父が大東亜戦争 (日本名) の時に着ていた本物です。
これ着て、わたしが20歳の頃知らないで面白がって被っていた陸軍の航空帽を被って、手製のリュックに決められたとおりのちり紙や用品を詰め、武装解除されたボルネオから背負って帰ってきました。
ほっそいなぁ~。今86歳の父はもちろんもう着られないでしょうが、時々姉が虫干ししてあげて、父が死んだらお棺に入れてあげる予定だそうです。
憲章などは全て取り外されています。ちょっとこの写真ではよく分かりませんが、くすんだ薄いカーキ色をしています。
うーん ? 前橋で召集されたの ? 父は東京生まれだけど。
父は陸軍だったから前橋に航空隊があったのかなぁ ? 今度聞いてみよ。
父が中島飛行機製の「一式・隼」に乗っていた話はこちら →
零戦の前で
夏になると前の大戦の話がTVでもたくさん出ます。戦後62年となり、NHKでは年を取って来た戦争経験者にインタビューをして記録に残そうとしています。大変良いことだと思います。学徒で出陣した父も86歳、少年兵だった方々も80歳以上の年齢です。
私が子供の頃の少年マンガ雑誌では口絵に戦艦大和とか零戦とか、記事でも絵物語でも結構太平洋戦争ものは多かったし人気も有りました。今は少年誌ではあまり見かけませんね。描いてる人がもう若いからね。20代、せいぜい30代の人がマンガを発表しているわけだから、描いても想像の域を出ないでしょ。小松崎 茂氏 →
ウィキペディア 小松崎 茂 の軍艦、戦車、飛行機の絵は子供心に凄かったですよ~。
復員してきた若い兵隊さんたちが結婚し、生まれた子供たちがもう定年及び定年間近な年齢ですもの、太平洋戦争は遠く遠くはるか遠くになってしまったけれど、やっぱり忘れちゃいけない、父や祖父の確かに生きてた時代なんです。