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ミニ恋愛小説「ラブレター」(6)

2014-06-15 14:23:32 | 小説

 一方、孝司のほうは英語の読み書きは問題なかったが、会話がちょっと不十分だった。会社の書類関係は日本でも英文だったからだ。
 ニューヨークに来て夜飲み会などではスラングの多いことに戸惑った。それも慣れの問題で2ヶ月も経つと何年もニューヨーク在住という顔つきになった。ブレッドとコックスという親しい友人もできた。週末にはパーティがありブレッドやコックスの女友達とも合流する。ブレッドはハーバードだしコックスはスタンフォードで二人とも遊びは非常に楽しい。歌もうまいし楽器も演奏する。ブレッドはピアノ。コックスはギターという具合。
 
 その点、孝司には何の特技もない。何とかついて行けるのはスタンダード・ポップスを10曲ほど歌えることだけだった。ところが彼らはアメリカン・ポップスを望まない。むしろ、日本の歌を歌えとせっつく。
「OK OK 分かった。二三日待ってくれ。楽譜をダウンロードするから」こうして毎週息抜きの楽しい時間を持つようになった。
 女友達の中に父親が投資会社の役員をしていてニューヨーク郊外のイーストハンプトンに豪壮な別荘を持っているジニーがいた。勿論、メイドも雇っている。映画では黒人のメイドが多いが、ここでは白人のメイドとのこと。
 
 夏のある日、いつもの遊び仲間を招待してくれた。孝司から見れば映画のセットのような豪壮な邸宅に気後れしてしまった。招待された友達も同じような感じに写った。やっぱり金持ちというのは、周囲になんとなく威厳を振りまくようなのだ。特にこういう豪壮な別荘を見れば。
       
 玄関を入るとまるで宮殿を思わせるたたずまい。広い階段がカーブを描いて二階へとつながる。ふかふかの絨毯が敷き詰められていた。天井からは無数に散らばる電球のシャンデリアがぶら下がっていた。ベッド・ルームが10部屋あるそうだ。
 女主人かと思わせるようなたたずまいの初老のメイドの案内で孝司の部屋が紹介された。「ディナーは午後6時からですよ。それまで3時間ほどありますから邸内や庭園を見て回るのもいいでしょう。キャサリンに案内させますよ。ああ、キャサリンは私の娘です。ご遠慮なさらないで……」と丁重な態度で言った。
「分かりました。お願いします。ところであなたは……」
「ケイトと呼んで……」
「分かりました。私は孝司です。コウジと呼んでください。ケイト」
 
 部屋は20畳ほどで真ん中にダブルベッド、壁際に32インチのテレビ、年代ものの整理ダンスが置かれいた。唐突にさゆりを思い出した。ここでさゆりと一緒だったらという思いだった。
 孝司はさゆりが結婚したことを知っていた。ニューヨーク転勤が決まりマンションを引き払った後、連絡先を実家にしていて母からさゆりの手紙が転送されてきたというわけだった。
 
 ドアにノックの音がした。ドアを開けると、目も覚めるようなブルーの瞳が真っ先に飛び込んできた。
「ハイ、コウジ? 日本人のコウジ?」そのブルーの瞳の持ち主が言った。
「イエス、イエスだけど火星人に見えた? それとも怪獣?」コウジはやり返した。
「オー、ノーノーノー! 私の日本人のイメージと違ったから。私はキャサリンよ。皆さんを庭園に案内するわ。玄関のテラスで待ってて! じゃあ」彼女は別の部屋へ足早に向かった。その後姿を眺めながら<今はあんなにすらりとしているが、歳をとると洋梨型の体型になるんだろうか。しかし、母親のケイトは痩せ型だからどうなるんだろう>余計な推測をしながら階段を下りた。
 
テラスに出るとジニーが座っていた。
「ハイ、ジニー! 君も案内してくれるの?」
「ううん、私はついていくだけよ」
「じゃあ、行こうか」と言ってジニーに手を差し伸べた。その手をとってジニーは立ち上がった。スニーカーのジニーの身長と孝司の身長がほぼ同じだった。目の前にジニーの顔があった。茶色の瞳が孝司を見返していた。瞳の奥のある種の情念を見て孝司は立ちすくんでいた。正直はっとして周囲が見えなくなった。玄関ドアが開けられたのも気がつかなかった。出てきたキャサリンも二人の雰囲気に気を取られ無言で立っていた。
 その空気を引き裂いたのは陽気なブレッドだった。「なんだよう。お二人さん意味ありげだよなあ。恋の語らいはあとにしてくれ!」と言って笑った。
 結局ジニーとの距離は縮まらないし、キャサリンの積極的なアプローチもあって、孝司は二人のアメリカ女性との間でどっちつかずの態度に追いやられていた。二年前とまったく違う運命の転変を思いながら、ニューヨークのアパートのキッチンでバーボンを片手に、日本語の訳名「星屑」の方が好きなフランク・シナトラが歌う「スターダスト」に聴き入っていた。窓はどっぷりと暮れて黒いガラスのようだった。
    了


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