「
単純に複雑」に続き、再び「オーストリアの馬鹿々々しい謎」です。
困難な事態に直面した場合・・・
ドイツ人は「事態は深刻だが、見込みが無いわけではない」と言います。
Die Lage ist ernst, aber nicht hoffnungslos.(ディ・ラーゲ・イスト・エルンスト、アーバー・ニヒト・ホフヌングスロース)
何とか困難を打開しようと努力する人々は、こう言う・・・これは常識的な事態の流れだと思います。
ところがオーストリア人の反応は「事態には見込みが無いが、別に深刻ではない」
Die Lage ist hoffnungslos, aber nicht ernst.(ディ・ラーゲ・イスト・ホフヌングスロース、アーバー・ニヒト・エルンスト)
な、なんちゅ~~無責任な発言じゃ
という感じですが、これはドイツとオーストリアのメンタリティの違いを表現する言わば「形容詞」。
「見込みはないが深刻ではない」というセリフは、むしろコメディの中で使われます。国民が皆こんな傍観者だったら国が成り立っていきません。
「ドイツ人の発言」は
コンラート・アデナウアー起源とする見方もありますが、むしろ「この人物に相応しい発言」と当てはめたものでしょう。
では「オーストリア人の発言」は誰が「言い出しっぺ」かについては、一応
カール・クラウスだという説もありますが、これも「いかにも彼が言いそうだ」という当てはめと思われます。
英語WikiのKarl Kraus記事
カール・クラウス
クラウスは色々な名言を遺しています。そのひとつ:「私はフェミニストではない。男が嫌いなだけだ。」
とてもオーストリア的、本質的には「とてもウィーン的」だと思います。
カール・クラウスを紹介する
日本語記事「言論の奇人」
「見込みは無いが深刻ではない」をタイトルにしたアメリカのコメディ映画があります。
第二次世界大戦末期、落下傘でドイツへ降下した2人のアメリカ兵が、ドイツ人フリックの地下室に潜り込み、彼に発見されますが、ドイツ系のアメリカ人であると言ってフリックを丸め込みます。フリックは「戦争が終わるまで隠れているように」と2人を地下室に留まらせ歓待します。
これなら「見込みは無くても全然深刻ではありませんね
英語Wikiの記事にストーリーも詳しく紹介されています、ケッサクです