に出演。1961年の『ニュールンベルグ裁判』ではアカデミー助演男優賞にノミネートされ、その後の活躍も期待されたが、1966年に心臓発作で死去した。
エリザベス・テイラー、1932年2月27日 ~2011年3月23日79歳で死去した。イギリス出身の女優。少女時代からメトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM) で子役として映画出演しており、成人後には「ハリウッド黄金時代」(en:Hollywood's Golden Age) を代表する大女優の一人となった。世界的にもっとも有名な女優の一人であり、優れた演技力、美貌、豪奢な私生活、そして珍しいスミレ色の瞳で知られていた。
レイモンド・バー1917年5月21日 - 1993年9月12日76歳で死去は、ブリティッシュ・コロンビア州ニューウェストミンスター出身の俳優。。第二次世界大戦中は海軍に入隊したが、沖縄戦で負傷し帰国。海軍を退役後、演劇に興味を抱き1946年に初めて映画に出演する。続く10年間に90作品に出演した。『陽のあたる場所』、『裏窓』といった作品に出演した。悪役を多く演じたが、1957年にE・S・ガードナーの『ペリー・メイスン』シリーズのテレビドラマ化でペリー・メイスン役を演じ、テレビスターの仲間入りをした。同作品は人気を博して9年間続き、1959年と1961年にエミー賞主演男優賞を受賞した。1967年にはもう一つの長寿ドラマシリーズ『鬼警部アイアンサイド』で、車椅子の刑事役を演じた。