以前の
犬の人で思い出しちゃったので、2人目の犬の人
いずれも美女で、かなりエキセントリックな人物だったことは単なる偶然です。
その人は
イザベル・エーベルハルト、フランスではイザベル・エベラールと発音されます。
追記:エーベルハルトは母親の結婚前の姓を採用したものです。
1895年の写真
イザベルの母親はユダヤ系のドイツ人で、ロシアの貴族と結婚していましたが、アルメニア人で
アナーキストの家庭教師トロフィモウスキーと子供たちも連れて駆け落ちし、イザベルは1877年にジュネーブ郊外で生まれました。父親が誰であるかは、完全には確定していません。家にはアナーキストその他様々な人々が出入りしており、父は
アルチュール・ランボーだというトンデモ説もあります。トロフィモウスキーは数ヶ国語をマスターしており、子供たちは学校へ行かず、彼から言語その他の教科を教えられました。
イザベルは早くからアラビア語もマスターし、イスラム教に傾倒していました。1897年母の転地療養のためアルジェリア(当時フランス領)へ渡り、2人はイスラム教に改宗しました。母は転地療養の甲斐なく世を去り、ひとりになったイザベルは、男装をして「シ・マアムード・サーディ」と名乗り、砂漠と
マグレブ各地を放浪するようになりました。トロフィモウスキーは男女の区別無く同じ教育を施したので、イザベルは少女時代から男装に慣れていましたし、当時のイスラム社会では、顔を隠さずひとりで外出し旅をするには男であるか、男装するしかなかったのです。
彼女は文筆を志し、パリの文学サロンにも出入りするようになりました。
彼女は原稿料でアラブ馬を買い、愛犬を連れて砂漠を駆け回るのが好きでした。
完全に男になりきったわけではなく、スリメーヌというアルジェリア人と結婚しています。
後年には、フランス軍の
リヨテ元帥のため、諜報員を勤めています。しかし、男装なので、どこへでも自由に行き来できるにもかかわらず、肝心の情報を握っているのが要人の母親だった場合、その人には近づけないというジレンマもありました。
1904年10月20日から21日にかけて、当時彼女が住んでいた
アイン・セフラ(黄色い泉)で豪雨があり、洪水となって彼女は溺死しました。自ら死を選んだような最期でした。遺体はリヨテが部下に命じて捜し出し埋葬しました。
彼女のエッセイや日記は今でも出版されていますが、特に自由奔放でエキセントリックな一生のため
映画にもなっています。
イザベルのエッセイ集
イザベルの伝記
他にもイザベルの本を持っていますが、いずれも日本では知られておらず日本語版もないので省略します。犬の人なのに、肝心の犬さんが登場せずスミマセン
砂漠で洪水?と思われるかもしれませんが、1年中殆ど雨の降らない砂漠で、たまに豪雨があると森林や河川のない砂漠では、たちまち低地が洪水となります。私も一度、砂漠の豪雨で怖い思いをしたことがあります。