追記しました:ハンセン病患者隔離の島
前回の星空天井で触れたサン・ラザロ島(ヴェネチア)のアルメニア教会

懐かしく思い出したので、ちょこっとアップ
と言っても、古い写真を探し出すのが面倒なので、またまたウィキ・フリー画像を2枚選びました。
ラグーナの夕暮れ
サン・ラザロ島見学の帰り、こんな感じの、自分で撮ったぴんぼけ写真があるのですが、すぐ探し出せないので、いわば「イメージ画像」
ラザレット・ヴェッキオ島(旧ラザレット島)
この島は、いつも船で脇を通って「無人島なんだろうか、何だろう?」と思っていたのですが、今回、サン・ラザロ検索中に謎が解けました。14世紀からペスト患者の隔離病棟があった島で、現代では、野良犬さんはじめ、色々な動物たちの「ホーム」になっており、考古学者は2007年以来の発掘調査で、1500体の人骨を発見、大半は1423年から1630年までにペストで亡くなった人たちのものと分かっています。このラザレットという言葉が、その後「野戦病院」の意味で使われるようになりました。
サン・ラザロの原点は
この人
あまり詳しくないので、詳しくは
英語版をご覧ください。
これから追々、この下に書き加えていきます

乞無期待
追記:ハンセン病患者隔離の島
サン・ラザロ島のアルメニア修道院

これもウィキ・フリー画像です
毎年1度はヴェネチアへ行っていた頃、旅行社で寝台車とホテルを予約していました。そうすると必ず、名所その他の割引券その他を綴じた冊子がサービスについてきました。その中に「
アルメニア人の島サン・ラザロ」というのがあって、当初は何のことか分かりませんでした。
それが、ガラッと変わったのは、ドイツの週刊新聞
ディ・ツァイトで「
アルメニア人大量虐殺」の特集記事を読んでからです。
アルメニア人はオリエントでいち早くキリスト教を導入した民族で、イスラム教普及後もキリスト教を信仰し続けたため、
オスマントルコ帝国末期には、ヨーロッパ列強との秘密裏の連携やスパイ行為を疑われ(実際、一部そういう動きもあった)、とりわけ第一次大戦中には、着の身着のままの強制移住途上シリア砂漠で餓死、あるいはクルド人などに襲撃され、ほぼ100万人が亡くなったと見られています。これは第二次大戦の
ユダヤ人大量虐殺に先立つ20世紀最初の民族虐殺とされます。しかも、犠牲者が中央アジアの山岳民族だったこともあって、殆ど知られていません。
更にその後、
フランツ・ヴェルフェルの「
ムーサ・ダグの40日」を読みました。これは、第一次大戦中に強制移動に抵抗したアルメニア人が、ムーサ・ダグ(モーゼ山)に立て籠もって、オスマントルコ軍と戦い、ちょうど近くの地中海を航行中のフランス軍艦に救出された史実に基づく歴史小説です。
それで、ヴェネチアのサン・ラザロ島には、大量虐殺を逃れたアルメニア人が住み着いたのかと思いましたが、そうではありませんでした。
中世、この島にはハンセン病患者が隔離されていました。15世紀末にハンセン病が終息すると(つまり隔離されていた人たちが死に絶えたということでしょう)、
ドミニコ会の修道僧が入植、しかし不毛のため放棄し、1717年になって今度は数人のアルメニア人修道僧が入植、後続の人たちとともに修道院を建て、埋め立てで島を拡張、彼らの多大の努力によって、現在の美しく良く整備されたサン・ラザロ島があるのです。
すっかり長くなったので、続けて追記するのは止めます。続く

乞無期待