またしても、「はてな」 で 森安 なおや を検索して見ましたが、簡単にしか載っていません。
森安 なおや トキワ荘のムードメーカー。1999年5月21日没、享年64歳。
もう、亡くなっていらっしゃるんですね。他でいろいろ漁った所、
本名は、森安 直(ただし)、1934年生まれの岡山県出身です。高校在学中、「山陽新聞中学生版」に4コマを掲載していたというのですから、早熟の天才だったのでしょう。上京後もすぐ田河 水泡先生 (のらくろの作者ね) の内弟子に入ったといいます。でも、あまり作品は知られていないなー。なぞは以下の 「トキワ荘物語」 にも少し伺えるような・・・。
記事中、黒文字は作品中のセリフ及び文章です。
まんが家志願 のるかそるか
表紙には、のるかそるか!! ぼくは東京でまんが家になるんだ・・・。さらば岡山 岡山城をバックに作者のうしろ姿が描いてあります。
始めに、「COM」 の紙上を借りて、十五年ぶりにまんがを描かせてくれた編集者にお礼を述べています。ついでに 「紫綬褒章」 をもらった恩師の 田河 水泡 にお祝いを述べています。
「トキワ荘残酷物語ー っ」 と始まりました。何でか![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eq_2.gif)
東京の大学に受かった級友たちと岡山駅を出発する森安氏。弁当もって見送りに来いと呼びつけた美人級友たちと別れを惜しむはずが・・・。トイレに入っていて声だけになり。(笑) 絵を見るとまだSLですね。東京まで何時間かかったんだろう。
他の級友達が「男子いったん志しを立てて きょうかんをーいずー 学もしならずんば死すともー」 と決死の覚悟で上京しているところ、(ご時世ですね)
そんなのむかしのことさ、あ はらへった とのん気な主人公。
上京した森安氏は、田河 水泡先生の内弟子に入ることになっていたのです。田河師匠の前で、「先生の弟子になるといったら校長はぐうもいえなくて卒業させてくれたんす」 タバコを吸いながら大きな態度の内弟子です。
前からの弟子に通いで 山根 赤鬼・青鬼兄弟、滝田 ゆうなどがいました。先輩弟子には長谷川 町子や倉金 章介(私は知りません)など。ですが、女中代わりに内弟子になれたのは森安氏だけだったのです。昭和38年春のことでした。
同期の弟子には住み込みということでライバル視されましたが、この女中がわり、炊事・洗濯まるでダメ。奥様に「もっと上手にごはん焚けないの」 先生に「ぼくは食べないからね」 といわれる始末。
他にも、先生からもらったスイス製の時計を落としてなくした話しとか、それを拾ってくれたのが 「待ち合い」 (今のラブホかな) の色っぽい女性で、出世したら来てねと言われたとか、面白いエピソードが続きます。
田舎で天才と言われた森安氏は早く独立したくてたまらない。「文才や、ユーモアを磨きなさい」 と先生に言われても独立の心は止みがたく、飛び出すようにして独立して原稿を目当ての出版社に持ち込みます。断られても先生の所へは戻れずに先輩まんが家に相談すると、有望な新人ということで 寺田 ヒロオ を紹介されます。
永田 竹丸(美男子に描かれています)、坂本 三郎、寺田、後に藤子 不二雄と「新漫画党」 を立ち上げますが、生来の怠け者とてなかなかまんがが描けないでいます。
「漫画少年」 がつぶれ、いよいよ描くところのない森安氏は、牛乳配達を始めるが新漫画党の党員に牛乳を押し付けてひんしゅくを買ったり、寺田氏がかばってトキワ荘に入れてやれば、鈴木 伸一の本を売っておかずにしたり、藤子 不二雄に食べさせてもらったり。トラブルメーカーですね。でも誰も本気で責めていない。みんな気のいいやつだと、作者も感謝しています。
石森氏と赤塚氏もトキワ荘に入ってきて、皆競って描いているのに、森安氏ひとり、寺田に紹介してもらった仕事も落として (締め切りに間に合わなかったのね) ついには干されてトキワ荘を去ることに。6ヶ月も部屋代をため、寺田氏に尻拭いさせてしまった。さすがに怒った寺田氏は、「新漫画党」 の党員を集めて会を除名し、「WANTED」 のポスターまで作られてしまいます。しかし、そこに弗10 (10ドル) と書いてあるのを見た森安氏、おれはそんなに安く無いぞと、弗10.000 と書き直すのであった・・・。
若いのに、破滅型の人生ですね。その後もペンキ屋をやって生計を立てたり、晩年は長編まんがを描いて一流紙での再デビューを図って叶わなかったり、いろいろあったようですが、他のトキワ荘のみんなと仕事の上ではかけ離れてしまったようです。以前、NHKの 「トキワ荘」 を題材にした番組でその辺の事情を話していました。
ちょっと寂しい回になりました。
森安 なおや トキワ荘のムードメーカー。1999年5月21日没、享年64歳。
もう、亡くなっていらっしゃるんですね。他でいろいろ漁った所、
本名は、森安 直(ただし)、1934年生まれの岡山県出身です。高校在学中、「山陽新聞中学生版」に4コマを掲載していたというのですから、早熟の天才だったのでしょう。上京後もすぐ田河 水泡先生 (のらくろの作者ね) の内弟子に入ったといいます。でも、あまり作品は知られていないなー。なぞは以下の 「トキワ荘物語」 にも少し伺えるような・・・。
記事中、黒文字は作品中のセリフ及び文章です。
まんが家志願 のるかそるか
表紙には、のるかそるか!! ぼくは東京でまんが家になるんだ・・・。さらば岡山 岡山城をバックに作者のうしろ姿が描いてあります。
始めに、「COM」 の紙上を借りて、十五年ぶりにまんがを描かせてくれた編集者にお礼を述べています。ついでに 「紫綬褒章」 をもらった恩師の 田河 水泡 にお祝いを述べています。
「トキワ荘残酷物語ー っ」 と始まりました。何でか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eq_2.gif)
東京の大学に受かった級友たちと岡山駅を出発する森安氏。弁当もって見送りに来いと呼びつけた美人級友たちと別れを惜しむはずが・・・。トイレに入っていて声だけになり。(笑) 絵を見るとまだSLですね。東京まで何時間かかったんだろう。
他の級友達が「男子いったん志しを立てて きょうかんをーいずー 学もしならずんば死すともー」 と決死の覚悟で上京しているところ、(ご時世ですね)
そんなのむかしのことさ、あ はらへった とのん気な主人公。
上京した森安氏は、田河 水泡先生の内弟子に入ることになっていたのです。田河師匠の前で、「先生の弟子になるといったら校長はぐうもいえなくて卒業させてくれたんす」 タバコを吸いながら大きな態度の内弟子です。
前からの弟子に通いで 山根 赤鬼・青鬼兄弟、滝田 ゆうなどがいました。先輩弟子には長谷川 町子や倉金 章介(私は知りません)など。ですが、女中代わりに内弟子になれたのは森安氏だけだったのです。昭和38年春のことでした。
同期の弟子には住み込みということでライバル視されましたが、この女中がわり、炊事・洗濯まるでダメ。奥様に「もっと上手にごはん焚けないの」 先生に「ぼくは食べないからね」 といわれる始末。
他にも、先生からもらったスイス製の時計を落としてなくした話しとか、それを拾ってくれたのが 「待ち合い」 (今のラブホかな) の色っぽい女性で、出世したら来てねと言われたとか、面白いエピソードが続きます。
田舎で天才と言われた森安氏は早く独立したくてたまらない。「文才や、ユーモアを磨きなさい」 と先生に言われても独立の心は止みがたく、飛び出すようにして独立して原稿を目当ての出版社に持ち込みます。断られても先生の所へは戻れずに先輩まんが家に相談すると、有望な新人ということで 寺田 ヒロオ を紹介されます。
永田 竹丸(美男子に描かれています)、坂本 三郎、寺田、後に藤子 不二雄と「新漫画党」 を立ち上げますが、生来の怠け者とてなかなかまんがが描けないでいます。
「漫画少年」 がつぶれ、いよいよ描くところのない森安氏は、牛乳配達を始めるが新漫画党の党員に牛乳を押し付けてひんしゅくを買ったり、寺田氏がかばってトキワ荘に入れてやれば、鈴木 伸一の本を売っておかずにしたり、藤子 不二雄に食べさせてもらったり。トラブルメーカーですね。でも誰も本気で責めていない。みんな気のいいやつだと、作者も感謝しています。
石森氏と赤塚氏もトキワ荘に入ってきて、皆競って描いているのに、森安氏ひとり、寺田に紹介してもらった仕事も落として (締め切りに間に合わなかったのね) ついには干されてトキワ荘を去ることに。6ヶ月も部屋代をため、寺田氏に尻拭いさせてしまった。さすがに怒った寺田氏は、「新漫画党」 の党員を集めて会を除名し、「WANTED」 のポスターまで作られてしまいます。しかし、そこに弗10 (10ドル) と書いてあるのを見た森安氏、おれはそんなに安く無いぞと、弗10.000 と書き直すのであった・・・。
若いのに、破滅型の人生ですね。その後もペンキ屋をやって生計を立てたり、晩年は長編まんがを描いて一流紙での再デビューを図って叶わなかったり、いろいろあったようですが、他のトキワ荘のみんなと仕事の上ではかけ離れてしまったようです。以前、NHKの 「トキワ荘」 を題材にした番組でその辺の事情を話していました。
ちょっと寂しい回になりました。
なんか、マンガで成功しなかった人も
トキワ荘にいらしたんですね~。
み~んな、とりあえずデビューしていたのかと
思ってました。
>ちょっと寂しい回になりました。
っとトミーさんが言ってるように…
一抹の寂しさと、侘びしさを感じちゃいました。
華々しくデビューしたとしても
その後が続かずに苦労する場合もあるので
一概には言えませんが…
ちょっと、チャランポランな性格が災いしたか…(笑)
WANTEDされちゃう位ですからね~(ハハハ)
明るい性格だったみたいなので
それが救いです
一応、寡作ではあるけれど、漫画家としてデビューは済んでいたようです。大人気作家にはなれなかったということで。鈴木 伸一氏もアニメの方に行ってしまったし、皆が皆マンガ家として大成したという事では無いのでしょうね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%AE%89%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%82%84
なんか個性的な方ですね・・・
でも漫画にかける情熱みたいなのが感じられます。
こういうハングリーな精神を持っている方の漫画ってどんなだったのかなぁ・・・「牛乳押し売り事件」とともに気になります
星の数ほど漫画家志望の少年がいて
その数%がデビューして
また、その数%だけが生き残れる。。。
厳しい世界ですね
売れる売れないの
その境目って何だろう。。。?
こうして売れずに終わった作家さんの人生を振り返ると
考えちゃいますよね
“叙情に溢れ、愛らしく繊細なタッチ”と言うのが
時代に合わなかったのでしょうか。。。?
どんな漫画だったのか見てみたいです
成功を夢見て挫折したお気の毒な人生に見えますが
妻子に逃げられても、一生漫画を捨てられなかった所は
一面、尊敬に値します
(でも、ダンナにはしたくない!)
それだけで、ドラマに出来そうです
この方の絵柄ですが、「ときわ荘物語」 を見る限りでは、やはり田河 水泡先生に少し似ているかな。大人まんがに近い筋を感じます。
上手いんだけど、他のトキワ荘仲間より、ちょびっと昔っぽいという事です。そこいら辺も大売れしなかった理由のひとつなんでしょうか。なにしろ、当時は新人の斬新な作品が目白押しで発表されていたときですから。
私も今回、これを読み直して、忘れてたのを思い出したくらいで、全然他に読んだ事無いですね。十五年ぶりにこれを描いたという事で、ペンも荒れています。本当はもっと柔らかな、綺麗な絵を描く方なんでしょうか。
ドラマですねー。
森安氏を語る上で、何らかの参考にでもして頂ければ幸いです。
最近更新のないブログ、しかも昔の記事にコメントありがとうございます。
探してみます。
ただいま非常に忙しく、こんなお返事ですみません。