75年前、1938年3月12日、
ナチスドイツ軍がオーストリアに進駐し併合しました。
今年の3月12日にも、例年のように国会で記念セレモニーが行われました。もちろん、喜んでいるのではなく、2度と起こってはならない、2度と起こしてはならない事態を歴史的教訓として忘れず、後代に伝えるためのものです。
ヒトラー率いるナチスドイツ軍オーストリア進駐の模様
英語解説付き(一部英語字幕付き)
第一次世界大戦後、多民族国家
オーストリア・ハンガリー帝国内の主要民族が独立し、大帝国はアルプス地方の小さなオーストリア共和国となりました。
ゲルマン系オーストリア人の多くは、一瞬にして大帝国から劇的に縮小した小共和国は、独立国として成り立たず、ドイツと「合併」するより生き残る道はないと考えていました。
それで、画面でも分かるとおり、ヒトラーもドイツ軍も熱烈な歓迎を受けています。
しかし、それからナチスによる大弾圧と侵略戦争による大きな犠牲、そして敗戦に至る破局を体験することによって、自意識を確立したオーストリア第二共和国は、永世中立国として独自の歩みを進めることになりました。
ところが
第二次大戦後は直ちに
冷戦時代となり、東西の接点にあるオーストリアは、当時のソ連とアメリカの争奪戦の目標となり、こうした下心もあってかソ連はオーストリアを「ナチスドイツ最初の犠牲者」と宣言したのです。これを拠り所に、オーストリアは長年、自らを犠牲者と称し、戦争責任を回避し続けてきました。
漸く1991年に当時のフランツ・ヴラニツキー首相が国会演説の中で、第二次大戦におけるオーストリアの戦争責任を公に認め、これから本格的に、オーストリアの戦争責任に対する批判・分析が始まりました。
ヴラニツキー首相については日本語ウィキに何ら記述がないので
英語をどうぞ
1938年のドイツ軍進駐の際、当時のオーストリア首相のラジオによる呼びかけで、オーストリア側からの軍事的抵抗は一切ありませんでした。
今でも「あの時どうすべきだったか」について意見が分かれているようです。
私の友達のひとりは勇ましく「すぐ鎮圧されてもいいから抵抗すべきだった」と言います