40年来のつきあいの義母。90歳の誕生日のすぐあとに急逝された。
元気な方であり、20年程前連れ合いが急逝した。その後もフラダンスなど楽しく元気にやられていた。タイル張りの風呂や床暖房を15年に数百万円で改装した。暖かくなったと好評だった。
20年のコロナ禍からフラダンスなどの集会が無くなり、運動不足のフレイルになった。同時に認知症が発症し、介護認定や特養などの順番待ちに対応すべく退職した荊妻が奔走していた。うちに、色々な病状が出始め、最期は肺炎と血液酸素濃度低下による呼吸困難となった。
もともと元気だったため、杖を拒み、車椅子を拒み、だったが、認知症で自分を失う不安もあったようだ。
恨むべきはコロナ禍だ。表に出ない関連患者が多数あるに違いない。
義母は、当方の東京での博士号授与式に「家族で行くべき」と言ってもらい、その後の子供の成長にも良い影響があった
心から悼み、できるだけの対応をする。顔が小さくなり体が痩せていた。1年前の骨折と手術からの寝たきりが悪かったのだろう
コロナを恨む