「京都小箱」でお知り合いになった木村様からの紹介と案内もあり見学(2,500円)。藤井厚二の設計、聴竹居の2年前の竣工。喜多源逸邸は京大のつながり( https://hhtrust.jp/hh/kita.html )。京大の先生が好む白川沿いにあり、2階からは大文字が望めるしかけ(1階の階高が高い)三井別邸( https://www.mitsuipr.com/sights/historic-places/10/ )を思い出す。
ここは、デンマークの1950年頃の家具やランプも展示しており( https://www.relevantobject.com/ )、座面の低さと背の傾き、シンプルな構造が特徴。桂離宮の四つ腰掛(卍亭)のような構造のテーブルもあった。
南側の紅葉が紅葉と緑のグラデーションをなし、そこを見る出窓型縁側が大正建築を感じる。冬は隙間風もありとても寒いそうだ。6畳の間が40cm程上げられているのが面白い。( https://www.relevantobject.com/kitaresidence )喜多先生は、玄関近くに机を置いている。家ではあまり研究するのではなかったのだろう。二重の窓の建具などは寒さ対策であったのかもしれない。隅の下に半円形の真鍮の受けがある。
ここも2mグリッドのため、聴竹居と同じモデュール。2階の窓のには狭い濡れ縁の台があり、大文字山の送り火を見ながらビールを置いていたのかと思った。なお、南側でもあり物干しが2段ある。
平面図には2階に「空気抜」などあり仕掛があるのかもしれない。
都市計画的には郊外住宅の開発として、喜多邸南側の北白川小倉町(後述 小川邸がある)、さらに吉田山神楽町の住宅開発も縦につながっている( https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92606-8264+%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%B7%A6%E4%BA%AC%E5%8C%BA%E5%8C%97%E7%99%BD%E5%B7%9D%E5%B0%8F%E5%80%89%E7%94%BA/@35.0298367,135.7872886,16z/data=!4m6!3m5!1s0x600108553bbcc347:0xb711e3d6e6e1b59f!8m2!3d35.0312846!4d135.788539!16s%2Fg%2F1pxynlm0y )
郊外住宅地の評価として「乾燥」や、小倉町での「高燥」について論文( https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/666/666PDF/kawasumi.pdf )にある。「湿潤」な土地は「下水がひどく湿潤、流行病の発生が甚だしかつたが、上水が出来てからすっかり面目改め、今では一部は立派な暗渠になってゐる」とある。ここでの下水とは排水のことと思われる。京都市下水整備は、1950年代以降の整備だからだ( https://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000008586.html )
聴竹居のある山際や喜多邸の疎水沿いは排水の良さで選ばれたのかもしれない。湿潤な土地の衛生や蠅蚊の駆除( https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaih/24/1/24_1_1/_pdf )などの運動もある。特に、床下の換気により衛生化が留意されたのかもしれない。アメリカでは1940年から生活改善と生産性向上があったと「アメリカ経済―成長の終焉」ロバート・ゴードンにある。我が国は敗戦後の改革となったが。
機会あれば近傍の小川邸( https://www.artcourtgallery.com/kyoto/ https://oniwa.garden/former-ogawa-kitashirakawa-residence/ )は植治の庭もあり見に行きたい。
香里園の八木邸も見てみたい( http://www.yagiteiclub.com/about/index.html )