みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

説得

2013-12-16 | その他

1~2週間前、NZZ(新チューリヒ新聞)に載った小さな記事です(日本でも報道されたたかもしれませんが・・・)。


フランスの地方都市で、80才の女性が川に身を投げました。ちょうど見ていた17才と19才の若者が、川に入って彼女を助けました。
しかし80才の女性は「死なせて欲しい」と言い張ります。2人の若者は、必死で説得し、ついに自殺を思いとどまらせるのに成功しました。

彼女を納得させた決定的な言葉は、19才の若者の「僕のおばあさんが、そんな風に死んだら、とても辛いよ」というひと言だったそうです。


ヒューマニズム溢れるエピソードです。80才の女性も、きっと新たな希望を持ったことでしょうし、2人の若者にとっても人命救助と説得は、人生の大きな宝物として、一生心の中でともし火のように燃え続けることでしょう。



      


困ったことに体調不良が続いてまして、何でも感染による腸炎だそうで、クリスマスやら年末年始など考えるところまで行きません

医者から、たっぷり休養するようにと言われていますので、向こう暫く、まばら更新になります


どうぞ、たまに覘いてやってくださいませ でも乞無期待




サン・ラザロの思い出

2013-12-09 | おきにいり

追記しました:ハンセン病患者隔離の島

前回の星空天井で触れたサン・ラザロ島(ヴェネチア)のアルメニア教会
懐かしく思い出したので、ちょこっとアップ

と言っても、古い写真を探し出すのが面倒なので、またまたウィキ・フリー画像を2枚選びました。


ラグーナの夕暮れ


サン・ラザロ島見学の帰り、こんな感じの、自分で撮ったぴんぼけ写真があるのですが、すぐ探し出せないので、いわば「イメージ画像」


ラザレット・ヴェッキオ島(旧ラザレット島)


この島は、いつも船で脇を通って「無人島なんだろうか、何だろう?」と思っていたのですが、今回、サン・ラザロ検索中に謎が解けました。14世紀からペスト患者の隔離病棟があった島で、現代では、野良犬さんはじめ、色々な動物たちの「ホーム」になっており、考古学者は2007年以来の発掘調査で、1500体の人骨を発見、大半は1423年から1630年までにペストで亡くなった人たちのものと分かっています。このラザレットという言葉が、その後「野戦病院」の意味で使われるようになりました。


サン・ラザロの原点はこの人
あまり詳しくないので、詳しくは英語版をご覧ください。


      

これから追々、この下に書き加えていきます 乞無期待


追記:ハンセン病患者隔離の島

サン・ラザロ島のアルメニア修道院

これもウィキ・フリー画像です

毎年1度はヴェネチアへ行っていた頃、旅行社で寝台車とホテルを予約していました。そうすると必ず、名所その他の割引券その他を綴じた冊子がサービスについてきました。その中に「アルメニア人の島サン・ラザロ」というのがあって、当初は何のことか分かりませんでした。

それが、ガラッと変わったのは、ドイツの週刊新聞ディ・ツァイトで「アルメニア人大量虐殺」の特集記事を読んでからです。

アルメニア人はオリエントでいち早くキリスト教を導入した民族で、イスラム教普及後もキリスト教を信仰し続けたため、オスマントルコ帝国末期には、ヨーロッパ列強との秘密裏の連携やスパイ行為を疑われ(実際、一部そういう動きもあった)、とりわけ第一次大戦中には、着の身着のままの強制移住途上シリア砂漠で餓死、あるいはクルド人などに襲撃され、ほぼ100万人が亡くなったと見られています。これは第二次大戦のユダヤ人大量虐殺に先立つ20世紀最初の民族虐殺とされます。しかも、犠牲者が中央アジアの山岳民族だったこともあって、殆ど知られていません。

更にその後、フランツ・ヴェルフェルの「ムーサ・ダグの40日」を読みました。これは、第一次大戦中に強制移動に抵抗したアルメニア人が、ムーサ・ダグ(モーゼ山)に立て籠もって、オスマントルコ軍と戦い、ちょうど近くの地中海を航行中のフランス軍艦に救出された史実に基づく歴史小説です。

それで、ヴェネチアのサン・ラザロ島には、大量虐殺を逃れたアルメニア人が住み着いたのかと思いましたが、そうではありませんでした。
中世、この島にはハンセン病患者が隔離されていました。15世紀末にハンセン病が終息すると(つまり隔離されていた人たちが死に絶えたということでしょう)、ドミニコ会の修道僧が入植、しかし不毛のため放棄し、1717年になって今度は数人のアルメニア人修道僧が入植、後続の人たちとともに修道院を建て、埋め立てで島を拡張、彼らの多大の努力によって、現在の美しく良く整備されたサン・ラザロ島があるのです。


すっかり長くなったので、続けて追記するのは止めます。続く 乞無期待





雲雀野の中

2013-12-03 | そこらへん

体調不良のため、ちょっとご無沙汰いたしました


以前に紹介した無名教会「雲雀野教会」(アルトレルヒェンフェルダー・キルヒェ)
時々、そばを通る機会には中を見てみようと思ったのですが、扉が閉まっていて入れませんでした。ちょっと前に通ったとき、珍しく開いていたので中に入り、大変美しい教会であることが分かりました。
以前にドイツ語ウィキで写真は見ていましたが、直接見るほうが新鮮な感動があります。19世紀のものですが、総合芸術として構成されている貴重な建築作品のようです。
但し、内部が暗いため、とても私のおんぼろデジカメでは撮影不可能。
改めて、ウィキ・フリー画像を少々アップいたします。


教会後方から中央祭壇を見たところ


中央祭壇

両脇にロウソク立ての天使

中央ドーム


星空のような天井




「星空天井」を初めて見たのは、ヴェネチアのサン・ラザロ島でアルメニア教会を見学したときで、とても感動しました。その後、ダマスカスのアルメニア教会やウィーン中央墓地の教会でも「星空天井」を見ました。
その由来を知りたいと思い、ちょこっとネット検索しましたが、まだ、つきとめていません 
万一、何か見つかったら紹介しますが、まあ期待薄なので無視してください


      


えーと、5日に内視鏡検査なんてのを生まれて初めて受けることになりまして、向こう暫く更新お休みいたします。一応、来週からは更新再開の予定です


こんなボログですが、たまーに覘いてみてくださいませ でも乞無期待