これは3月15日、朝日新聞朝刊の「世界の論調」欄にあったニューヨーク・タイムズ電子版の社説の書き出しだ。
記事はオックスフォード大の研究者が発表した、女性に対するアルコールの功罪の結論について書いてあった。毎日適量の飲酒量の女性でさえ、乳がん、肝臓がん、直腸がんなどの危険が高まる。反対に適量の飲酒は、甲状腺がんや腎臓がん、リンパ腫の危険を減らすという。
さらに混乱するのは、まったく飲まない人は週に6杯までの人より、がんにかかる確率が高いという。じゃあ一体どうすればいい? これが最終判定でないにしても、飲んでも飲まなくても人間は何らかの危険にさらされているのは確かのようだ。
それよりもこの記者が「赤ワインを飲むとしゃれた気分になる」というくだりにわたしは興味を持った。わたしは今まで欧米人は、ワインなんて日常の飲み物の一つと考えているのだろうと思っていたからだ。赤だろうが白だろうが、そこにワインがあるから飲む。そんな感覚だろうと思っていた。それも間違いではないのだろうが、わざわざ赤ワインと断っているところを見ると赤に思い入れがあるのだろう。
そこで思い出したのが、映画のシーンだ。誕生パーティでも女性の招きで訪ねる夕食の席でもいいが、男はドレスアップして花束と赤ワインを持参すという場面だ。決して白ワインではない。ワインのもつ雰囲気におごそかなものがあって、しゃれた気分にさせるのかもしれない。
かつて、シカゴ・トリビューンの元コラムニスト、ボブ・グリーンの書いた「マイケル・ジョーダン物語」の中で、レストランでのワインのテースティングについての記述が思い出される。
アメリカ人は、レストランでのこの儀式には慣れていると思っていたが、ボブ・グリーンは珍妙な形だけの儀式だと揶揄していた。この赤ワインでしゃれた気分も、アメリカ人もわれわれと同じような気分を持っているのだということを分からせてくれた。それにしてもワインには、特別な気分にしてくれる何かがある。