みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

地下の秘密

2014-12-30 | ぴんぼけ

前回、忘れられないイスタンブールの猫さんをアップしたら、もうひとつ忘れられないものを思い出しました。


その超ピンボケ写真がこれです




これはイスタンブールにあるビザンツ時代の文化遺産、地下の大規模な貯水槽で、イエレバタン・サライと呼ばれています。ユスティニアヌス帝の時代532年から542年の間にに建造されました。長さ138m、幅65mで、28列に合計336本の円柱に支えられ、柱の高さは8m。古い時代の建築部品が転用されているため、メデューサの首が無造作に円柱基部に使われていたりします。それが却って不気味で神秘的な雰囲気をかもし出しています。

上の写真は私が撮った超ピンボケ写真。他にも内部を撮ってみたのですが、薄暗い照明なので、多少なりとも写真らしいのは、これだけでした

そこで、内部の神秘的な雰囲気は、Wikiフリー画像でご覧ください。


トルコ語Wikipediaにあった写真です

今でも水があり、クラシック音楽が流されて、非常に印象的です。雰囲気を楽しむため3回見に行きました。


イスタンブールの前身はビザンツ帝国の首都コンスタンチノープルで、オスマントルコが1453年にイスタンブールを占領して以降、オスマントルコ帝国の首都イスタンブールとなりましたが、1924年ケマル・アタチュルクトルコ共和国を樹立、首都をアンカラに移しました。しかし、イスタンブールは今でもトルコを代表する大都市です。

オスマントルコはビザンツ時代の重要な文化遺産を受け継ぎ、これを凌駕する建築や芸術を生み出そうと努力しましたが、私の印象では、ビザンツ時代の文化遺産の方が、ずっと強烈でした。ローマ時代の水道橋も見事でしたが、最大の傑作はハギア・ソフィア(アヤ・ソフィア)です。感動して毎日見に行ったので、係員に「あなた毎日来ますね」と言われました。



       


世界中ゴタゴタガタガタする中で、世の中ちっとも新しくならないまま「新しい年」なるものが来ます。
でも、猫さんを見習って来年もマイペースで暮らしましょう  

こんなボログですが、これからも宜しく







いすたねこ

2014-12-28 | かりねこ

ちょっと仕事でクルシミマスたので、更新が遅れました

今回は久々に古い写真から忘れられない猫さんをアップします


イスタンブールで出会ったイスタ猫さん


堂々たる大柄のドラ猫さんでしたが、背中の大胆な虎柄がスゴイ、しかも虎三毛

シリア各地でもイスタンブールでも外猫さんが多いので、いつも写真を撮ろうとしましたが、大抵の方々は内気なのか、とっとこ何処かへ行ってしまい、残念ながら良い写真はありません。

この猫さんもピンボケで残念ですが、大抵の外猫さんと全く違い、どんどん歩み寄ってくるのです。ずっと、ついて来るので連れて帰りたいくらいでしたが、そういうわけにもいかず、泣く泣く走り去ったのでした



イスタンブールはダイナミックな街です。街が2大陸にまたがっているのは地球上でイスタンブールだけでしょう。
バーゼルでは日帰りで3国(スイス、ドイツ、フランス)を回れますが、イスタンブールでは日帰りでヨーロッパとアジアを往復できます。
イスタンブールの市電は普通の電車に近い「大柄」で、駅の間の距離が長いので、降りるところを間違うと相当歩くか、もう一度乗りなおすかしなければなりません。疲れました

大道商人は、かなり執念深く追いかけてきます。彼らは数ヵ国語が喋れて、日本語で話しかけられたとき、フランス語で「分からん」と答えたら、即座にフランス語に切り替えたので驚きました。でも一般市民は親切です






街角

2014-12-24 | そこらへん

土曜日の午後、アラビア語コースの後に、やや遠くまで寄り道しようと思ったのですが、青空ながら強い寒風
好きな駅窓枠絵画で紹介した駅の周辺をちょっとウロウロして風邪を引かないうちに帰宅

私の住んでいるところとAAIの間には、沢山乗り物の組み合わせがあります。乗り換え無しの市電もあるのですが、このときは、市電で「好きな駅」まで行き、ピンボケ写真を撮った後、国鉄で帰りました。


1)駅の近くに小さな御堂とユニークな建物

日本なら中にお地蔵様がいらっしゃるところ

2)窓から覗くと聖人らしいお方


3)横の窓から見ても分かりません


4)御堂の後ろの建物


5)典型的なユーゲントシュティルアールヌーボー


6)窓に、その特徴が良く分かります


7)建物の一部が郵便局になっています


8)御堂を振り返って見たところ


9)通りの向こう側


10)


11)この辺には良く「帽子付き」の建物が見られます


12)別の「帽子」


13)好きな駅、窓枠絵画の駅方向


14)ショーウィンドーの飾りつけ


15)


16)


17)駅舎(左)と冬の雲


18)電車から見て以前から気になっていた坂道


19)坂道の突き当たり


20)坂に沿った線路の向こう側の古風な家


21)坂を下りて駅へ向かう途中で見たシロクマさん

電気屋さんのショーウィンドー


この駅があるウィーン18区ヴェーリンクについては英語ウィキの記事があります。
私が繰り返しお花見に行っている世田谷公園も、この18区にあります。
世田谷公園に関する以前のボログ記事
やや秋の庭
秋の小川
以下略


いよいよイブ(24日)、クリスマス(25日)、聖シュテファンの日(26日)と続きますが、私は仕事でクルシミマス






くりきん3

2014-12-22 | 旧市街

くりきん1くりきん2に続く最終回。クリスマス市の外側のピンボケ写真です。


1)市庁舎前公園の幾つかの木はデコレーション付き


2)混んでいるクリスマス市を抜け出して・・・


3)・・・振り返って見た市庁舎


4)子供のための定番メリーゴーラウンド


5)子供列車


6)公園は静かです


7)木を登るミニ列車


8)主役の方々

殆ど人がいませんが、教会にもクリッペが展示されているからでしょう

9)飾られた木(カップケーキかな?)


10)中を覗ける小屋の超ピンボケ写真


11)中では動物さんのクリスマス

もちろん皆縫いぐるみです

12)メンドリさんも


13)夜は電球が点くのでしょう


14)2の写真に見える建物の外回廊を通って・・・


15)この停留所から市電で帰ります

降りた停留所から私の住むビルまでほんの数十歩、便利です


みみずボログの以前のクリッペ
西洋寺
後のまツリー
クリッペ


キリストさんの誕生日が一番日照時間の短い時期に「設定」されたのは、照明・暖房技術のなかった時代に冬を乗り切るための「希望の星」という役割もあったのでしょう。アドヴェント(クリスマス前の4週間)に始まり三聖王の日(1月6日)で終わるクリスマス期間に続くカーニバル期間には舞踏会で踊って暖を取り、あるいはパレードで気勢をあげ、四旬節をちょっと我慢すれば、もうイースターで春が来るという「段取り」です。






くりきん2

2014-12-20 | 旧市街

前回の続きで、クリスマス市にズラーッと並んだ屋台のピンボケ写真でございます


1)金銀白のデコレーション


2)小さい縫いぐるみが沢山


3)写真を撮って回ってる人も多いです


4)金色に加えて色とりどり


5)マフラーや手袋など


6)蜂蜜と蜜蝋のロウソク


7)赤と金


8)バウムクーヘンパラチンケン

めったに見ないバウムクーヘン、買ってくればよかった(まだチャンスあり)

パラチンケンはパラチンケの複数形です。
バウムクーヘンは名前もドイツ語だし、ドイツ語圏が本場のはずですが、オーストリアでもドイツでも、まだ見たことなし

9)パン屋さんの中と外側


10)ハート型がいっぱい

まともに見たことないけど多分お菓子

11)絵本の屋台


12)サンタ帽とコスプレ系


13)寄木細工


14)香りのロウソクと香水


15)クリッペ系のフィギュアがいっぱい


16)アクセサリーや小物


17)風船屋さん


18)猫もの屋台ですが・・・


19)・・・絶対欲しいというものはありませんでした


19)テディベアがいっぱい



こういう屋台が、こういう配置で148軒
ですから、ちょっと見ているうちに目がチラチラ、何がなんだか分からなくなります
よほど根性入れて、どの屋台でも腰を落ち着けてじっくり探す決意がないとダメです

屋台のない市庁舎前公園の方は比較的静かです。

・・・というわけで、まだ続く ・・・乞無期待






くりきん1

2014-12-18 | 旧市街

いよいよ押し迫ってきました。キリストさんの誕生日ももうじき

よく「人が少ない」と言われるウィーンですが、時々、ドッと集まってることもあります。


1)ブルク劇場の前に大勢の人

劇場の前と言うより、市電停留所のところ

2)ブルク劇場の脇にも人がいっぱい(横断歩道をわたる人々)


3)・・・と言うのは、ブルク劇場の向かい側が市庁舎で

市庁舎前広場がクリスマス市の会場だからです

4)


Christkindlmarkt(クリストキンドルマルクト→略して「くりきん」)は直訳すれば「幼児キリストの市」ですが、日本語では簡単にクリスマス市

5)

この日は土曜日の午後で天気もまあまあなので人出が多いのです

6)


7)隅っこの焼き栗屋さん


8)寂しいヒトもいます

元ウィーン市長でその後オーストリア大統領のテオドール・ケルナーさん

9)誰でも天使になれるコーナー


10)市庁舎前の様子


11)可愛いワンコさん


12)特にお尻がチャーミング




続くけど ・・・恒例、乞無期待





上からだけ面白い

2014-12-15 | そこらへん

前回のタイトルと合わせて「新中央駅は上からだけ面白い」となります

上から見るための場所へ向かいます。駅のすぐそばです。


1)途中見かけた可愛い家・・・

・・・と思ったのは、工事現場の仮設「ボックス」でした

2)中央駅のギザギザ屋根


3)向こうに見える細い塔が、その「場所」


鉄道(バーン=Bahn)とパノラマを合わせてバーノラマ(Bahnorama)という名称です。

4)この街並みは以前、南駅に面していました


5)波打つ中央駅の屋根


ベルリンの新中央駅がタワー型だから、ウィーンでは平屋にしてみた、というわけでもないと思いますが・・・

6)遥か彼方に行く予定だった軍事史博物館

右のビルはオーストリア国鉄本部

7)ほんのちょっぴりアップ

レンガ色の建物で、馬湿地の砦と似たスタイルです

8)後方にウィーンの森(ウィーンの北山)の稜線が見えます


9)手前には線路がいっぱい


10)展望台のカップル


11)真下を見ると車が玩具みたい


12)金網越しのピンボケ写真


13)駅前広場も玩具みたい


14)「駅見」の人たち


15)向こうに見える明るいところは天気が良いのかな


16)降りてきました(13の写真の駅前広場)



最後にYouTubeで見つけた「実地検証」
地下鉄U1のホームから中央駅ホームまで歩いてみた映像です。





近く、今度こそ本当に、久々の軍事史博物館へ行ってみるつもりです







新中央駅は・・・

2014-12-13 | そこらへん

不本意にも、ご無沙汰してしまいました
10日付けでアップ予定のこの記事を完成する直前、ネット接続がおかしくなりました。
本日(12日)私のコンピ・ドクターが「往診」して復旧
以下は自動保存機能で「救出」されたものです。


12月8日、やっと少し明るい曇天だったので、中央駅に行ってみました
本当は第一次大戦勃発100周年(2014年)のうちに軍事史博物館へ行こうと思ったのですが…
南駅だったところが中央駅になったら、すっかり様変わりして、曇天だったこともあり方角が分からず
寒い中さまようのも嫌なので、駅だけ見て帰ってきました

駅舎とショッピング街は殆ど完成していますが、遠距離列車が発着するようになるのは12月14日のダイヤ改定以降で、国際列車を含む全ての列車が発着するようになるのは2015年12月です。


1)中央駅中央入り口


2)ちょっと近づいたところ


3)入ったところのコンコース


4)


5)外観の一部:なんかパッとしません、空も暗いし…


6)ホームの発車時刻表示


7)ホームはガランとしています

今のところ、まだ国内近距離路線が発着するだけだからです

8)一応列車が発着しています


9)明り取りの天窓


10)向こうのホームもガラン


11)別の明り取り窓


12)駅の説明図


13)ついでにベルリンの新しい中央駅

2013年撮影ですがアップする機会がなかったのです


ベルリン中央駅は、ヨーロッパ最大のタワー型鉄道駅です。タワー型と言うのは、多数の路線が立体交差する駅のことです。
ウィーンの新中央駅も多少立体交差があると思いますが、かなり平らな感じ。


その理由は…次回に続きます  乞無期待





マリア受胎日

2014-12-08 | その他

12月8日はマリアさまの受胎日ということで祝日です
(祝日なのはオーストリアのほかスイス、スペイン、イタリア)

正式には無原罪の御宿りという名称。


ムリーリョの作品


各国Wikipediaを覗いても、スペイン画家の作品が多く紹介されています。


ダヴィンチの絵で名高い受胎告知の日は3月25日(または4月7日)で、その後約8ヵ月目に受胎したことになるのかな?
そしてキリストさんのお誕生日が12月25日というのは、受胎してから生まれるまで17日間という超スピード?それとも翌年の12月25日?

教会の祝日は、何世紀も経て順次制定されていったので、まとめて見渡すと、ちょっと混乱するところもあります。それに東方教会西方教会、カトリックとプロテスタント、その他の諸教会でも色々違います。

1477年にローマで、この記念日(無原罪の御宿り)が制定されて以来、オーストリアでは12月8日となっています。その後、三十年戦争でウィーンが被害を受けなかったことに感謝して、皇帝フェルディナント3世が、マリアさまをオーストリアの守護聖人とし、12月8日が祝日となりました。

12月8日にオーストリアの店舗が閉まっていた頃、とりわけ1989年の東欧開放以来、国境に近くに住むオーストリア人が大挙して隣接諸国に買い物に出掛けるため、国境近くのオーストリアの店舗から「売り上げが減る」という苦情があり、1995年に法規が改定されて、祝日の12月8日にも、オーストリアの店舗が営業してよいことになりました。



      


もう2週間かそれ以上、曇天(実は高所霧が晴れない)が続き、霧雨が降ったりやんだり。アルプス以北のヨーロッパで典型的な晩秋から冬への空模様。
外出にも、外で写真を撮るのにも全然向かない天候です。
でも、また頑張ってピンボケ写真をアップいたします・・・のつもりです






多産管理職

2014-12-05 | その他

前回の腹チャックなしで16人の子供を産んだ女性管理職
それが、マリア=テレジアです。

父のカールVI世に男子後継者がなかったため、マリア=テレジアはハプスブルク家の家長となり、オーストリア女大公、ボヘミア女王、ハンガリー女王その他ゴチャゴチャした肩書きをもっています。名目的にカールVI世の後継者として神聖ローマ皇帝となったのはマリア・テレジアの夫君フランツ=シュテファンでしたが、大帝国を統治する政務はマリア=テレジアのみが行ったので「女帝」と呼ばれています。



1752年頃に画家マルティン・ファン・マイテンスが制作した肖像画


そういう膨大な政務にもかかわらず、彼女は16人の子供を出産しています。
1日中、政務で多忙を極める「管理職」の立場で、彼女が繰り返し出産できたのは、言わば「支援体制」が万全だったからです。子育ては、選ばれた養育係の人々が行い、優れた学者が子供たちの教育に当たりました。つまり女帝は出産するだけでよかったのです。

後継者確保に加えて政略結婚のため、子供は大切な「政治手段」でした。もちろん、今日ほど医学の発達していない当時、最高の医療を受けられる皇帝家の子供でも、中の6人は早世しています。



1754年頃、同じ画家が描いたハプスブルク=ロートリンゲン一家


床に見られる星の模様の中央に立つのが後の皇帝ヨーゼフII世。15人目の子供で末娘のマリア=アントニアはフランス王ルイ16世に嫁ぎ、マリー=アントワネットと呼ばれるようになりました。
政務を執る母ばかりでなく、子供たちも早朝から厳しいカリキュラムをこなし、ダンス、演劇、絵画、歴史、正書法、国家学、数学、幾つかの外国語を学びましたが、夕方からは必ず一家団欒を過ごせるよう時間割が組まれていたそうです。


      


現代の女性の場合も、どんな要職についていても、経済的側面も含めて社会的支援体制が十分整備されていれば、安心して出産できます。
国民がいなくなれば国も消滅するのですから、出産・育児・教育の社会的支援体制は、国家の存続にかかわる重要な事業と言えるでしょう。
別にマリア=テレジアほどの完全体制でなくともいいのです。世界的に見て、社会的支援体制は、まだまだ強化の余地があります。