
〈家族写真はいつでも嘘をつく〉
導入部でこの文字が目に飛び込んでくる。海辺や高原の避暑地。紺碧の空に浮かぶ白い雲や陽に輝く木々の向こうに見える山並みを背景に、若くて精悍な父、美しい母、十歳に満たない子供たち。
子供たちを護るかのように両親が両脇に立っている。この幸せな瞬間が永遠に続くかのように、みんな穏やかな笑顔を浮かべて。しかし、家族は壊れやすいガラスのようなもの。
父は息子を本当に理解しているのか。そして夫は妻を……。小さな町で写真店を営むエリック・ムーアの人生に突然難題を突きつける。エリックの十五歳の息子キースが、ベビーシッターを頼まれた家の8歳の娘が行方不明になった事から始まる。
当然警察も周囲も最後に見た人間に関心が集まる。キースも例外ではない。親はうちの息子に限ってそんなことはしないと思い込もうとするが、でも、まさか……。息子の行為がすべて疑問に思えてくる。おまけにエリックの実兄の破廉恥な行為や妻に対する不信も生まれるようになる。
やがてエリックが悟るときが来る。“わたしがキースのことで間違っていたのは、ティーンエイジャーのよそよそしさや、怒ったような薄笑いを浮かべた不機嫌そうな行動にもかかわらず、内側では大人になりつつある部分があることを認めようとしなかったという点だと気づいた。
思春期というもろいサナギの内側で成長しつつある大人の部分を認めて、それを注意深く引き出してやることが必要であり、キースの未熟さにではなく、まもなく大人になろうとしているという事実にこそ向き合う必要があるのだろう”
理解しあえた父と子だったが、事態は悲劇的な方へ流れてしまう。文体は少し暗いが、浮き上がる心のひだが印象的で琴線に触れる。もし、こんな事態に直面すれば、どうすればいいのか自信はない。一途に息子や娘を信じることなのだろうけど。
著者は、「緋色の記憶」で1997年度エドガー賞受賞の実力派。アラバマ生まれ、ニューヨーク在住。
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