シナゴーグはユダヤ教の教会です。
ウィーンには130以上のシナゴーグと礼拝室がありましたが、1938年11月9日から10日の夜、
反ユダヤ主義の組織的暴動により1ヵ所を除く全てのシナゴーグやユダヤ教施設が放火され、あるいは破壊されました。
唯一、放火と破壊をまぬかれたのは、旧市街にあるシュタットテンペル(英語なら
シティー・テンプル)です。これは1823年から1826年に建てられたものですが、
ヨーゼフII世の
寛容令ではシナゴーグを直接通りに面して建てることが禁じられていたため、一般の住宅用建築の中に造られました。建て込んだ場所のため放火も破壊もできず、今日まで保存され、貴重な文化遺産となっています。
1979年と1981年、テロリストによる襲撃があり、1981年には死亡者もあったため、常時少なくとも2人の警官が警備しています。
内部は見学できますが、私のおんぼろデジカメでは無理なので、以下ウィキ・フリー画像でご紹介いたします。
外からはシナゴーグと分かりません
ユダヤ文字の表示で、ユダヤ関係の施設と分かるだけです
楕円形で荘重な雰囲気のシナゴーグ内部
教会、お寺、モスクなどとは違った雰囲気です
祭壇ともいえる部分
上部を飾る
十戒のプレート
これまで何回か内部を見学しています。私がユダヤ文化を熱心に独学していた時期と、シリアに行き始めた時期が重なったため、シュタットテンペルの入り口で、いつも、あれこれ質問を受けました。と言うのは、中に入るにはパスポートを提出しなければならず、その中にはシリアのビザ(ハンコ色々)があったからです。シリアとイスラエルは名目上今も交戦状態にあり、シリアに行ったことのある人間は「テロ容疑者」だからです。
困ったので、ユダヤ人の友達を通じてちょっと顔見知りだったオーバーラビ(チーフ・ラビ)に頼んで「この人は安全です」というお墨付きを書いてもらいました。
私はユダヤの伝統文化もアラブの伝統文化も好きなので、
パレスチナ紛争が早く両者に対等平等な方法で解決することを願っていますが、まだ相当の年数がかかることでしょう。
ユダヤ関係の以前のみみずボログ記事
読めない図書館
改宗
タバコとタルムード
ラビと神父
その他省略