みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

バスのスリル

2015-01-30 | その他

一応、ゴタゴタが一段落しまして・・・バスに乗るスリルについて

このスリルは、どこでも味わえるわけではありません。
私の場合ダマスカスでバスに乗るたびスリルでしたが、この「スリル・バス」は他の都市でもあると思います。

古い写真を探したのですが、意外にも当のバスが写っているピンボケ写真がないのです。

それで、いつものようにウィキ・フリー画像をアップします。



私も良く通った道路のように思いますが、似た道路が色々あるので特定できません。
通りを埋め尽くしているような黄色い車はタクシーです。

私たちが普段乗るようなバスは、ダマスカスでは殆ど長距離路線だけに走っていて、市内の移動にはマイクロバスが走っています。
上の写真で言うと、一番手前の右から2番目。座席は大抵10席から12席。
乗車券というものは無く、現金で運転手さんに払います。後ろの席に座った人は、前の人に頼み運転手さんまで順送り。
ぴったりの小銭がある場合はいいですが、おつりをもらう場合はややこしい。
地元民の方々は手馴れていて、順送りで集まったお金を誰かが人数を言って運転手さんに渡し、また順送りにおつりが戻ってきます。

乗車賃支払いもスリルですが、乗り降りもスリル。
まず、満員の場合は止まってくれません。マイクロバスなので、しばしば「満員素通り」です。
あるいは自分しか乗る人がいない場合は、手をあげて合図しないと、無関係の通行人と思われ無視されます。
乗る人が多い停留所では、満員になってしまい、取り残されることもあります。
始発の停留所で、すいたバスに乗ると、満席になるまで発車しません。それで20分くらい待つことも・・・

降りるときは声をかけて停車してもらいます。一般的な合図の言葉は
「アラ・ル・ヤミーン(右へ)」と「ラウ・サマフタ(お許しいただければ=つまり「お願いします」)。
降りる人の多い停留所は、地元民の誰かが声を掛けるので「便乗下車」。
自分ひとりが降りる場合はタイミングよく声を掛けねばなりません。よそ者の私には、とてもスリルがありました。
停留所はあるのですが、無いようなもの。どこでも乗れるし降りられるのです。
空席のあるバスなら、停留所でなくても手をあげれば止まってくれるし、停留所以外でも上記の合図で止まってくれます。

この現象が意味しているのは、人口急増・市街地の拡大にインフラストラクチャー整備が大幅に遅れているということでしょう。
私が滞在した家のマイカーに乗せてもらったことも多いのですが、バスの通らない道で歩いている人を見ると、行き先を尋ね、同じ方向なら乗せてあげていました。
こういう状態なので、やむを得ずタクシーに乗るということも多く、上の写真のようにタクシーが道路に溢れることも・・・


既に4年来、内戦状態のシリアでは、インフラストラクチャーも、むしろ退化・悪化しているのではないかと思います。
シリア出身の友達の話では、外国からのテロリストが一番悪いということです。早く平和になってほしいのですが、まだまだ長引きそうです。


Wikipedia:シリア
Wikipedia:ダマスカス
Wikipedia:シリア騒乱






続滑る床

2015-01-26 | かりいぬ

猫さんの手に続いて、犬さんの手も借ります
同じ人が、色々な床で滑っている犬さんたちを集めてアップロードしたもののようです

猫さんと身体構造が違う犬さんたち、ちょっと不器用に滑っているようですが
やっぱり「滑り」を楽しんでいる犬さんもいます




またしても、このペタンコ仔犬ちゃんは動画に登場しません カバードッグですね


追記:動画が見られなくなっているようですが、YouTubeで下のタイトルで検索すれば見られます。
Funny Dogs Sliding on Wooden Floors Compilation 2014
最初の3単語だけでも検索できます。



       


ゴタゴタも、もうじき終わる予定です でも・・・乞無期待







滑る床

2015-01-22 | かりねこ

まだゴタゴタ中で、遂に「猫さんの手」を借りることにしました

色々な滑る床をスライドする愛らしい猫さんたち。
一部の猫さんは滑るのを楽しんでいるようです





滑空中のムササビみたいなこの猫さんは残念ながらビデオには登場しません


追記:動画が見られなくなっているようですが、YouTubeで下のタイトルで検索すれば見られます。
Funny Cats Sliding on Wooden Floors Compilation 2014
最初の3単語だけでも検索できます。



数日中にゴタゴタ終了の予定です・・・たまーに覗いてやってくださいませ 
でも乞無期待





無H人

2015-01-17 | ことば

前回の「シャルリー・エブド」と、その前身「アラキリ」についての蛇足です
ご存知の方々も多い内容ですが、ご容赦のほどを

よく「日本人はL(エル)が発音できない(またはエルとアールを区別しようとしない)」と言われますが、地球上には、ほかにも「×を発音できない人たち」がいるので、あまり気にしないことにしましょう

スペイン人はBとVを区別しないし、フランス人とイタリア人はH系(はひふへほ)が発音できません。以前にも書いたように思いますが・・・

だから「ヘブドマデール(週刊)」は「エブドマデール(略してエブド)」になるし、腹切りは「アラキリ」と発音。
柔道が国際的スポーツになってから、フランスの審判は試合の開始に「アジメ(始め)」と言っているそうな・・・

先代の天皇さんは「イロイト」と呼ばれ、無理に腹切りを発音しようとして「カラキリ」と言っているのも聞いたことがあります。


「無H人」のウィキ・フリー画像


写真の方々はマルチェロ・マストロヤンニジャンヌ・モローです。2人がHを発音できないかどうかは知りませんが、ちょうどイタリア人とフランス人なので「無H人」の代表として登場していただきました

フランス人でもイタリア人でも、Hの発音が必要な外国語を勉強している人は、だいたいH系が発音できるようです
スペイン人はHは発音しませんが「はひふへほ」は発音できるようです。
・・・なんてことを調べて書いていたら、時間もかかるし、ややこしいので以下略・・・


ちょこっとゴタついてまして、更新が遅れるかと思いますが、堪忍してやってくださいませ
もちろん、相変わらず乞無期待






ウィーンの集会

2015-01-15 | その他

日本で言えば七草粥の日、まだ鏡開きの前に起こったパリのテロ事件。
ヨーロッパ中に大衝撃を与え、多くの国々の主要都市で追悼と連帯の集会が行われました。

ウィーンでも1月11日のパリの集会と連携して、追悼・連帯の集会が行われました。
えーと、私は行っていません


以下の2枚は参加者がネットにアップロードした写真です。


大統領官邸と総理府の間の広場で行われた集会

ラジオのニュースによると1万2000人が参加

ウィーンのフランス大使館前には3000人が集まったということです。


集会の最前列には大統領、首相、閣僚が並んでいます



オーストリアの新聞HPに載った写真
広場の様子
ステージで歌うオペラ座専属合唱団
こういう集会にもオペラ座合唱団が登場するところは、音楽の都ウィーンらしいと言えるかもしれません。
ステージ背後の横断幕には「力を合わせてテロに反対‐共和国政府と宗教団体代表者による追悼集会」と書かれています。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など様々な宗教団体の代表者も参加しました。


Wikipedia:シャルリー・エブド
Wikipedia:フランス紙襲撃テロ事件


      


ウィーン大学での第二外語がイタリア語で、フランス語と似ているため、フランス語も少し分かります。以前にはフランス語の勉強にル・モンドを読んでいて、時々「シャルリー・エブド」の広告も見かけました。この広告は「シャルリー・エブド」の表紙をそのまま広告に使ったもので、いつも「過激だなぁ」と思ったものです(この週刊紙の前身の名前が「腹切り」なので当然かも)。でも、もし誰かが「この内容は過激すぎる」と腹を立てた場合の正常な反応は、何らかの形で抗議し謝罪記事掲載を要求するといったことでしょう。






落日と暁

2015-01-13 | おきにいり

吉村昭の歴史小説は誇張や美化がなく、主人公や事態の真価が、却って鮮明に浮かび上がります。

ここに紹介するのは、幕末に生きて、日本の将来に大きく貢献しながら、あまり知られていない2人の人物です。


その1)勘定奉行を務めロシア使節と対等にわたり合った川路聖謨の生涯



表紙の絵は、ロシア使節の船ディアナ号が嵐で沈没したあと、ロシアの図面により日本の船大工が建造した戸田号進水式の様子。もちろん、人間が意識的に大きく描かれています。実際の戸田号は、もっと大きなスクーナーでした。

上下2冊からなり、川路聖謨とプチャーチンが丁々発止とわたり合った日露外交交渉を中心に、終焉寸前の幕府を支えた有能で先進的な幕臣としての生涯が描かれています。
川路聖謨は貧しい出自を忘れず、幕府の重臣として奔走した時代も、質素な生活を家族にも家臣にも徹底させました。しかもユーモアのセンスに富み、外交交渉の駆け引きに優れていたにもかかわらず、終始一貫して誠意を貫いた「外交官・政治家の鑑・模範」とされます。
川路聖謨とプチャーチンは、互いの人柄を高く評価し、単なる交渉相手以上の深い結びつきが出来たようです。川路家とプチャーチン家の交流は今に至るまで続いています。
晩年は中風で半身不随となり、官軍が江戸に迫った日、幕府に殉ずるためピストル自殺しました。
幕末の困難な状況を支え、明治時代への大きな礎を築いたのは、こうした有能な人々の功績です。



その2)幕末に西洋医学を学び明治の医療制度確立に貢献した松本良順



オランダの医官ポンペから当時の最新医学を学び、幕府の奥医師を務め、将軍家茂を看取った松本良順は、戊辰戦争のとき、榎本武揚に函館への同行を求められながらも、土方歳三に「その医学を今後の日本のため役立てて欲しい」と諭され、明治期の医療制度確立に貢献しました。


幕末といえば、××事件やら暗殺など派手な剣戟が知られていますが、最も重要な部分を支え、未来への道を切り開いたのは、川路聖謨や松本良順などのような、あまり知られない実力者たちなのだと思います。
著者は、こういう人物を他にも発掘し、地味ながら読みごたえのある歴史小説を書いています。


アマゾンで入手可能です。
落日の宴・上
落日の宴・下
暁の旅人



吉村昭の歴史小説を紹介した以前のボログ記事
3分と2分


ちょっと蛇足
プチャーチンのロシア使節団には作家のゴンチャロフなど、多くの実力者が参加しており、ロシア帝国が日本との国交樹立を重視していたことが分かります。



ついでに・・・昨年末の夕暮れピンボケ写真












大通り今昔

2015-01-11 | 旧市街

昨年も書きましたが、ウィーンの旧市街を囲むリンク大通りが開設150周年の年を迎えました。



1920年代と現代を左右に並べたYouTubeを見つけたのでアップします。





一見したところ、あんまり変わらないですね。
大通りが出来て以降、第一次大戦と王朝の崩壊、第一共和国樹立、1930年代の内戦状態、ナチス・ドイツへのオーストリア併合、第二次大戦、第二共和国樹立、10年間の戦勝4ヵ国共同占領時代、永世中立国としての完全独立など、波乱の歴史があるのに、目には見えません。
でも、見えないものを感じ取ることが、歴史的名所を訪れる醍醐味ではないかと思います。

歴史については、ウィキのオーストリアの歴史をご覧ください。


Wikipedia:リンク大通り(リングとなっていますが、ドイツ語で、こういうGはグとクの間のようなクに近い発音)


リンク大通りの風景が出てくる以前のみみずボログ記事
馬湿地の砦
スルメ150年
霧の日
市民庭園






ある役者の復讐

2015-01-08 | その他

もう何年も前のこと、イギリスのDVDカタログに、日本映画「ある役者の復讐」というのがありました。
この俳優は長谷川一夫ではないか?ひょっとして「雪之丞変化」とかいう物語ではないか?と思い当たりました。
こういう時代劇には全然興味がなかったのですが、なぜイギリスでDVDが出てるんだろう?
という興味で注文しました。


イギリス版DVD



改めてネットで見つけたアメリカ版



ほとんど黒澤明の時代劇しか見たことのない私には、いかにも「作り物」という感じでしたが、画面は美しいです。
歌舞伎の舞台を映画にしたような感じでした。物語そのものも「作り物」だけど、一応面白くできています。
今もイギリス・アマゾン、アメリカ・アマゾンでDVD入手可能のようです。面白いですね


YouTubeで英語字幕付き予告編も見つけました。







ギャーッ

2015-01-06 | その他

オーストリア人の知り合いの思い出話なので画像はありません。


その1)女性の場合

彼女は青目金髪の美人です。30年以上前、オーストリア航空東京事務所に勤めていました。
ある日の夕方、ひとりで残業していました。事務所内にはほかに誰もいませんでした。
そのとき、何かの間違いで、ひとりの日本人男性が扉を開けました。彼女が顔を上げると…
その男性は、手で頭を押さえ「ギャーッ」と叫んで、何も言わず扉をバタッと閉めました。
彼女は「何と失礼な人」と腹を立てましたが、後で考えてみるに
その日本人は外国語が話せず、夕暮れの事務所に外人女性ひとりだけという状況でパニックになったのだろう
と可笑しくなって笑ってしまったということです。

その彼女が泳ぎたいと思って、千駄ヶ谷の屋内プールに行きました。
水着姿でプールに入ると、館内の人々が一斉に彼女のほうを見つめたのです。
このときは彼女のほうがパニックになって、即刻プールから逃げ出しました。
仕方ないので、高級ホテルのプールで泳ぐことにしたそうです。


その2)男性の場合

彼は長身ですが、特に怖い顔でもなく、普通のヨーロッパ人です。
武道の修業をしていて、あるとき(15年前くらい)、東京の本部で稽古をするため日本に来ました。
本部最寄りの山手線駅で電車から降り、向こうから来た若者に歩み寄り
必死に記憶した片言日本語で「××へはどう行ったらよいですか」と尋ねました。
話しかけられた若者は、一声も発せず、くるりと向きを変えて走って逃げていきました。
彼は「自分はそんなに怖い顔なのかな」と落胆しましたが、気を取り直し、今度は向こうから来た年配の男性に声をかけました。
その人は親切に、もちろん日本語で、道順を教えてくれたということです。


今では、こんな話は無いと思うのですが、どうでしょう


      


1月6日は三聖王の日で、オーストリア、ドイツ、スペイン、イタリア、スウェーデンでは祝日です。


ラヴェンナサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂のモザイク

ラヴェンナには行ったことがあるのですが、この人たちは記憶にありません。


みみずボログ以前の三聖王記事
カスパールの末裔






残るもの

2015-01-03 | その他

学生時代、西洋史専攻でした。第二外語がドイツ語で自然の成り行きとしてドイツが重点。
私は近世史を勉強しましたが、ドイツ史で避けて通れないのは「ナチスの時代」。そして当時読んだ本のひとつが「ナチスの時代」。


岩波新書で今も出ていると思います


内容は、もうすっかり忘れました。でも構いません。この本以降にも、ドイツを筆頭に世界各国でナチス研究の本が専門書から一般書まで数え切れないほど沢山出版されています。私も現在までナチスやヒトラーに関する新しい本古い本、新聞や雑誌の記事を色々読んでいるので、この本に戻る必要はありません。

しかし、この本の中で今にいたるまで忘れられない短い一文があります(いちぶんいちもんではありません)。


制度はなくなっても意識は長く残る


本の中の文脈では「ドイツ帝国はなくなっても、その意識は人々の頭に生き続ける」ということだったと思います。
しかし、恐ろしいことに、これは普遍的に当てはまる「事実」なのです。

古代の奴隷制度もアメリカの黒人奴隷制度もなくなっています。封建制度もなくなりました。南アフリカのアパルトヘイトも廃止されました。その他色々、殆どのネガティブな制度はなくなっていますが、例えば、カモフラージュされた奴隷制度、封建的な発想、差別意識などは根強く生き残っています。

その端的な例がネオナチです。ナチスの「第三帝国」は崩壊しましたが、ナチスの思想は、幾つかの本として、これからも存続し、生き続けるのかも知れません。

一種の病原菌のようなもので、一定の条件下では、人間の思考を侵します。脳の病気には色々な治療法・手術法がありますが、思考の病気を治すのは難しいものです。偏見も思考の慢性疾患のようなものと言えるかもしれません。


      


最近読んだのはこの本です。迫力がありました。日本語訳はないようです。

内容はヴァンゼー会議ユダヤ人問題の最終的解決について経過を紹介・分析したものです。