Wind Socks

気軽に発信します。

ミニ恋愛小説「ラブレター」(3)

2014-06-15 14:20:14 | 小説

 もとの引き出しに戻して、ニュース番組にチャンネルを合わせた。ニュースは踏切事故や火災で人が死んだとか高齢者を狙った詐欺が横行しているとか、あまり明るい話題はなかった。孝司は、今からさゆりを殺そうとしている自分に動揺しているのか落ち着かない気分でいた。
 
 キッチンからさゆりの声がした。「孝司さん、こちらにいらっしゃいな」マンションにしてはやや広いキッチンでテーブルに椅子が四脚向かい合っていた。いわゆるクローズド・キッチンでさゆりのこだわりのキッチンだ。オープン・キッチンは、料理の匂いがリビングまで流れるのが嫌なのがその理由だった。たしかに、鯵やさんまの焼く匂いがリビングに充満するのは雰囲気をぶち壊してしまう。
 テーブルには孝司が持参したワインにクリスタルのワイン・グラスが添えられ、鶏肉のトマトソース煮とガーリック・トーストがそれぞれ白磁の皿に盛られていた。おまけにダウン・ライトの光源を落としてあって、柑橘系の香りのするキャンドルが2個テーブルでゆらめいていた。そのゆらめきの中にさゆりが微笑んでいた。
     

 孝司は一瞬めまいに襲われた気分になった。あの怒りはどこへ行ったのだろう。今はさゆりを思いっきり抱きしめて<一緒に死んでもいいくらい愛しているよ>と言いたいと思った。
怪訝な表情のさゆりが言った。
「孝司さん、どうかしたの?」
「えっ? いやちょっとめまいがしたんだ」
「めまいなの? 大丈夫?」
「うん、大丈夫。立ちくらみだから」
「そう、じゃあ私着替えてくる。すぐよ」
 
 孝司はリビングのソファにもたれかかり、いつもさゆりが読んでいる本や雑誌を置くラックに目をやった。そこには恋愛小説やファッションの雑誌は見当たらず、「よい病院選び」とか「先端医療について」、「ガンは怖くない」とか病気に関する本が並んでいた。孝司は、ご両親か兄妹かあるいは親戚の誰かに起こったことのせいなのかもと思った。
 本の横にCDケースが立てかけてあった。取り上げてみると「ロマンティック・ピアノ集」で知らない人が演奏していた。
「孝司さん、そのCDをかけてくださらない?」振り向くとワインカラーのワンピースをすっきりと着こなし、首から下がる金色のネックレスが眩しく光った。シャワーの後なのか色白のさゆりはことのほか色香が漂っていた。
 
 孝司は即断した。<さゆりを殺すのはやめよう。その後のことは成り行きに任せよう>CDからは夜にふさわしい「スターダスト」が流麗なピアノに乗って流れてきた。一年前の二人に戻ったようだった。話題は必要なかった。もう殺す必要のないさゆりの顔を眺め口元の笑みに笑みで応えるだけでいい。赤ワインは程よい酔いをもたらし少々の饒舌も運んできた。

「ところで、さゆり。本棚の中に病気についての本が多いね。どなたかが悪いの?」さゆりの表情がサッと翳った。目はワイングラスに注がれている。
 孝司はさゆりの変化についていけず「悪いこと言ったのかなあ」
「ううん、はっきり言うと私、末期がんなの」
「えっ、あの……、それ……、ああ、困った」孝司に動揺が走った。
 二人の間に沈黙がしばらく続いた。ようやく孝司の左手がさゆりの右手を握り締めた。孝司の手はぶるぶると震えていた。涙がとめどなく流れワイングラスにポトポトと落ちた。
「孝司さん、私はもう覚悟しているわ。30にもならないで死ぬなんて……考えるほど怒りが募るけど、これが運命なのね。私にはどうすることも出来ない。苦しいのは死ぬまでで、そのあとは平穏がくるわ」


最新の画像もっと見る

コメントを投稿