みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

100年前

2014-06-28 | その他

市民庭園続きの前に、ちょっと100年前へ「寄り道」

100年前の今日サラエボ事件が起こり

第一次世界大戦勃発へとつながりました


1914年6月28日、当時のボスニアの首都サラエボで、オーストリア・ハンガリー帝国の帝位継承者フランツ・フェルディナント大公と夫人がセルビアの民族主義者によって暗殺されたのです。
これに対しオーストリアの最後通牒がセルビアに突きつけられ、続いて7月28日に宣戦布告、当時の軍事同盟関係が発動して世界大戦となりました。


以下の写真はWikipediaフリー画像。幾つかの歴史的データの出典はドイツ語版ウィキ。


サラエボ市庁舎を出る帝位継承者夫妻

この5分後に事件が起こりました

現場のラテン橋(もちろん現代の写真)

犯人のガヴリロ・プリンツィプは左端の家の陰から出てきてオープンカーの夫妻を撃ちました

最初の銃弾は妊娠中だったソフィー夫人に当たり、大公は「ソフィー、死ぬな、子供のために生きろ」と叫びました。次の銃弾が大公の首に当たり気道を傷つけました。前の席に座っていたハラッハ伯爵が振り向いて大公の肩をおさえ「何事です」と叫ぶと、大公は「何でもない」と答えて意識を失いました。銃弾を腹部に受けた夫人は多量の内出血のため既に車中で死亡、大公も総督官邸で息を引き取りました。

既に大公夫妻のサラエボ訪問前から暗殺計画のあることが繰り返し警告され、既に1度目の暗殺未遂があったにもかかわらず、当時のボスニア総督の主張で、日程が予定通り強行されました。ボスニア総督には自分の面子が最重要だったのかも知れません。
犯人は「殺そうとしたのは大公と総督だけで、夫人を撃つつもりはなかった」と供述しています。

翌日のニューヨークタイムズの一面

Wiki画面だと小見出しも読めます

ウィーンの軍事史博物館サラエボの部屋

夫妻の乗っていた車、大公の軍服など常設展示
サラエボ事件100周年の6月28日から、新たな展示による「第一次大戦」展がスタートしました。

この博物館には何回か行っていますが、今年は第一次大戦勃発100周年で見学者が多いかと思います。そのうち又出かけて写真をアップ…する予定



フランツ・フェルディナント大公は、ユーゲントシュテイルなどモダンな潮流を嫌う保守的人物でしたが、フランツ・ヨーゼフ皇帝はじめ周囲の猛反対を押し切って「身分がつりあわない」とされるソフィー・ホテクとの貴賎結婚に踏み切り、二人は幸せな夫婦でした。大公は、政治的には色々逡巡し、明確なビジョンを持つことができませんでしたが、当時の複雑・混乱した政治状況の中では、明快な解決策を打ち出せる人など誰もいなかったと思います。

そもそも当時は植民地主義絶頂の時代、列強の欲望むき出し植民地獲得競争の中で、ヨーロッパの主要国では「もう戦争以外に解決の道は無い」とする「戦争待望論」が主流でした。サラエボ事件は彼ら戦争待望論者にとって絶好の口実だったに過ぎません。誰も、産業革命後の機械化された全面戦争の恐ろしさなど夢にも想像できなかったのです。



100年後の今、振り返ってみるると、第一次大戦が第二次大戦の原因となり、両対戦が今日まで続く様々な紛争の原因となり、更に重い負の遺産として21世紀をも圧迫しています。

6月26日からの欧州連合サミット会談は、第一次大戦激戦地であったベルギーのイーペルで開催され、戦没者追悼式が行われました。


Wikipediaの関連項目
フランツ・フェルディナント大公(世界旅行の途中で来日しています)
ソフィー・ホテク(ドイツ語発音はゾフィーですが、オーストリアでは濁音を避ける傾向あり)
サラエボ事件
ガヴリロ・プリンツィプ
サラエボ
第一次世界大戦

フランツ・フェルディナント大公の日本滞在日記が講談社学術文庫で出版されていますが、絶版のようで、アマゾンでも中古品のみ提供されています。
日本では第一次大戦への関心が「現地」のヨーロッパよりはるかに低いようなので、今年の再版は多分ないでしょう。


第一次大戦に関するみみずボログの以前の記事
14の呪縛
1913





まだゴタっておりますので、市民庭園の続きは、また数日後になります 
でも乞無期待







日曜日の庭園

2014-06-23 | 旧市街

ご無沙汰しました
まだゴタゴタしていますが、日曜日、急に思いついて市民庭園へ

「旧市街」カテゴリーで何回かアップしていますが、いつ見ても気持ちの良い庭園です

いつものようにピンボケ写真を羅列


1)市庁舎の塔


2)市民庭園のテセウス神殿


神殿は19世紀の歴史主義建築で、カノーヴァテセウス群像を置くため建てられましたが、群像は今は美術史博物館中央階段の途中にあります。

3)ベンチの多い庭園、後方はブルク劇場


4)花壇に置かれた鉢植えの木(この木なんの木♪…)


5)後方は自然史博物館


6)庭園中央にある大木(この木なんの木♪…)


7)バラはもう盛りを過ぎていました

後方の赤い屋根は「晩餐教会

8)黄色いバラはまだきれいでした

後方はグリルパルツァー記念碑

9)カラスさんのいる噴水とブルク劇場



以下「芝生人類」です       

10)


11)


12)


13)裸の人は女性ではありません(がっかりしてください)


14)多分、女性か…もしれない




 すぐではないかもしれないけど、数日中に続きます… 乞無期待






犬福祉今昔

2014-06-16 | おきにいり

シュバルツママさんから送っていただいた犬本2冊

漫画と新書ですが、愛犬家にとってのみならず
社会学や社会福祉の見地からも面白い内容です




小さい画像をダウンロードし拡大してアップロードしたので、ちょっとボケてます

高齢犬介護をテーマとする漫画。文章だけだと辛い内容ですが、サラリとした漫画なので読みやすいです。
医学と医療技術の進歩とともに人間の寿命も延び、犬さん猫さんも高齢化の傾向。
当然、介護に関する知識や介護体験は重要な情報です。

タイトルの「犬往生」は「大往生」のモジリである(シュバルツママさん説)とともに
「犬死」の反対語でもあるのでしょう

アマゾンで販売しています


もう1冊は社会史的な本です。


江戸時代、犬さんがお伊勢参りをしたのです。しかも、かなり多くの犬さんたちが…

読む前から「ありうることだ」と思いましたが、著者の詳しい調査と説明で一層納得がいきます。

何よりも、江戸時代の日本では「飼い犬」という概念がなく、一般に犬さんは今で言えば「地域犬」として暮らしていました。
「飼い主」のある犬さんは、ごく僅かな例外で、殆どの犬さんは「町内の犬」「村の犬」といった立場でした。
お伊勢参りは、江戸時代庶民のバカンスであり、大抵は団体旅行でした。
そこに犬さんが一緒に歩いていると「この犬もお伊勢参りしたいらしい」となり、既成事実ができると「自分は病気だから、うちの犬(または町内の犬)に行ってもらおう」などと考える人がでてきて、更に宿場から宿場へと「お伊勢参りの犬さん」を世話し順送りにするようになり…

明治に入ってから犬さんの「お伊勢参り」はなくなりました。
明治維新前後から、日本在住の欧米人によって初めて「飼い犬」という犬さんの「社会的地位」も導入されました。
それとともに「飼い犬」「野良犬」という「社会的地位」も明確にされたのです。
同時に「洋犬至上主義」も蔓延しましたが、これは現在随分是正されているように思います。

関心がおありの方は、本を読んでみてくださいませ アマゾンにあります

本には出てきませんが、江戸時代のお伊勢参りが徒歩だったのに対し、「文明開化」とともに徒歩のお伊勢参りがなくなったのも、犬さんが同道できなくなった理由ではないかと思います。
(ヨーロッパのように日本でも鉄道開通当時から犬さんも列車に乗れたとしたらどうなったか?うーむ、わからん)


「お伊勢参り」の犬さんは、人間のお参りグループや街道筋や宿場の人たちが親切にお世話したようです。これも、江戸時代の「犬福祉」ではないでしょうか

シュバルツ君が登場する最近のみみずボログ記事:シュバ友



      


ちょっとゴタゴタしてまして、まばら更新になります。こんなボログですが、時たま覗いてくださいませ… 
でも恒例、乞無期待








最小市民

2014-06-13 | おきにいり

以前からアップしたかった可愛いウィーン市民

でも自分で撮影するのは無理なので、今回はウィキ・フリー画像でご紹介します

以前に舗道を歩くハリネズミには出会ったことがありますが、この方には街中では会えません。









地元のドイツ語ではツィーゼル(Ziesel)ですが、英語を直訳すれば「地リス」、日本語ではヨーロッパハタリスです。

昆虫なども含めれば、もっと小柄なウィーン市民がいると思いますが、哺乳類では最小サイズの方々
こんな可愛い市民が、いつまでも幸せに暮らせますように


彼らに快適な生活環境を提供しているのは、ドナウ水郷地帯の草地だと思います。

ドナウ水郷地帯の草地






ここには野生のランも多く、こんな花が咲いています。







ドナウ水郷国立公園:英語ウィキでも少ししか記載がありません。
ドナウ水郷国立公園の英語HP

ドナウ水郷の出てくるみみずボログの以前の記事
冬の終わり
平和の鐘






獅子の子落とし

2014-06-11 | おきにいり

正確には獅子の子落とし動物園版


オーストリアの新聞HPに紹介されていたYouTube動画です
見た方も多いかと思いますが、まだの方のためアップしました。可愛いです

獅子の子落とし」というのは迷信ですが、ワシントンのスミソニアン動物園では、仔ライオンの水泳試験があります。
ライオンの成獣が暮らすところには水濠があるので、仔ライオンが成獣の仲間に加わる前、水泳試験があるのだそうです。






最初の子はすぐに上がろうとしましたが、他の子たちは岸に沿って、立派に犬掻き(獅子掻き)で泳いでいます
まあ、みんな合格だそうです

この動物園はワシントンのスミソニアン博物館の1部門。
スミソニアン動物園については日本語版がないので、英語ウィキでご覧ください



 今日の蛇足


ウィーンでは、このところ35度くらいまでの日が続いています。35度にもなる日は、10年くらい前までは、せいぜい7月か8月に数日でした。
6月に35度というのは新傾向です。やはり地球温暖化のせいでしょうか。このままだと7月8月にはどうなることか…






闇鍋ポレンタ

2014-06-08 | その他

闇鍋カレーに続いて再び粗製乱造料理


以前はイタリアのレストランで出会いましたが、このごろはスーパーでも売っているポレンタ


これは1食分が2個パックになっていて便利


パックから出して加熱すればよいだけの簡易食品。
それに、今回は牛ひき肉を中心に、また闇鍋的に、野菜をテキトーに投入、テキトーに味付けしてポレンタの上に乗せました





日ごろ、こんな風にテキトー・デタラメなものを作って食べています

ポレンタも前回のクスクス同様、幅広く利用可能で便利な食品のようです。
自分で試したことはありません







雨猫

2014-06-05 | かりねこ

このところ猫気が少なかったので、あわてて借り猫さん(ネットで見つけたりスキャンしたり)
ついでに雨に対する猫哲学を…


日本でも温度が急上昇・急降下を繰り返しているようですね
ここらでも天気が不安定で時々にわか雨も降ります



長靴をはいた猫でなく長靴の中の仔猫さん

ネットで見つけた雨猫さん


雨だからと言ってボーッとせず…

絵葉書猫さん

文章は「友情は作るものではなく生まれるものだ」



…天気が悪ければ教養を磨きましょう

カード猫さん

ソファで悠然と新聞を読むインテリ猫を演じていても
本音は「晴れでも雨でも寝てくらそう」に違いありません






メルヘン王

2014-06-03 | おきにいり

前回のついでに、数年来アップしようと思っていたルキノ・ヴィスコンティの「ルードヴィヒ」です


DVDのケース

ロミー・シュナイダーの全く別のエリーザベト

何故このDVDを買ったかというと、学生時代ヒアリングの教材として映画「ルードヴィヒ」を見たことがあったからです。当時は全然聞き取れなかったし、映画監督が何を言いたいのかも、さっぱり分かりませんでしたが、豪華で時々幻想的な画面は印象に残りました。
仕事でロミー・シュナイダーの資料を読む機会があり、あの映画はなんだったのか?と改めて考え出しました。
ところが、バイエルンルードヴィヒ2世も極めて伝説的な人物で色々な劇映画、ドキュメンタリー映画があり、学生時代に見た映画がどれだったのか確定できず、どうせならヴィスコンティにしよう(ロミー・シュナイダーの「別の」エリーザベトも見られる)というわけで、この超大作映画のDVDを購入。


イタリア語版の予告編



歴史上のルードヴィヒと周辺の人々はドイツ語を話すわけですが、監督とスタッフがイタリア人なので、イタリア語版が本来のオリジナルです。
戴冠から謎に満ちた死までが描かれ、ほぼ4時間で、分量的にも超大作。長すぎるので分割されており、なんだか数回のテレビドラマ・シリーズみたい。



ロミー=エリーザベトの現れるシーンのひとつ



エリーザベトは沢山、大型の猟犬を飼っていました(と言っても自分で世話をするわけではなく、大きな犬舎があり犬係が世話していました)。



戴冠式の場面



こういう儀式は世界中どこでも仰々しいですね。でも、この映画では「絵本」にならず重厚です。



 今日の蛇足


ルードヴィヒと言えばノイシュヴァンシュタイン城。撮影にも使われています。あまりに観光名所なので、行ったこともなく、今後も行く予定はありません

この映画の重要な軸は、ルードヴィヒとリヒャルト・ワーグナーの不思議な関係です。ルードヴィヒがパトロンとなる前のワーグナーは破滅一歩手前で、ルードヴィヒの援助なしには作曲家ワーグナーは存在し得なかったでしょう。
映画の中にもワーグナー作品が効果的に使われています。

ルードヴィヒを演じているヘルムート・ベルガーはオーストリア人。日本語ウィキでバーガーと表記しているのは、アメリカ経由の発音による表記と思われます。エリーザベト→エリザベートの場合同様、ベルガーを日本語訳したものがバーガーと言うこともできるでしょう。


最後に…
DVDを見ても、やっぱり監督が何を言いたいのか、はっきり把握できませんでした。しかし、ヴィスコンティが自らの人生をルードヴィヒと重ねあわせ、情熱を注いだことは確かのように思います。

アマゾンで販売されています。

と言っても買う必要はありません。YouTubeに沢山紹介されています






皇帝を捨てた人

2014-06-01 | その他

何かが誰かの生涯を決定付けることがあります。ある映画が大ヒットしたために、主役を演じた俳優が、その作品の呪縛から抜け出せなくなる場合があります。

シシィ三部作と呼ばれる3つの映画で、主役カップル、フランツ・ヨーゼフ皇帝エリーザベト皇妃を演じたカールハインツ・ベームロミー・シュナイダーも、その役で一躍スターになり、長年そのイメージから抜け出そうと苦闘したのです。
三部作の監督は、2人に巨大な十字架を負わせた責任者と言わざるを得ませんが、他方三部作は、今も愛好されているようです。

以前まだテレビを持っていたころ、三部作がレトロ放送されて、一応、後学のために見ましたが、確かに主役2人が必死で逃げ出そうとしたことが良く分かりました。


数あるYouTubeの中から台詞のないのを選びました。たった3分26秒なのに辟易



シシィ映画から幾つかの場面を抜き取ってつなぎ合わせたもので、何でこんな映画が愛好されているのかな?と不思議なほどですが、思い当たるのは、王子さまとお姫さまが出てくる絵本。これは多分、大人のための絵本として人気があるのでしょう

追記
おとぎ話の絵本のように作られた映画ですが、撮影には大変贅沢に、宮廷のオリジナル家具が用いられています。映画の中のシシィを御覧ください


フランツ・ヨーゼフとエリーザベトの出会いは本当に、三文小説のようなのですが、それにしても、この三部作は滅茶苦茶に歴史を無視しています。

ロミー・シュナイダーは、その後、フランスへ行き数々の名画に出演、とりわけ、後年ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ルードヴィヒ」では、もう2度と演じないと言っていたエリーザベト役を再び引き受け、陰影のある成熟した女エリーザベトを演じています。

カールハインツ・ベームのその後の映画暦は、優れた意欲的作品に取り組んでいるにもかかわらず、ロミー・シュナイダーほど成功していません。
彼の第二の人生が始まったのは1976年、病気療養のためケニアに滞在し、現地の貧困を体験してからです。1981年エチオピアに支援機関「メンシェン・フュア・メンシェン(人間が人間のために)」を設立、第二の人生をアフリカ支援に捧げています。こうして彼は「皇帝」という殻を破って自己解放したと言えるでしょう。
カールハインツ・ベームは2014年5月29日、86才で世を去りました。


支援機関設立30周年のビデオ





 今日の蛇足

カールハインツ・ベームの父はオーストリアの名高い指揮者カール・ベームで、もちろん息子もオーストリア人ですが、生まれがダルムシュタットのため、日本語ウィキでは「ドイツ人」となっています。

英語のエリザベスに該当するドイツ語の女性名はエリーザベトなのですが、日本ではエリザベートと表記するのが圧倒的です。エリーザベトの日本語訳がエリザベートなのだ、と考えても良いでしょう。

ロミー・シュナイダーの私生活は決して幸福ではありませんでした。1982年5月29日の突然の死は、自殺と解釈されることが多いのですが、過労(心労)と睡眠薬の多用による心不全だったようです。カールハインツ・ベームが同じ5月29日に世を去ったのも、不思議な偶然の一致です。