みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

Yes you can!

2017-12-31 | かりねこ

ちょっと時間をとって今年最後の「かりねこ」さん
古いカレンダーの写真です。


できる、できる、できるニャー



この猫さんのように、狭き穴を突き抜けて希望の新年に向かいましょう


2018年が楽しく新鮮、そして何よりも健康で平和な年でありますように!





 大晦日の蛇足:クリスマス「期間」はまだ続きます。


クリスマスというのはキリストさんの誕生日を中心に一番日照時間の短い時期を乗り切るプロジェクトです

ですから、クリスマス前のアドヴェントから始まり、クリスマス・イブクリスマスを頂点に、三聖王の日まで続きます。クリスマスツリーや飾りつけも、1月6日までというのが一般的なようです。


クリスマス期間関連みみずボログ記事
大晦日直前
寒さしのぎ
後のまツリー
さんみみず


どうぞ2018年も宜しく でも乞無期待






こいぬくり

2017-12-23 | かりいぬ

御無沙汰しております 「めり栗」と「開けお目」が間近 もう一度ちょこっと御挨拶
「メリクリ」と「明けおめ」ですが、PCの独創的な変換のままにしました

いつもの新聞HPに、駆け込みの人のためでしょうか、パブリックドメインのヴィンテージ・クリカードがアップされました。沢山あった中から2枚をアップ。




仔犬の女の子が間違いだらけの綴りで、サンタさんに、お人形をお願いしています

ちょっと前のこねこくり





このカードは、カエルさんが「ひっくりカエル」の図です
右下の愉快な詩?はこちらでお読みください


キリストさんの誕生日25日はヨーロッパの大半の国々で休日、翌日26日は聖シュテファンの日で多くの国々が休日。
今年は24日が日曜日なので、23日から26日まで4日間の連休になります。

モーゼさんの誕生日は分かりません。
ムハンマドさんの誕生日はイスラム諸国で祝われます。



これから年明け数日後までゴタリングです(ゴタの現在進行形)
合間に更新するかもしれませんが、次の更新は新年になってからの可能性が高いです。  
でも恒例、乞無期待


皆様、良い年末年始をお過ごしください







一石発言

2017-12-15 | おきにいり

ちょっと時間があるので、ちょこっと更新です


「私は未来について考えたことがない。それは、すぐ来ちゃうからね。」

と言ったのは、この人です。



アインシュタインは直訳すれば「一石」さん


確かに、厳密な意味での現在は、せいぜい1秒で、その次の1秒は既に未来(逆に1秒前は既に過去)
だから、未来について考える暇なんてありませんよね。従って「考えたことがない」ということなのか・・・

それとも、特殊相対性理論一般相対性理論の見地からは、もっと複雑で奥深い内容なのか・・・


アインシュタインは常に平和主義者で、広島・長崎への原爆投下には大きなショックを受けました。平和運動に参加しているほか、イスラエル建国にも批判的でした。

「第三次世界大戦の武器については言えないが、第四次世界大戦の武器は石と棍棒だ」と言ったのは、もし第三次世界大戦が本当に起こったら、それまでの文明が完全に破壊されると予想していたからでしょう。

しかし、第三次世界大戦は「冷戦」という形で行われ、現在は「モザイク世界大戦」としての第四次世界大戦が進行中です。アインシュタインが現状を見たら絶望することでしょう。

もう誰の本だったか忘れましたが、推薦状を貰いに行った人に対してアインシュタインが「推薦状は書きますが、私の推薦状は役に立ちませんよ。もう長らく誰にでも推薦状を書いているからです」と言っているのも、アインシュタインのおおらかな人柄を示していると思います。



一石発言の出典「ユダヤのジョーク集」


この本の本当のタイトルは「なぜカインはアベルを叩き殺したか?それはアベルが古いユダヤのジョークを語ったからだ」という長いものです。

Wikipedia:カインとアベル


このボログ以前のユダヤ・ジョーク記事
改宗
タバコとタルムード
ランプのみみず
ラビと神父



これから、まばら更新になると思いますが、ときたま覗いてくださいませ でも乞無期待






こねこくり

2017-12-13 | かりねこ

タイトルは「仔猫のクリスマス」の勝手な省略です


      




ドイツの動物愛護団体のクリスマスカード(多分去年の)をネットで見つけて拝借しました
猫さん・仔猫さんが遊ぶときの真剣なまなざしは可愛いですね


クリスマスにはちょっと早いんですが、そろそろ又ゴタゴタ期に入りそうです。また、まばら更新になりそうで、時間が出来れば急に更新するかも知れず・・・

前回のイザベラ・エーベルハルトは、本人も作品もメランコリーの霧に包まれています。
久しぶりに本を見直して、私も少し感染しました

続きがあるのですが、その更新は先になると思います。


こんな「おんボログ」ですが、たまーに覗いてくださいませ でも乞無期待









また犬の人

2017-12-11 | おきにいり

以前の犬の人で思い出しちゃったので、2人目の犬の人
いずれも美女で、かなりエキセントリックな人物だったことは単なる偶然です。
その人はイザベル・エーベルハルト、フランスではイザベル・エベラールと発音されます。
追記:エーベルハルトは母親の結婚前の姓を採用したものです。


1895年の写真


イザベルの母親はユダヤ系のドイツ人で、ロシアの貴族と結婚していましたが、アルメニア人でアナーキストの家庭教師トロフィモウスキーと子供たちも連れて駆け落ちし、イザベルは1877年にジュネーブ郊外で生まれました。父親が誰であるかは、完全には確定していません。家にはアナーキストその他様々な人々が出入りしており、父はアルチュール・ランボーだというトンデモ説もあります。トロフィモウスキーは数ヶ国語をマスターしており、子供たちは学校へ行かず、彼から言語その他の教科を教えられました。

イザベルは早くからアラビア語もマスターし、イスラム教に傾倒していました。1897年母の転地療養のためアルジェリア(当時フランス領)へ渡り、2人はイスラム教に改宗しました。母は転地療養の甲斐なく世を去り、ひとりになったイザベルは、男装をして「シ・マアムード・サーディ」と名乗り、砂漠とマグレブ各地を放浪するようになりました。トロフィモウスキーは男女の区別無く同じ教育を施したので、イザベルは少女時代から男装に慣れていましたし、当時のイスラム社会では、顔を隠さずひとりで外出し旅をするには男であるか、男装するしかなかったのです。

彼女は文筆を志し、パリの文学サロンにも出入りするようになりました。
彼女は原稿料でアラブ馬を買い、愛犬を連れて砂漠を駆け回るのが好きでした。
完全に男になりきったわけではなく、スリメーヌというアルジェリア人と結婚しています。
後年には、フランス軍のリヨテ元帥のため、諜報員を勤めています。しかし、男装なので、どこへでも自由に行き来できるにもかかわらず、肝心の情報を握っているのが要人の母親だった場合、その人には近づけないというジレンマもありました。

1904年10月20日から21日にかけて、当時彼女が住んでいたアイン・セフラ(黄色い泉)で豪雨があり、洪水となって彼女は溺死しました。自ら死を選んだような最期でした。遺体はリヨテが部下に命じて捜し出し埋葬しました。

彼女のエッセイや日記は今でも出版されていますが、特に自由奔放でエキセントリックな一生のため映画にもなっています。



イザベルのエッセイ集


イザベルの伝記




他にもイザベルの本を持っていますが、いずれも日本では知られておらず日本語版もないので省略します。犬の人なのに、肝心の犬さんが登場せずスミマセン

砂漠で洪水?と思われるかもしれませんが、1年中殆ど雨の降らない砂漠で、たまに豪雨があると森林や河川のない砂漠では、たちまち低地が洪水となります。私も一度、砂漠の豪雨で怖い思いをしたことがあります。






働く猫

2017-12-09 | かりねこ

ネズミ捕り要員として特定の建物に暮らしている猫さんは知られていますが、あの華奢な身体で肉体労働する猫さんもいます

それを描いた絵画があります。恒例ウィキ・フリー画像です








北欧神話女神フレイヤは、猫さんの引く「馬車」じゃなく「猫車(にゃん車?)」に乗っています。
ノルウェージャン・フォレストキャットは大柄なので、車や橇を引けるのかな
独立独歩の猫さんを使いこなせるのは、やっぱり神様だけなのかも・・・


 前回への更なる蛇足


一神教の神様は抽象的です。偶像禁止などの現象からも分かるように姿が見えないのです。抽象的なので広く「輸出」が可能です。
その点、ギリシャの神様たちは、オリュンポスの山にお住まいで、土地との密着性が強固です。多神教の神様たちは大抵そうです。
一神教の見えない神様は「輸出」によって「世界の神」となり、多神教の神様たちは固有のテリトリーから出て行く意思はないようです。

一神教は、神様が唯一なので、排他的になりがちです。
では多神教は大丈夫かと言うと、「我々の神様たちは正しいが、お前たちの神様たちは邪神だ」という排他主義は可能です。
仏教は大丈夫だろうと思いましたが、仏教国ミャンマーのイスラム少数派ロヒンギャが迫害されていますね。
どの宗教でも基本的には社会と内面の平和を尊重しますが、その時々の政治・社会・経済情勢が宗教を利用します。

一神教では、支配者が自ら神を名乗るわけにはいかないので王権神授説が正当化に使われます。
多神教では、誰でも神様にできるので、徳川家康は朝廷に対抗するため自ら神様になりましたが、徳川幕府の永続化は不可能でした。
明治維新以降には「軍神」が大量生産されました。
でも「八百万の神」というのは多数であって800万の神様というわけではないでしょう。ヨーロッパなどでは直訳して驚く場合もあります

でも、完全な100%の楽観主義・悲観主義が存在しないように、100%の完全な一神教・多神教というのは存在しないようです。


それは別としてカード遊びの大統領については、既に長らく精神障害、人格障害が疑われているのですね。こちらのラジオで報道され、ネット検索したら、色々な言語の関連記事が沢山見つかりました







一神教の創始者

2017-12-07 | その他

原始宗教は自然現象の中に神を見出すので、自然のなりゆきとして多神教になります。
一神教には何か外部からの強引な不自然さを感じます。

数々の神様の存在を不都合に思った支配者が一神教を発明しました。


それが、この人です



古代エジプト第18王朝のアメンホテプ4世(改名後イクナートン)です。
一神教の「発明」は人類史上における決定的な革命のひとつだと思います。
しかし、イクナートンの改革(アマルナ改革)は失敗に終わりました。彼の死後、元に戻ってしまったからです。

イクナートンの一神教に傾倒していた人物がモーゼです。
彼自身はエジプト人でしたが、一神教を信奉するユダヤ人を率いてエジプトを去り、シナイ半島で同行者に殺されました。
モーゼを殺した後、エジプトを出た人々は後年、指導者を殺害したことを後悔し、モーゼの教えによる一神教を受け継ぐことになりました。


青い文字の部分はジークムント・フロイトの著書「モーゼと一神教」の内容を極度に省略したものです。
(詳しく書こうとすると時間がかかって仕方ないのでサボりました。)


フロイトの著書



この本は、別の本の中で紹介されていて、興味を持ったので古本屋さんで探してもらい、読んだものです(ちょうど10年前だ!)。
実に面白い内容で、精神分析学的解釈も加えられています。
但し、フロイトが神学者や歴史学者ではないため、それらの分野の専門家からは軽視される傾向があります。

本書の詳しい紹介はドイツ語ウィキにありますが、英語ウィキでも簡略に紹介されています。


      


エルサレムは三大一神教共通の聖地です。古代ユダヤの神殿があった場所であり、キリストが処刑され蘇った土地、ムハンマドが天に昇った場所だからです。

ムハンマドが天に昇ったとされる岩のドーム


      


トランプ大統領がアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移すという報道で、以上のことを考えました。

追記:ニュースを聞いて最初にひらめいたのは、北朝鮮のほかに中東にも「火をつけるのか」という危惧でしたが、同時に「アホだな」と思いました。


エルサレムを首都にしようとしているのはイスラエルとパレスチナで、仲良く半分ずつ夫々の首都にすればいいのに、と思いますが、いずれの側にも独占しなければ駄目だという強硬派が存在するので、一向に解決しない、ということになります。






暗い家

2017-12-05 | おきにいり

野兎覗きの友達が「日本のお寺や神社は、境内があって明るくていいね」と話してくれた笑い話
(これは彼女の創作ではなく一般に普及している笑い話のようです。)


ある日、神様が地上の様子を見てみようと、一般人の姿で降りてきました。歩いていくと大きな建物がありました。
暗い表情の人が出入りしています。一体何の建物だろうと入ってみると建物の中も暗いのです。
不審に思った神様が「これは、どういう建物ですか?」と尋ねると、しかめ面の人が「神様の家です」・・・
つまり、その建物は教会だったのです






上のウィキ・フリー画像は「暗い家」の一例、サン・マルコ寺院です。上方の窓は明るいですが、人間の動き回る部分は、かなり暗いです。
ここばかりではありません。大抵の教会は中が暗いのです。新しい教会は採光を考慮して明るいのですが、昔の石造教会は暗い場合が大半です。
また、修道院と教会がセットになっている場合は回廊付き中庭や菜園があったりしますが、街中の教会だと「境内」は無いのが普通です。



サン・マルコ寺院に関する詳しい説明は英語ウィキを御覧ください。




点数勝者

2017-12-03 | かりいぬ

古いカレンダーのワン・ピョンです




右のワンちゃんが「アホな猿真似め、『点』数の勝者はボク(ひょっとしたらアタシ)だ!」と言っています。
左のワンちゃんも「点」は多そうですが・・・ウサギさんは分が悪いようですね。

ワンコは知名度の高いダルメシアン、ウサギさんは多分チェッカード・ジャイアントでしょう。


 今日の蛇足

11月30日に初雪が降りました。まだ少し残っています。






近くの高架線下は日陰になるので、まだ真っ白です






ガキども

2017-12-01 | ことば

ウィーン大学の講義では、教授が学生に向かって呼びかけるとき
「Meine Damen und Herren(マイネ・ダーメン・ウント・ヘレン)」と言います。
つまり「レディス・アンド・ジェントルメン」ですね。
「Liebe Kollegen(リーベ・コレーゲン)」という呼びかけもありました(親愛なる同僚の皆さん)。
(ドイツ語圏の他の大学は知りませんが・・・似たようなものかと思いますが・・・)

つまり、学生は大人あるいは同僚扱いなのです。これに慣れていて、ある年、シエナでイタリア語の1ヵ月集中コースを受講しました。




相変わらず超下手な落書き、先生の頭のイタリア国旗の赤と緑の位置が逆でした


クラスの先生は「べらんめい」調の女の先生で、「Ragazzi, capiti(ラガッツィ、カピーティ)」と呼びかけます。
つまり「皆さん、分かりましたか?」です。
親しみを込めた「親称」なのですが、「レディス・アンド・ジェントルメン」に慣れていた私には

「ガキども、分かったか!?」

と聞こえてなりませんでした


日本の大学では、どうかと言うと・・・まあ「諸君」とか「皆さん」でしょうね。或いは「君たち」「あなたたち」かな


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オカとオコ
中世の亡霊
その他略