みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

スウェーデンの爆弾と宮殿火災

2022-11-28 | その他


爆弾と火災には何の関係もありません
久々に「スウェーデンの爆弾」を食べました


スウェーデンの爆弾とは・・・甘いのだ




この記事を書きながら、以前にアップしたのでは?と思い「スウェーデンの爆弾」で検索したのですが見つからず、ここまで書いてから「スウェーデン爆弾」で古い記事が見つかりました。「の」の有無で検索できなかったのでした

スウェーデン爆弾:3年前の記事





ところで11月27日は、ホーフブルク宮殿の火災から30年目でした。その少し前にはウィンザー城の火災があり、「順序から言ってヴェルサイユが先じゃないの?」と思ったものですが、大分後になってノートルダム大聖堂が燃えたのが「おつきあい」だったのかも、かも・・・


30年前のホーフブルク火災では、古典馬術を演じるリピッツァー馬の厩舎にも延焼の恐れがあり、通行人も協力して馬の避難が行われました。

当時の豊富な写真を集めたサイト:馬さんの避難の様子も見られます。

YouTubeのホーフブルク宮殿火災
幸い燃えたのはレドゥーテンザールと呼ばれる式典用ホールのある部分だけで大事に至りませんでした。





にゃんば

2022-11-25 | かりねこ


「にゃんば」という字列でなんか色々あるようですが・・・
ここでは「種を超えた友情」です







北海道農園文献「百姓貴族」でも紹介されている通り、猫さんと牛さんの関係は概ね良好です。
飼料目当てで出没する鼠族を撃退してくれる猫さんは、牛さんにとっても有難い存在なのでしょう。
但し、たまに牛さんの体を暖房代わりに寝込んで下敷きになって昇天する猫さんもいるそうです

ここから類推して、猫さんと馬さんの関係も良いに違いありません
大分前に、どこだったか思い出せませんが、ハンガリーの名馬(競走馬)の話を読んだことがあります。
この名馬には仲の良い猫の友達がいて、この猫さんがいないと落ち着かず、従って猫さんも名馬に同伴して各地を旅したそうです。

猫さんの場合、いつもと変わらない日常を好むということですが、この猫さんの場合は、友達の名馬と一緒にいることが「いつもと変わらない日常」だったのでしょう


上の写真は、これも大分前にネット検索中見つけたもので、イメージ画像です。
上記の名馬と親友の猫さんではありません






庭園の点景

2022-11-22 | そこらへん


シェーンブルン庭園の中央花壇の両側には数々の彫像が並んでいます。全部で32あります。以前に撮った4つをアップします。大変ピンボケで申し訳ありません




アスパシア




ペリクレスの伴侶で、優れた教養人だったと言われます。ここでは女神アテナの姿で表現されています。



花の精(フローラのニンフ)




花の女神フローラに仕えるニンフ



トロイアからの脱出




トロイア戦争で陥落寸前のトロイアから脱出するアエネアス。体の不自由な父アンキセスを抱えています。



ルクレティアブルトゥス




彫像は、ルクレティアの死体を抱きかかえ復讐を誓うブルトゥスです。
「お前もか」のセリフで名高いブルトゥスとは別人です。
ルクレティアの物語は文学、絵画、演劇、音楽などの題材となっています。


そのうち追加があるかもしれません、ないかもしれません





久々犬の人

2022-11-19 | かりいぬ


見直してないけど多分「久々犬の人」だと思います
私は猫さんが大好きです でも犬さんも大好きなのです
ミミズを尊敬している私ですから、要するに全ての動物が好き。尊敬もしています。
犬か猫か、どちらかひとつに決めないと殺す、と言われたら、仕方ないので猫さんを選びます。早速、脱線


下の方はバーナード・モントゴメリーさんです。




一見キャンプ地で愛犬と戯れているかのようですが・・・
これはノルマンディー上陸作戦直後の1944年7月6日、ノルマンディーの連合軍司令部(のどこか)です。

世界大戦の最前線に(軍用犬でなく)愛犬を連れてくるというのは「果たして良いのか?」と思いますが、この人の基本路線からして、ほぼ100%安全という判断があったのでしょう。後ろには、これも「同伴」のカナリアの鳥かごが見えます。
仔犬の名前は、左がヒトラー、右がロンメルだそうです。「ジョーダンきついよ」と言うべきか、英国的イヤミなのか・・・

アフリカ戦線でロンメルを打ち破ったのがモントゴメリーだそうで・・・ロンメルの名前は随分前から知っていますが、モントゴメリーについては今回の検索で初めて知りました。

モントゴメリーは、ドイツ軍との戦力比が15:1以上でないと攻撃しなかったそうで・・・それなら勝たないとおかしいですよね。
こういう「石橋を叩いて渡らないかもしれない」ような極度の用心深さには批判も多かったようですが、部下からは喜ばれました。絶対勝てる前線へ行くのは、五分五分の戦場へ行くのより遥かに安心ですもんね。

モントゴメリーさんの写真を見ると「第三の男」のキャロウェイ少佐(俳優はトレヴァー・ハワード)を思い出します。イギリス軍将校のプロトタイプかな


 蛇足ながら・・・「第三の男」は映画館で見たことはありませんが、アメリカ人留学生が置いていったテレビが壊れるまでに何回か見ました。第三の男ミュージアムもあります。クライマックスの下水道を歩くガイドツアーもあるようです。





極め付き猫の人

2022-11-16 | かりねこ


これまで「猫の人(猫好き)」「犬の人(犬好き)」を色々アップしてきましたが、今回は「極め付き猫の人」です

この人も色々検索中、偶然発見した人物。殆ど猫の絵ばかり描いたフランスの画家で、本当に猫が好きだったのだなと思います










猫好きの画家は他にも沢山存在すると思いますが、自画像まで猫にしてしまった人は他にいないのではないでしょうか






Wikipediaの記事は発見できませんでした 下のリンクで略歴がわかります。
Leon Charles Huberで画像検索すると猫を描いた優雅な絵が沢山(たまに静物画)あります


レオン・シャルル・ウベール

カタカナ表記は「Hは発音しない」というフランス語文法に則って推定したものです。
人名発音というのは例外も多いので、ウーベル、ユーベル、ユベールなどなど色々な可能性があります



  


ウクライナ各地で停留所などに貼りだされているポスター





ロシア軍によって地雷が沢山敷設されています。「不審な場所があったら、通報してください。地雷探知犬が出動します」という内容です。
もう冬だというのに、電気・ガス・水道などが破壊されて使えない地域が沢山あります。
とにかく一刻も早くロシア軍が引き揚げ、ウクライナに平和が訪れますように





目が怖い

2022-11-13 | おきにいり

自然界には美しい方々がいっぱい
一番みっともないのは人間かも知れないと思ったりします。
だから服を着たり髪型を工夫したり帽子をかぶったりして変装するんでしょう



ドイツ語Wikiで見た下の方も、ワーなんて美しいんだろうと感動






ドイツ語WikiではKleines Nachtpfauenauge(クライネス・ナハトプファウエンアウゲ)で、直訳すれば「小型夜行性クジャクの目」
日本語名はクジャクヤママユです

それにしても蝶や蛾の方々は、よく目玉模様をつけていますね。「天敵を怖がらせるため」ということですが、本当に役に立つのだろうかと半信半疑でした。

ところが、下の「文鳥医師団」で、文鳥のお医者さんが茹で卵の切り口を見て逃げたり、コノハズクさんの目の腫瘍手術で困ったりするので、なるほど本当に「鳥よけ」になるんだなと感心しました。





文鳥のお医者さんが活躍する楽しい漫画です


私が飼っていた代々のチポラ(屋内放し飼いの手乗り文鳥)は全然怖がらなかったぞ、と思ったのですが、そういえば目玉のようなものは全く無かったのでした





エステル補遺3

2022-11-10 | おきにいり


続いてすみません 今回で終わりの予定です






バビ・ヤールのところで、ショスタコーヴィチエフトシェンコの詩を取り入れて交響曲第13番「バビ・ヤール」を作曲したと書きました。
それで思い出したのが数年前にドイツ・アマゾンで買った「ジャズ組曲」のCDです(上のジャケット:バレエ音楽、映画音楽も含めCD3枚のセット)。
当時は「ジャズ組曲」を入手したことが嬉しく、全然気にしませんでしたが、今回気付いてみれば、演奏はウクライナ国立交響楽団でした。



左からプロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアン(1946年の写真)
蛇足ながら「アン」と終わる姓は大体アルメニア人です。もうひとつ付け加えれば、プロコフィエフはウクライナ(帝政ロシア領)生まれです。
更に付け加えれば、1946年と言えばスターリン存命中、つまりスターリン批判以前ですから、芸術家にとっても息苦しい時代だったと思います。




私は、ベンジャミン・ブリテンとともにショスタコーヴィチは20世紀クラシック音楽における東西の横綱だと思っています。2人とも大好きな作曲家でオペラやコンサートも色々聴いています。
ブリテンには同性愛者であるという秘密がありましたが、それ以外ではショスタコーヴィチより遥かに自由な環境にあったと思います。

ショスタコーヴィチはオールマイティーの作曲家で、前衛音楽からポピュラー音楽まで幅広い作品を遺しています。早くから天才作曲家として高く評価され前衛的な作風だったのですが、スターリンの大粛清時代、多くの知人・友人が処刑され、自らもジダーノフ批判に直面し、作風の修正を余儀なくされました。既に国際的に評価されていたので、亡命しようと思えば喜んで受け入れる国は多かったはずですが、彼はソ連に留まりました。私の解釈では、ショスタコーヴィチは「ソ連」と「ロシア」を区別し、「祖国」であるロシアを捨てることができなかったのだと思います。

ペレストロイカの頃かソ連崩壊後か忘れましたが、ドイツの週刊紙「ディ・ツァイト」にカールハインツ・シュトックハウゼンの記事が載りました。シュトックハウゼンがソ連を訪れたとき、公式の場ではショスタコーヴィチから批判されました。しかし、その夜ホテルにショスタコーヴィチから電話があり「昼間は、ああ言わざるを得なかったのですが、実はあなたの作品は素晴らしいと思います」と告白されたということでした。

世界的に知られる作曲家であっても、いつ「反革命」のレッテルを貼られるかわからない生活の中で、ショスタコーヴィチにとっては、大好きなサッカーが息抜きの場だったと言われます。審判資格も持っていました。


ジャズ組曲の中でも最も人気があると思われるワルツ第2番YouTubeでお聴きください

ワルツ第2番


「バビ・ヤール」は長大な作品ですが、YouTubeには日本語字幕付きの録画もあります。





エステル補遺2

2022-11-07 | その他


あるいはエステル」の著者の祖父は強制収容所に入れられました。
幸い戦争が終わる直前で、収容から17日後にはアメリカ軍によって強制収容所が解放されました。その収容所がオーストリアのマウトハウゼン収容所でした。


マウトハウゼン強制収容所の中央門(現在は記念施設)




アウシュヴィッツを筆頭に知名度の高い強制収容所に比べ、あまり知られていないマウトハウゼンですが、ある意味では最悪の強制収容所でした。
収容された人々を採石場での過酷な強制労働によって殺すことを目的した収容所だったからです。ここに集められたのは反ナチスの人々(ナチスによれば「反社会分子」)、ソ連軍を始め様々な国々の戦争捕虜でした。同性愛者も「反社会分子」として、ここに収容されました。



収容所の位置から見た採石場と「死の階段」




草むらに隠れた崖の下が採石場で、収容者は切り出した大きな岩を担いで、中央やや後方に見える「死の階段」を登らなければなりませんでした。
その恐ろしい状況は上にリンクした日本語Wiki記事にも描かれています。この崖から突き落とされ殺された人も多かったようです。

ここに収容されていた戦争捕虜やレジスタンス・メンバーの国籍は30以上で、夫々の慰霊記念碑があります。大分後ですが1984年には同性愛者のための銘板も設置されました。記念碑や銘板の写真はドイツ語Wikiで見られます。


ドナウ川に面したマウトハウゼン:人口5000人に満たない風光明媚な村





「あるいはエステル」の著者は「この土地が、こんなに美しいのか?」と違和感を記しています。





エステル補遺1

2022-11-04 | おきにいり

秋のトラウン湖。
トラウン湖はザルツカンマーグートにある主要な湖水のひとつです。






あるいはエステル」について大切なことを書き忘れていました。この作品はインゲボルク・バッハマン賞を受賞しています。
インゲボルク・バッハマン賞はドイツ語圏における重要な文学賞のひとつです。

この賞はオーストリアの作家インゲボルク・バッハマンを記念して、出身地であるクラーゲンフルト市が創設したものです。





バッハマンの作品は読んだことがないのですが、放送劇を舞台化した「マンハッタンの良き神」を見たことがあります。内容は忘れましたが、バッハマンのドイツ語の美しさに感動したことだけは今も鮮明に記憶しています。





バビ・ヤール

2022-11-01 | その他


あるいはエステル」の続きです。長いです。ごめんなさい

「あるいはエステル」というのは、著者の父親の祖母、つまり大まかに言って著者の曾祖母のことです。父親は祖母の名前を「あるいはエステルだったかな」とうろ覚えです。著者は父親に対して「なんで祖母の名前を憶えていないの」と非難しますが、無理もないのです。父親が10才だった頃までしか祖母を知らず、当時はいつも「おばあさん」と呼びかけ、父親の両親は「おかあさん」と呼びかけていたので、名前を繰り返し記憶に刻み込む時間がなかったのです。

戦争が始まって一家は避難するのですが、「あるいはエステル」は家に残りました。足が不自由で、とても長旅は無理だったからです。避難する家族も、すぐ帰って来る予定でした。しかし彼らはヨーロッパ各地をさまよい、実際に戻ってきたのは7年後のことでした。

「あるいはエステル」は既に数年来外出することはなく、ドイツ軍がキーウ(当時はキエフ)を占領した夏も自宅にこもりきりでした。近所の人が買い物などを引き受けていたのでしょう。


現在のバビ・ヤールの様子




1941年9月28日、ドイツ軍により「市内の全てのユダヤ人は身分証明書などの書類、貴重品、着替えの衣類を持って所定の場所に集合するべし」という通告書が市内各地に貼りだされます。ユダヤ系市民は「強制移住」させられるのだと思い、支度をして集合しました。「あるいはエステル」は、その中には含まれていませんでした。ビルの管理人は提出するユダヤ人名簿に「あるいはエステル」の名を入れず、近所の人たちも、肢の不自由な「あるいはエステル」を引き留めますが、彼女は律儀に通りに出て、イディッシュ語でドイツ軍将校に話しかけます。将校は即座に彼女を銃殺しました。これを目撃した人がいたため戦後「あるいはエステル」」の最期の様子が伝えられたのです。


バビ・ヤール近郊の並木道




所定の場所に集合したユダヤ系市民はバビ・ヤールに連行され、貴重品、衣類などを所定の場所に置かされ、更に服を全て脱ぐように指図され、崖のふちに並ばされると、機関銃と自動小銃によって次々と銃殺されました。9月29日と30日の2日間で3万3771人が殺害されました。一か所で短期間に行われた大量虐殺としては第二次世界大戦中最大の戦争犯罪です。日本語Wikiにかなり詳しく紹介されています。

この大量虐殺を辛うじて逃れた数少ない生き残りは戦後、戦争犯罪裁判で貴重な証言をしました。
とりわけロシア人作家アナトリー・クズネツォフは、厳しい検閲にもかかわらず雑誌にバビ・ヤールの大量虐殺について発表し、後にペンクラブの会合でロンドンへ行った折、そのまま亡命します。このとき彼は未検閲の貴重な原稿を全て持ち出すことに成功しました。その後1979年、クズネツォフは謎の交通事故で亡くなりました。近年の暗殺事件から推測すると交通事故に偽装した暗殺ではないかと思われます。

帝政ロシアからソ連そして現代まで、ロシアにおける反ユダヤ主義は根強いものです。


バビ・ヤールで虐殺されたユダヤ人を追悼するメノーラ形の慰霊碑





エステルはユダヤ史上、ユディトと並ぶ女傑です。
ショスタコーヴィチエフトシェンコの詩を取り入れ交響曲第13番「バビ・ヤール」を作曲しています。

「あるいはエステル」には他にもドラマチックなエピソードが色々ありますが、そのうち書くかも、書かないかも知れません