都市と楽しみ

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日本農業への正しい絶望法(神門善久):農業技能の大切さは分かるが、論理のフローと結論が破綻していなか

2013-02-18 06:05:19 | 都市経営

 大型農業のマニュアル化はかつての都市計画で大型開発に立ち向かい「活性化した街」の大切さを述べたジェイコブスみたいなものかと思ったらこれが違った。<o:p></o:p>

 個人の「技能」の重要性と効果は分かるがこれは「匠」であり、その普及や拡大の論議がない。これでは、農業は閉鎖的な技能集団であり、知識と経験の裏打ちが必要だという「村」になる。<o:p></o:p>

 筆者は川上問題として土地利用(農地転用や区画整理)について述べているが、これは都市問題と同じであり、権利と市民参加の義務の両立と公平・公正な認可システムの必要性だ。都市では、これがとりあげられるが、農地では生産と土地利用規制が農水省にある(農地は都市計画の範囲外)であるのが要因だ。つまりは都市なら、国土交通省(土地利用とインフラ整備など)と経済産業省(産業振興)が一体化しているところに問題がある。規制逃れや利権の反面のコミュニティや水管理の必要性は、都市計画・土地利用としての管理と農業方策の運営に分かれるべきではないのか。本著ではこのあたりの論旨が不明確だ。<o:p></o:p>

 次に、川下問題として「消費者は味がわからない」というのも極論だ。味は分かるが、流通という利便性とのトレード・オフなどの条件があるだろう。自分が美味しい野菜を食べているからといって言い切るのは如何なものか。<o:p></o:p>

 あるべき農業のかたちは、土地所有者、耕作者、居住者を前提に、JA、農水省、地方自治体、コミュニティで土地利用の規制・誘導、監視を考え、生産方法として、個人、共同体、転入者、耕作者、企業を分けて考えるべきではないのか。<o:p></o:p>

 本著は論点の整理、論理のフローに課題が多く、個人意見の披露が多い。読んで面白いところもあるが世の中を変化させる論拠となるだろうか。<o:p></o:p>

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 言うのは簡単だが、世の中を変えるのは大変だ<o:p></o:p>

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コメント
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