Wind Socks

気軽に発信します。

小説 人生の最終章(最終回)

2007-06-16 12:45:59 | 小説

23

 めぐみは考えていた。あの香田という人は、ほんとに優しい人なんだと。けいが言ったというめぐみの話を、香田に抱かれたいために、でっち上げた嘘なのではと考えても不思議ではない。にも拘らず、あえて、受け入れてくれた香田には包容力を感じていた。
翌日パソコンを起動した香田に、めぐみからメールが届いていた。
「香田さん。きのうはわざわざお越しいただいて、ありがとうございました。
私もやっと心の重荷が下りたように思います。それに、素敵な愛の贈り物をいただいて、嬉しさで涙をとめることが出来ないくらいです。
 本当に心のお優しい方ですね。奥様がうらやましい。でも、私は二度とメールは差し上げないでしょう。それで、こちらへのメールもお止(よ)しになってください。お願いします。
素敵な時間をありがとうございました。
それでは、奥様ともども睦まじくお過ごしくださいませ。     村上めぐみ」
 香田はふーっと息を吐き出した。めぐみは一度きりのセックスを覚悟していたのだろう。彼女も優しい女性だった。

 日増しに陽射しが強くなり六月になっていた。久しぶりに妻と一宮のマンションに来ていた。昨夜、香田はけいとのことを告白した。ただ、めぐみとのことは省いて。
 妻の丸子に怒りはなかった。むしろ穏やかだった。「分かっていた。女の勘ね」と言った。それに「そりゃ分かるわよ。口紅のついたハンカチがポケットから出てきたりやキャンプに一人で行ったり、今までキャンプは家族でしか行かなかったでしょう。それが何度もとなると。
 あなたは今まで、こんなことはなかったでしょう。深入りが心配だったけど。聞いていて、そのけいという人素敵な人なのね。私より美人なんでしょう?」
「うん、まあね」
「何よ、その言い方。私より不美人だったら許せないわ」
「心配しなくていい、少しだけ美人だよ」丸子はぷーっと吹き出した。
「無理しなくていいのよ。まあ、一番気になっていたのは、あなたがずーっと秘密にすることだった。でも、今告白してくれてよかったわ。秘密というのは、私が知らないからでしょう。知っていれば秘密でもなんでもないわ」
「危ないところだったというわけだ」
 長年連れ添った夫婦のいいところは、沈黙の時間が苦にならないことだ。相手を気遣って何か言わなければなどということがない。西に日が沈みはじめ海鳴りの音も耳に心地よく感じられビールの味も格別な気がする。ほろ酔いになっていきなり妻を押し倒した。
「なにするの?」と口では言うが香田の舌が首筋を這い出すと、しっかりとしがみついてきた。
 翌朝、妻は上機嫌で香田にべたべたして来た。幾つになっても女ってやつは、好色なんだからと香田は呟く。それを言うなら男だって同じだろうと陰の声が聞こえた気がした。

 そしてドライブに出てきて、太東崎漁港の駐車場で海を眺めていた。サーファーが波間から顔をだして好みの波を待っていた。遠くに大型の船が停まっているように見えた。
 ぶらぶらと歩いていると、関東ふれあい道の看板があった。丸子が見つけて登ろうという。階段状になっていて、登りつめたところは眺めのいい丘になっている。 ここはけいときて、初めてのキスを交わしたところだ。生々しい記憶が甦る。ビールケースに支えられたベンチが無人の丘で待っていた。丸子があとから、はあはあといいながら登ってきて隣に座った。手を握ったり、キスをしたりしなかった。
 前方に広がる太平洋は、今日も変わらない姿で、陽光に輝いている。つくづく香田は思う。妻を含めて三人の女性は、なんと素晴らしいのだろう。思慮深くて聡明で包容力に富み動じない精神力にも。
 ある人は、人生は幻想だという。過去は記憶であり未来は想像で、現実だと言い切れるのは、今この瞬間だけ。その瞬間は想像から記憶へ刻一刻と変化している。 香田は素敵な女性たちともども、その瞬間を過ごしたことに、満足感で胸が一杯になった。
 人々の人生が大きなキャンバスに描かれた絵画とすれば、香田の人生はほんの端っこにある小さな部分のようなもの。あるいは、煮炊きする鍋から立ち昇る湯気が、一瞬表れるようなものなのかもしれないと思う。それでも、女性たちが歓喜に震えるのなら、充分だと思った。                  了

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 読書 ジョージ・P・ペレケ... | トップ | 読書 トマス・H・クック「... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

小説」カテゴリの最新記事