1968年10月号 短編シリーズ ⑤ クモの糸の話が3篇。
① ある日クモは考えた。「たいていの大きな家は大きな権力を現す。」 俺もでっかい巣を張れば、仲間のクモにでっかい顔が出来るってもんだ。
頑張って、頑張って、糸をはき続け、体の一部まで糸になるまではき続け、目だけが残ったクモは後悔の涙をこぼし、目も糸になった後には、涙の粒のかかった大きな大きな巣ばかりがあった。
主のいないクモの巣は、そんなストーリーを作らせるのです。
② 貧乏な家の少女と飼い犬のポチはきれいな金色と黒のクモを見つけます。近所のおばさんに名前を聞いたら 「女郎グモ」 を 「女王グモ」 と聞き間違え、ずっとそう思っています。
転校生のキラキラした美少女の倉田さん、女王グモのように綺麗だとあこがれる少女。でもドキドキしながらそばに寄ったら、自分の汚い格好のせいでプィッとされてしまった。家に帰っても両親は相変わらず喧嘩ばかり。
涙を流しながら、女王グモになりたい ! と叫ぶ少女。その前に金色のクモの糸が。。。それを伝って行き、ブランコやトランポリンのように遊んでみる。ポチは下の方で吠えるけど、なんて楽しいの !
いつのまにか少女は女王グモになって大きな巣の中心に居た。ポチはその下で悲しそうに泣いている。
③ パリ画壇今年最大の新人と騒がれだしたジャンには、日本人のモデル、愛する圭子が居た。貧乏なジャンのアトリエは、壊れたガラスも直せないほどだったが、圭子を見ているとすべてを忘れ、夢見ごこちで絵を仕上げることが出来るのだ。
しかし、人気が出て新聞社の取材だのTVのインタビューだと忙しくなるにつれ、ジャンはアトリエを綺麗にし始め、助手でも置かなきゃと言い出す。
圭子はジャンに今貴方はどこに居るの、と質問する。ジャンは 「アトリエに決まっているじゃない」 と言う。
圭子は 「貴方を夢の中へ誘えなくなってしまった」 と言って姿を消す。必死に探し、追いついたジャンに圭子は
「なぜってジャン、以前のあなたなら絵を描いている時、そよ風と虹色の光の中でキャンバスに向かっていると答えてくださったでしょう ? 」
「今の貴方は絵を描きながら画廊の主人の顔を思い浮かべ、画壇での貴方の人気について考えるようになった。」
ジャンは言う
「たった一言の失言じゃないか」
「たった一言のためにクモの糸が切れて地獄にへ転がり落ちた罪人の物語 (ご存知芥川龍之介のクモの糸ですね)を知っている ? ジャン」
ちょ、ちょっと待った~今の私ならジャンの味方しちゃうね。かすみを食っては生きられません。愛する圭子にパンやスープを食べさせ、アトリエの壁を塗り替え綺麗にし、ガラスをはめて冬に備え、いつ又売れなくなるやも知れぬ自分の絵を売れるときに売って、蓄えようとするのは当然と言えませんか。趣味でやっているならともかく、生計としているなら作家や画家も生きている間は人気商売でしょう。
もっと言うなら、夢を見させてよい作品を描かせたら、それをフォローする役割の人間 (パトロンでも画商でも) がいないと画家も飢え死にしちゃうわ。 フィンセント・ファン・ゴッホ に対する弟のテオドールのように。逃げてどうする、圭子よ。これは当時の女性の生き方の限界か ? 40年経つと考え方もとても変わって来ている。
これは寓話だから極端だけど、夢と現実生活のバランスは難しい。
お笑いやタレントさんも程ほどでいいやと思っていたらどの世界でも物にならない。一度売れ出したら廻りがほっとかないから行くところまで行かないとブームは終わらない。さて、本当の実力者は一度上っていったん落ち着くか、落っこちてから、もう一度のし上がってくる。じわじわと売れていって、というのが一番いいのかも知れないけど、一回は売れないと自分のやりたいことのチャンスも来ないからね~。
ああ、あたしは一般お局OL、人気商売でなくて良かった…。いえ、負け惜しみでは。
それにしても、まんが読んでもあれこれいろんな考えが浮かんで本体から離れた記事になってしまうのよね~。ごめんあそばせ。
① ある日クモは考えた。「たいていの大きな家は大きな権力を現す。」 俺もでっかい巣を張れば、仲間のクモにでっかい顔が出来るってもんだ。
頑張って、頑張って、糸をはき続け、体の一部まで糸になるまではき続け、目だけが残ったクモは後悔の涙をこぼし、目も糸になった後には、涙の粒のかかった大きな大きな巣ばかりがあった。
主のいないクモの巣は、そんなストーリーを作らせるのです。
② 貧乏な家の少女と飼い犬のポチはきれいな金色と黒のクモを見つけます。近所のおばさんに名前を聞いたら 「女郎グモ」 を 「女王グモ」 と聞き間違え、ずっとそう思っています。
転校生のキラキラした美少女の倉田さん、女王グモのように綺麗だとあこがれる少女。でもドキドキしながらそばに寄ったら、自分の汚い格好のせいでプィッとされてしまった。家に帰っても両親は相変わらず喧嘩ばかり。
涙を流しながら、女王グモになりたい ! と叫ぶ少女。その前に金色のクモの糸が。。。それを伝って行き、ブランコやトランポリンのように遊んでみる。ポチは下の方で吠えるけど、なんて楽しいの !
いつのまにか少女は女王グモになって大きな巣の中心に居た。ポチはその下で悲しそうに泣いている。
③ パリ画壇今年最大の新人と騒がれだしたジャンには、日本人のモデル、愛する圭子が居た。貧乏なジャンのアトリエは、壊れたガラスも直せないほどだったが、圭子を見ているとすべてを忘れ、夢見ごこちで絵を仕上げることが出来るのだ。
しかし、人気が出て新聞社の取材だのTVのインタビューだと忙しくなるにつれ、ジャンはアトリエを綺麗にし始め、助手でも置かなきゃと言い出す。
圭子はジャンに今貴方はどこに居るの、と質問する。ジャンは 「アトリエに決まっているじゃない」 と言う。
圭子は 「貴方を夢の中へ誘えなくなってしまった」 と言って姿を消す。必死に探し、追いついたジャンに圭子は
「なぜってジャン、以前のあなたなら絵を描いている時、そよ風と虹色の光の中でキャンバスに向かっていると答えてくださったでしょう ? 」
「今の貴方は絵を描きながら画廊の主人の顔を思い浮かべ、画壇での貴方の人気について考えるようになった。」
ジャンは言う
「たった一言の失言じゃないか」
「たった一言のためにクモの糸が切れて地獄にへ転がり落ちた罪人の物語 (ご存知芥川龍之介のクモの糸ですね)を知っている ? ジャン」
ちょ、ちょっと待った~今の私ならジャンの味方しちゃうね。かすみを食っては生きられません。愛する圭子にパンやスープを食べさせ、アトリエの壁を塗り替え綺麗にし、ガラスをはめて冬に備え、いつ又売れなくなるやも知れぬ自分の絵を売れるときに売って、蓄えようとするのは当然と言えませんか。趣味でやっているならともかく、生計としているなら作家や画家も生きている間は人気商売でしょう。
もっと言うなら、夢を見させてよい作品を描かせたら、それをフォローする役割の人間 (パトロンでも画商でも) がいないと画家も飢え死にしちゃうわ。 フィンセント・ファン・ゴッホ に対する弟のテオドールのように。逃げてどうする、圭子よ。これは当時の女性の生き方の限界か ? 40年経つと考え方もとても変わって来ている。
これは寓話だから極端だけど、夢と現実生活のバランスは難しい。
お笑いやタレントさんも程ほどでいいやと思っていたらどの世界でも物にならない。一度売れ出したら廻りがほっとかないから行くところまで行かないとブームは終わらない。さて、本当の実力者は一度上っていったん落ち着くか、落っこちてから、もう一度のし上がってくる。じわじわと売れていって、というのが一番いいのかも知れないけど、一回は売れないと自分のやりたいことのチャンスも来ないからね~。
ああ、あたしは一般お局OL、人気商売でなくて良かった…。いえ、負け惜しみでは。
それにしても、まんが読んでもあれこれいろんな考えが浮かんで本体から離れた記事になってしまうのよね~。ごめんあそばせ。