都市と楽しみ

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小澤征爾を悼む:ケンブリッジの想い出とともに

2024-02-21 02:29:26 | 趣味

 留学していた88年から90年の2年間にボストン・シンフォーニーは20数回聴いたと思う。定期演奏会は右手のセカンド・バルコニーに2年間通った。1年目はMITのガレージに車を置いてKendallから地下鉄で通い、オン・キャンパスのEast Gate(今や取り壊された)からは近くなった。

 小沢 征爾が50代の頃であり、もっとも良い時代だった。音響の良いホール、ねっとり力強い弦、指揮者の3拍子揃った演奏をビジネス・スクールの勉強の合間に楽しんだものだ。

 売れ残りの券も買い、ある1回は最前列の真ん中で小沢 征爾の体の躍動が真ん前だった。それは良かったが、音が頭上を通り抜け低音ばかりになったのがご愛敬。(音質は前から四分の一から三分の一位の真ん中が最も良いと言われる)

 日経 私の履歴書( https://www.nikkei.com/stories/topic_DF_TL_20041400 )28回(https://www.nikkei.com/article/DGXZZO58144490W0A410C2000000/ )にボストン響があり「2002年、僕はボストン交響楽団の音楽監督を離れた。就任から29年。アメリカのオーケストラの音楽監督として最も長い在籍期間だ。僕が着任した時のボストン響は、どちらかと言えばきれいで色彩豊かな音を出していた。かつての音楽監督シャルル・ミュンシュやよく客演していたピエール・モントゥーらフランス人指揮者の影響だろう。その代わり、ドイツ的な重みのある音楽はあまり得意じゃなかったように思う。~

 重くて暗い音が出るように、弦楽器は弓に圧力をかけて芯まで鳴らす弾き方に変えた。~時間をかけて、ボストン響はドイツの音楽もちゃんと鳴らせるようになった。~フランスの洗練とドイツの重み、両面を持つ良いオーケストラになった。」とある。89年あたり、トップサイドは日本人女性だったと思う。

 幕間のワインも楽しんだ、地下鉄が響くホールと言われたが、シュー・ボックス型は、アムステルダム・コンセルトヘボウ( https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/591fe1da85f900d9fc65d5c6d1fd5529 )、ウイーン音楽協会(ニューイヤーぐらいしか入れない)が有名だ。

 小澤征爾のCDはいまも多い。TschaikovskyのSerenadeは有名だ(BSOではなくサイトウ記念、これは小澤愛たっぷりで良い)。Bartókも愛聴している。Kodalyはなぜか少ない。MozartやBrahmsはあまり印象にない。

 BSOは音が重なり明るく、印象派のルノアールみたいな華麗な音色に、ゴーギャンの厚みのある低弦の重みが印象的だった。2015年にはMITReuinionでPopsを楽しんだ。

 遠い日の音色は未だに耳に残る

コメント
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