私の愛読紙NZZ(新チューリヒ新聞)8月15日付には、3ページにわたって日本の戦後70年記事が載りました。
第一面:タイトル「アメリカの膝に座った日本」
ちょっと拡大(画面を明るくするとき色変わりしました)
タイトルの下の2行
日本政府は軍事的制約を除去しようとしている。このため阿部首相は、戦争推進者と非難される。だが現実には、安部路線が安全と安定を生み出す。
中国や韓国の新聞には絶対載らない見出しですね。もちろん本文では、阿部首相の靖国参拝や挑発的発言が批判されています。
しかし戦後日本が、防衛の大きな部分をアメリカに押し付けてきたことも否めない、ということです。
日本国憲法第9条は極めて特殊な存在だが、その内容は既に長らく空洞化されている、とも述べられています。
文化の部25ページ:タイトル「神でなかった神」
写真は1941年10月観兵式の昭和天皇
タイトルの下の1行
1945年、天皇による降伏の証書は、宗教的・思想的理由から2面性のあるものであった。
本文では、アメリカ軍司令部による恣意的な占領政策も指摘されています。
アメリカの占領政策は用心深いものだったと思いますが、既に冷戦が始まった時代の戦略的必要性を加味していたことも確かです。
26ページ:タイトル「日本式歴史検証」
写真は旧日本海軍兵の靖国神社参拝
タイトルの下の行:
70年間の恥、意図的忘却、知識の欠如
本文ではドイツの場合と比較して、
日本では第二次大戦当時の日本の歴史に関する批判的検証が行われていない、としながら、
同時に中国もその点では同様であると指摘しています。
そして
批判的歴史検証の欠如から、多くの日本人は日本を「原爆と空襲の犠牲者」と認識している、とも書かれています。
この記事の筆者は長らく日本特派員だった人で、8月15日には、繰り返し靖国神社に行っているそうです。
敗戦は恥ではありませんが、もし、そう感じる日本人がいるとしたら、悪い意味での武士道の名残りでしょうか?
自国の戦争犯罪を批判的に検証していない一例は
オスマントルコ帝国による第一次大戦中の
アルメニア人大量虐殺です。虐殺はあったと批判しているのが、ノーベル賞受賞作家
オルハン・パムクです。
8月16日のNZZ第一面
天皇さんの異例のお言葉が賞賛され「安部談話」への批判のようだと書かれています。(安部談話の記事は数ページ後に載っています。)
私は平和主義者です、主義などという大げさなものでなく、戦争がない地球を望みます。でも現実主義の目で見れば、戦争のない世界なんてありえないよ、ということになるのではないでしょうか
終戦記念日というのは、はっきり言えば敗戦記念日ですが、私の知る限り、敗戦を記念日にしている国は他にありません。
ドイツやオーストリアなどの国々は、敗戦記念日ではなく、ナチスの独裁体制からの「解放記念日」を祝うのです。
数多くの元
強制収容所(今は記念館)では、連合軍により解放された日に記念式典が行われます。
ちなみに
第一次大戦の場合、停戦協定の結ばれた11月11日、フランスではお祝いしますが、ドイツ、オーストリアでは何もありません。
日本の憲法第9条はまさしく唯一無二、極めて特殊な条項です。実現不可能の理想主義と言えるかもしれません。
もし日本が世界中の国々に、同じ条項をあなたの国の憲法にも付け加えてください、と要請したら、全ての国が「無理です」と断るでしょうね。
つまり、理想と現実の乖離は巨大なのです。でも、理想に向かってコツコツ努力すると、何かが良いほうへ変わっていくかもしれません