COM 1968年9月号 第12回月例新人入選作 <青春・実験まんがコース>
写り悪いし、私の指が写っちゃってますが (笑)
あらすじ
江戸時代、捕縛され血まみれの着物を着た若い女が引き立てられていく。女は呆然と前を見つめ、口を半開きにして見物人の前を歩いていく。そこから女の回想に入っていく。
貧しい漁村、幼い男女が仲良くたわむれている姿。女の子が転んで泣くと父親が出てきて、男の子のせいだと言わんばかりに男の子を殴り女の子を抱いて行ってしまう。貧しいながらも女の子は大事にされているらしい。
十代後半だろうか成長した二人。男は漁師で網の修理をしている。手をケガした男に女が布切れを巻いてあげる。思春期の二人は口付けを交わすが、女は怖くなってその場を立ち去ってしまう。
女の父親が死んだらしい。後には泣く母親と幼い弟妹。女は50両の金で売られていくことになった。窓から青ざめた顔でそれをみる男。旅の支度をし、人買いに連れられ漁村を出発する女。途中竹林で男が待っていて、つかの間抱き合うが人買いに手をつかまれ、無理やり引き離されてしまう。
時が流れ、宿場らしい町の一角、胸をはだけ髪も乱した女が酔客の相手をしている。カラのお銚子を持って階下に下りていくとそこには・・・・。青年となった男が自分を探して会いに来ていた。嬉しそうな男。しかし、女は突然のことに声も出ないようだ。
突然かんざしを手に男の首に切りつける女、飛ぶ鮮血。なぜだ ?! という目を向けて、抱きしめようと女の体にすがる男にもう一度躊躇なくかんざしを振りかざす女。
女は男に会えた嬉しさよりも、今の自分の姿をみられた恥ずかしさの方が勝ってしまったのか ?
冒頭の場面に戻り、ふらふらとしゃがみこんでしまう女。見上げた目の中には、やっと一滴の光るものが見えただけだった。
もとやま氏はこれ以前にもCOMのこのコーナーで佳作に入っていたりしますが、この作品は後にCOMに発表されたものも含めて、一番印象に残っていて、一番上手いと感じた作品です。理由は以下の4つ。
① まず選者の 峠 あかね氏 も言っているように、着物の柄のタイトルバックから女の歩く姿、そこから女の回想に入っていく導入部が作品の世界に自然に入って行け、達者だ。
② に 全編当時で言う 「サイレントまんが」 で一言のセリフも説明文も入っていない事。
③ は 主人公二人の他の人物は黒いシルエットで表されていて、徹底して二人に焦点が当たっていること。
④ はラストに意外性があること。
金持ちになった男が迎えに来るとか、貧乏でも上手く手に手をとって苦界から女を助け出した、とかのハッピーエンドではありきたりで、短編としては面白みがない。
思ってもいなかった事態に遭遇した時、人はどのような行動をとるか。
この女は酔客の相手をする仕事、夜の世界に生きることに慣れた自分を幼馴染の好きな男には死んでも見られたくなかったに違いない。こんな自分には逢いに来て欲しくなかった。
でも、見られてしまったからには男を殺し、ひいては自分の身の破滅になろうとも悔いはない。綺麗な思い出のまま二人を滅ぼすのは、形を変えた心中と同じなのだ。封建社会に生きる女にとってそれは当たり前のことだったのか、はたまたこの悲劇は女の情念が深すぎたためか ?
読み終えて短編ながら読者も呆然と考えをめぐらす佳作です。
もとやま氏はその後少女漫画誌にデビューされ、別冊少女コミックの 「巴御前」 ものや「湯けむりねえちゃん」「先生にしつも~ん」 などの作品で活躍されました。一時レディコミックスにも描いていたような・・・。今はどうされているんだろう。
尚、昭和53年(1978)4月28日発行の 「もとやま 礼子の世界 白い影」 という、多分ムック本 (未見) に 矢代 まさこ氏 が 「もとやまサンはもてやまし礼子です」 という作品を描いているので、矢代氏も もとやま氏 及び、この作品のファンなのでしょう。
写り悪いし、私の指が写っちゃってますが (笑)
あらすじ
江戸時代、捕縛され血まみれの着物を着た若い女が引き立てられていく。女は呆然と前を見つめ、口を半開きにして見物人の前を歩いていく。そこから女の回想に入っていく。
貧しい漁村、幼い男女が仲良くたわむれている姿。女の子が転んで泣くと父親が出てきて、男の子のせいだと言わんばかりに男の子を殴り女の子を抱いて行ってしまう。貧しいながらも女の子は大事にされているらしい。
十代後半だろうか成長した二人。男は漁師で網の修理をしている。手をケガした男に女が布切れを巻いてあげる。思春期の二人は口付けを交わすが、女は怖くなってその場を立ち去ってしまう。
女の父親が死んだらしい。後には泣く母親と幼い弟妹。女は50両の金で売られていくことになった。窓から青ざめた顔でそれをみる男。旅の支度をし、人買いに連れられ漁村を出発する女。途中竹林で男が待っていて、つかの間抱き合うが人買いに手をつかまれ、無理やり引き離されてしまう。
時が流れ、宿場らしい町の一角、胸をはだけ髪も乱した女が酔客の相手をしている。カラのお銚子を持って階下に下りていくとそこには・・・・。青年となった男が自分を探して会いに来ていた。嬉しそうな男。しかし、女は突然のことに声も出ないようだ。
突然かんざしを手に男の首に切りつける女、飛ぶ鮮血。なぜだ ?! という目を向けて、抱きしめようと女の体にすがる男にもう一度躊躇なくかんざしを振りかざす女。
女は男に会えた嬉しさよりも、今の自分の姿をみられた恥ずかしさの方が勝ってしまったのか ?
冒頭の場面に戻り、ふらふらとしゃがみこんでしまう女。見上げた目の中には、やっと一滴の光るものが見えただけだった。
もとやま氏はこれ以前にもCOMのこのコーナーで佳作に入っていたりしますが、この作品は後にCOMに発表されたものも含めて、一番印象に残っていて、一番上手いと感じた作品です。理由は以下の4つ。
① まず選者の 峠 あかね氏 も言っているように、着物の柄のタイトルバックから女の歩く姿、そこから女の回想に入っていく導入部が作品の世界に自然に入って行け、達者だ。
② に 全編当時で言う 「サイレントまんが」 で一言のセリフも説明文も入っていない事。
③ は 主人公二人の他の人物は黒いシルエットで表されていて、徹底して二人に焦点が当たっていること。
④ はラストに意外性があること。
金持ちになった男が迎えに来るとか、貧乏でも上手く手に手をとって苦界から女を助け出した、とかのハッピーエンドではありきたりで、短編としては面白みがない。
思ってもいなかった事態に遭遇した時、人はどのような行動をとるか。
この女は酔客の相手をする仕事、夜の世界に生きることに慣れた自分を幼馴染の好きな男には死んでも見られたくなかったに違いない。こんな自分には逢いに来て欲しくなかった。
でも、見られてしまったからには男を殺し、ひいては自分の身の破滅になろうとも悔いはない。綺麗な思い出のまま二人を滅ぼすのは、形を変えた心中と同じなのだ。封建社会に生きる女にとってそれは当たり前のことだったのか、はたまたこの悲劇は女の情念が深すぎたためか ?
読み終えて短編ながら読者も呆然と考えをめぐらす佳作です。
もとやま氏はその後少女漫画誌にデビューされ、別冊少女コミックの 「巴御前」 ものや「湯けむりねえちゃん」「先生にしつも~ん」 などの作品で活躍されました。一時レディコミックスにも描いていたような・・・。今はどうされているんだろう。
尚、昭和53年(1978)4月28日発行の 「もとやま 礼子の世界 白い影」 という、多分ムック本 (未見) に 矢代 まさこ氏 が 「もとやまサンはもてやまし礼子です」 という作品を描いているので、矢代氏も もとやま氏 及び、この作品のファンなのでしょう。
トミー。さんの記事を読んでCOMに描いていらしたのか~と思いながら30年近く目にしていないのに絵柄がありありと蘇ってきました。そういえば矢代さんの絵ともどこか共通項があるような、と思ったらもとやまさんの本に矢代さんが作品を寄せているのですね、いろいろ想像(妄想カナ…)しちゃいます。
挙げてくださった『白い影』のストーリーは日本の創世神話のイザナギ・イザナミを思い起こさせますね。
昔NHKで放映されたラフカディオ・ハーン(小泉八雲・ジョージ・チャキリス主演)で、八雲が日本に惹かれたきっかけとして語られていたのが印象的でした…八雲にはたしかギリシャの血も混じっている(ギリシャ人、だっけ??)けど、ギリシャ神話にあるオルフェウスとエウリュディケの話よりイザナギ・イザナミの逸話のほうが男女の真実を表している、という話だったと思います。
イザナギはイザナミに先立たれて寂しくてたまらず黄泉の国へ会いに行く、ゼッタイ覗いてはいけないといわれた戸を開けて覗くと、イザナギの前では美しく見せかけていたイザナミの真実の姿は腐りかけてウジの湧いた腐乱状態、恐ろしくなって逃げ出したイザナギを、イザナギの配下の黄泉醜女たちが追ってくる。
オンナが見ちゃいかんと言ったものは見ちゃいかんよね~~~
「イザナミ」配下の、でした。。
そうどす~。女が見ちゃいかんと言ったものを見ると言うことは、死を意味するのですね~。あっ、鶴の恩返しは逃げられるだけか。いやいやせっかくお金を稼いでくれていた鶴さんに逃げられたら、貧しくて死ぬかもね~。
もとやまさんは、COM出身らしく男の子や背景などどちらかというと少年マンガぽい絵柄です。絵柄はちょっと違いますが、飛鳥幸子さんを思い出します。
飛鳥さんは水野英子風が残ってますが、もとやまさんは矢代まさこ、もしくは石森章太郎風が残っていると言うか。でもそれも初期作品だけ強く、なんでしょうけど。
でもどんな内容だったのかまったく覚えてません(泣)
ただ記憶の中に残ってるのは、好きな絵だったということです
私は20頃までは、手塚さんと石森さんどちらが好き?
って聞かれると、石森さんと答えるくらい、石森さんが
好きだったので、トミーさんのおっしゃるように
もとやまさんの絵に石森さん風のところがあるのなら
私が気に入るわけだと納得してしまいました
トミーさん、コピーありがとうございました
ダンナさんと一緒に懐かしがって読ませていただきました
家のダンナさんは昔は私よりも漫画少年だったらしく
絵をみて漫画家さんがわかったようです、今は何にも
読まなくなっちゃったんですけどね(笑)
佐藤 まさあき氏とか川崎 のぼる氏なんか読んでいらしたのではないでしょうか~。ブックさんの力で又マンガの世界に引き釣り込む~てのはいかがでしょうか。いえ、うちのだんなが、ぜんっぜんマンガを読まない人なんで詰まんないんですよ~ (泣)
一ノ関 圭さんを読まそうとしたり。ジブリのアニメをTVで見せたりしてるんですが、だめですな。(はぁ~)まっせいぜい私の邪魔をさせないくらいにはなりましたが。
私も手塚氏より石森氏の方が好きなんです。石森氏は手塚氏の影響多いし、「火の鳥」 とか大好きですけど、どちらかといったらやっぱり石森氏。どーしてか分かりませんが、子供の時初めて気に入ったマンガというのも影響あるのでしょうか。