みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

クリキン周辺

2016-11-30 | 旧市街

クリキンわんクリキン屋台に続いて、その周辺のピンボケ写真です。
午後3時前なのですが、一番日の短い時期ですから暗いところも多々あり


1)いつもの教会


2)市庁舎の塔


3)公園に入ります


4)クリッペ

主役のはずが案外無視されていたりして・・・

5)屋台の向こうの木々


6)公園の木々


7)場所によっては郊外の林みたい


8)大木も冬木立


9)公園の芝生に配された色々なフィギュア

夜は照明されるようです

10)偽のカラスを訪問?する本物のカラスさん



これらのピンボケ写真を撮ったのは平日の午後なので、比較的すいています。
12月の土日にはラッシュアワーになります。


 今日の蛇足

大震災以降の余震と見られる東北地方の大きな地震は、もちろん、こちらでも報道されました。しかし、この間、イタリアやニュージーランドで大きな地震があり、ヨーロッパの人々も、2011年の東日本大災害の時ほど動転しなかったようです。
11月の東京での大雪についても報道されました。





仔猫危機一髪

2016-11-28 | かりねこ

7月にオーストリアの新聞HPで読んだ記事。
アメリカのどこかで、仔猫が洗濯機に入っているのに気がつかずスイッチオンしてしまった人がいました
その人は洗濯機のコードを抜き、消防署に電話し、駆けつけた救助チームが無事、仔猫ちゃんを助け出しました


そのとき載っていた写真

可愛い仔猫ちゃんですね


もちろん、これはイメージ写真で、事件の現場を撮ったものではありません。

消防署に連絡するなんて大げさなようにも思えますが、完全自動だったら「スイッチを切って蓋を開ける」という簡単なものではないかも知れませんし・・・
とにかく仔猫ちゃんが無事で良かった


これから写真を選んでクリキンの続きを載せる予定ですので宜しく でも乞無期待






クリキン屋台

2016-11-25 | 旧市街

前回の続きです。クリストキンドルマルクト(クリスマス市)の屋台のピンボケ写真を並べます

リンク大通りの内側が旧市街で、外側にある市庁舎は旧市街ではないはずなのですが、重要な公共建築は旧市街に「編入」されています。


1)市電の停留所から見たところ

去年と違うアーチになっています

2)まだ午後3時前なのですが・・・

・・・今の時期は太陽がサッサと退場(もっと北だと出てきてくれない)

3)クリスマス飾りのお店


4)お菓子のお店


5)これもクリスマス飾りのお店


6)蜜蝋のロウソクのお店だったかな・・・


7)バッグ、玩具、小物のお店


8)ロウソクやアロマランプのお店


9)お菓子屋さん


10)クリスマス飾りの光物や人形など


11)市庁舎前の大きなクリスマスツリー


大きなもみの木は毎年各州からウィーンに贈られるのですが、派手な飾りつけはありません。
でも夜になるとランプが灯ってきれいです

ここには151もの屋台が並んでいますが、正直言って品物は似たり寄ったり
人混みの苦手な私は、今回も入れて写真を撮りに行ったのが数回。
今度こそ何か買おうと思ったのですが、結局また何も買いませんでした。


まだ続きます 次は周辺の様子です 乞無期待ね





クリキンわん

2016-11-23 | かりいぬ

外出中、機会があればワンコを撮ることにしています
犬さんには良く出会うのですが、写真の撮れる携帯を持っていない原始人で、カメラも持ち歩くことが少なく、ステキな犬さんも見るだけのことが多いのです

でもお散歩中の犬さんを、とっさに撮るのは難しく、ちょんぎれたりします


この方も・・・


多分ビーグルさんだと思いますが、綺麗な「三毛」さん。猫さんと違って「三毛犬さんは皆女の子」ということは無いようですね。


お座りしてポーズしてくれました


マルチーズ系のミックスみたい。
マルチーズとプードルのミックス、マルチプーさんかも



どこで出会ったかというと・・・

・・・市庁舎前のクリスマス市です

市庁舎前のクリスマス市。
ドイツ語ではクリストキンドルマルクトChristkindlmarkt、略してクリキン
今年は11月12日から始まり12月26日まで。

どうせピンボケばっかりなんですけど・・・
まだ写真を整理していないので、続く・・・でも乞無期待





芸術の秋パン猫

2016-11-21 | かりねこ

大分前、オーストリアの新聞HPで見つけた芸術作品2つ


コスプレ美女

さび猫さんは三毛なので、皆さんレディと最近知りました

パンの色と猫さんのさび色がステキに調和してます


パンに描いたモザイク模様:カナッペ(他にも色々呼び方があるような


野菜と果物(に少しチーズやハム?)で、こんなステキな模様ができるんですね



このボログは、ウィキ記事へのリンクが沢山あることが多いのですが、本日は時間切れでリンク無しです




オマルではない

2016-11-19 | おきにいり

仕事でネット検索中に発見したアヒルさんです



(ウィキ・フリー画像:ルーブルに展示されている考古学的出土品)

可愛いので気に入りました。ウガリットからの出土品で、紀元前13世紀に作られた化粧品入れ。素材はカバの牙です。
ウガリットには行ったことがあります。
写真も色々撮っていますが、探し出すのが面倒なので横着してウィキ写真に頼ります
ヒッタイト特徴的な門が、とても印象的でした。
ウガリットはアルファベット発祥の地とされますが、議論もあるようです。


同じ時代、と言っても紀元前14世紀ごろのアマルナ文書に使われていたのは、このような文字です。



いわゆる楔形文字の一種で、広く言えば、楔形文字がアルファベットの先祖と言えるでしょう。


アヒルさんの容器の時代には、既に手仕事で、これだけの工芸品を創る技術があったこと、そして、これだけの工芸品が流通するだけの富の蓄積があったことは・・・驚くべきことなのか、当たり前のことなのか不思議な複雑な気持ちになります。

当時、楔形文字を読み書きできる人は、それだけで重要な学者であり貴重な専門職だったと思います。支配者は読むことはできたでしょうが、書くのは専ら書記に任せたのでしょう。考古学的出土品に良く「書記の像」があるのも、それだけ重要な役職だったのだと思います。

ウガリットは地中海岸にあり、まだISなどのテロリストによる破壊は及んでいないようですが、これからも長く戦闘が続けば、どうなるか分かりません。シリアは考古学的遺産の宝庫です。一番大切なのは一般シリア人が平和に正常な日常生活を送れるようになることですが、全人類の貴重な遺産も、これ以上破壊されないよう祈るばかりです。



 今日の蛇足

アメリカの次期大統領は、自然保護や環境保護など必要ないという考えで、場合によっては核兵器を実際に使うべきだと言っています。
無知による暴言と思える発言ですが、単なる自己演出の暴言であってほしいと思います

ヨーロッパの重要な博物館や美術館に展示されている多くの出土品は、一体どこまで公正な手続きでヨーロッパに運ばれてきたものかと、いつも考えざるを得ません。知り合いのオーストリア人は、ブリティッシュ・ミュージアム*を「盗品倉庫」と言っていました、他方では、ヨーロッパに運ばれたから保存されているのだという意見もあります。でも、出土した土地が、正常に機能している国家の領土である場合、返却も可能かと思いますが、観光アトラクションが減るので、返さない、ということになるかなぁ・・・

*大英博物館のどこが「大」なのか理解できないので、英語の名称のほうが良いと思います。
昔の国名が大日本帝国だった頃、それに合わせて大英帝国と呼び、その国の博物館だから、ということかも知れませんが、インド帝国その他の植民地が独立した今は大英帝国という呼称もなくなりました。
今の正式国名を日本語にすれば「大ブリテンと北アイルランドの連合王国」ですが、長くて誰も日常的には使いませんね。





秋のおもちゃ

2016-11-17 | かりねこ

四つ足」の秋号に、猫さんのための秋のおもちゃが紹介されていました
ご存知の方、既に実行していらっしゃる方も多いかと思いますが、私には面白かったので勝手にアップ





その1)木の葉の箱
適当量の木の葉を集めます。タイトルも「秋のおもちゃ」なので、枯葉のことだと思います。有毒でなければ、まだ枝についている紅葉や青葉でもいいかもしれません。
カサカサ音を立てる葉のほうが猫さんには面白いでしょうね。
汚れていない乾いた葉を、猫さんが入れる適当な大きさのカートンに入れます。
大抵の猫さんは、この箱に入って葉を掘ったり、葉の下に潜ったりして遊びます。

その2)栗*やどんぐり
散歩の折などに栗やどんぐりを集め、適当な器か箱に入れます。そこに猫さんのカリカリ系おやつを少し入れます。
猫さんにはエキサイティングな「おやつ探し」になります。
栗やどんぐりを床に転がすだけでも、猫さんには楽しい遊びになります。

*ここらへんには人間が食べる栗はなく、馬栗(ロースカスタニエ)と呼ばれる栗が散歩道などに良く落ちています。馬栗という名前ですが、弱毒性で馬が食べるとお腹をこわすそうです。鹿やその他の野生草食動物は腸に無毒化する機能があり、食べても安全だそうです。
秋冬にアルプス以北の都市の街角で売られる焼き栗は、イタリアなど南欧産です。

その3)かぼちゃ
ハロウィンの要領で上部に開口部を作り、中身をくりぬきます。
更に周囲に猫さんの手が入りやすい大きさの穴を開けます。
上の開口部を「蓋」でふさぎ、中に猫さんのカリカリ系おやつを入れます。
これもエキサイティングな「おやつ探し」になります。

猫さんは新しい遊びに挑戦するのが大好きです。
十分な遊びは猫さんの心を満足させ均衡を保ちます。
そして、楽しそうに遊ぶ猫さんの幸せが、私たちを幸せにします。


以上が、上のページにある記事の大まかな内容です(私の感想や補足も混ざっています)。
でも、写真の茶トラ猫さんは、加工しないかぼちゃでも楽しく遊んでいるようです


「四つ足」HP英語版






三帝国の崩壊

2016-11-15 | その他

前回記事の後、重大な歴史的事実を忘れていたのに気付きました



納屋の窓であくびする猫さん(ウィキ・フリー画像)は、以下の記事とは何の関係も有りません。
でも、何にもないと寂しいので、これは本当のカバー・キャットさんです


第一次世界大戦は人類史上の「初物」であり、現代の世界に大きな影を落とす「諸悪の根源」です。それは、産業革命後最初の「工業化された大規模な『多国籍戦争』」であり、戦場となったヨーロッパで多くの人々に強烈な衝撃を与えました。
当時の日本は、ちょこっと連合国側で参戦し、中心的戦場となったフランスの惨状を体験せず「戦勝国」となりました。

第一次世界大戦で崩壊したのはオーストリア・ハンガリー帝国オスマントルコ帝国だけではありません
ロシア帝国も崩壊しました。その広大な領土内に存在した多くの民族は、オーストリア・ハンガリー帝国崩壊の後のように色々な独立国にはならず、ロシア革命によってソヴィエト社会主義共和国連邦という別名のもとで「部分共和国」となりました。漸くソ連崩壊後、それらの「部分共和国」は独立国家となりましたが、今も多くの問題や紛争が継続しています。

ローマ帝国が滅亡した後も、数世紀にわたって混乱が続きました。
3つの帝国が同時に崩壊すれば、その後の事態収拾は極めて難しく長期に及ぶのは当然です。そう見れば、第一次大戦後100年しか経っていない今、世界各地で後遺症の混乱・紛争・戦闘が続いているのは当然かもしれません


 ちょっと蛇足

オーストリアでは、帝国再建運動などありえませんが、今のロシア(プーチン)とトルコ(エルドアン)は、大国復元の野望があるかに見えます。

3帝国崩壊後の夫々の歴史的経過も複雑ですが、これ以上深入りすると「猫っぽい目茶苦茶ボログ」からも脱線するので、これでおしまい






コンピエーニュ

2016-11-13 | その他

もうひとつの11月11日です。

1918年11月11日、フランス北西部コンピエーニュの森で、第一次世界大戦(当時の名称は単に「大戦」)の停戦協定が結ばれました。


停戦協定会談の写真(に着色したもの)


テーブルについている4人の右2人がフランス代表、左2人がイギリス代表、立っている人物がドイツ代表。
人名については、ウィキ:ドイツと連合国の休戦協定(第一次世界大戦)をご覧ください。

これによって戦闘行為は全面的に停止されました。この点だけでは、第二次世界大戦よりシンプルでした。
毎年11月11日は、ウィーンのフランス大使館にも国旗が掲げられます。フランスとベルギーでは祝日です。
アメリカでも11月11日は復員軍人の日となっています。

追記:オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・ヨーゼフ皇帝がセルビアに宣戦布告したのが第一次大戦の始まりなのに、コンピエーニュの森にオーストリアの代表がいないのは何故かを書き忘れました。オーストリアは既に11月3日にヴィラ・ジュスティ停戦協定を結んでいたのです。


コブレンツのライン川を渡って引き上げるドイツ軍兵士


この時期、ドイツ帝国最後の皇帝は退位亡命し政府は崩壊状態で、ヒンデンブルクからの指示で、ドイツ側は何としても停戦協定を成立させねばならない状況にありました。このため無条件降伏に近い悪条件を受け入れた主席全権は後に右翼テロリストに暗殺されました。

冷戦という厚いカバーが崩壊した後噴出してきた数々の紛争や問題は、第一次大戦の戦後処理に起因しています。当時フランスとイギリス(の政治的首脳部)が最も恐れていたのは、大戦(つまり第一次大戦)の後には、最終的覇権をめぐる英仏間の戦争が始まるという危惧でした。これを回避するためのしわ寄せが専らドイツに押し付けられました。オスマントルコ帝国崩壊とオーストリア・ハンガリー帝国崩壊の事後処理にも多くの問題が有りました。従って、この時点で既に第二次大戦への長い導火線が敷かれ、点火されていたと言えるでしょう。

もうひとつのドイツ語圏における問題がDolchstosslegende(背後の一突き)と呼ばれるデマ宣伝の蔓延です。

その内容を端的に表した1919年のオーストリアの絵葉書


つまり、ドイツ軍は負けるはずがなかったのだが、後方の臆病者(反戦運動を行った平和主義者)やユダヤ人の陰謀によって敗戦に追い込まれたという根拠の無い主張です。

しかし、漸く市民としての正当な地位を獲得しながら、反ユダヤ主義の台頭に直面したドイツ帝国とオーストリア・ハンガリー帝国のユダヤ人にとって、この戦争は祖国への忠誠を証明し完全な市民として受け入れられるための貴重なチャンスでした。とりわけオーストリアの場合、王朝内の様々な民族が独立を目指している中で、皇帝に対する忠誠心が最も強かったのはユダヤ人でした。

ついでながら、根拠の無いデマも社会の状況次第で急速に広まります。
ゲッペルスは「ウソも100回言えば本当になる」と言っています。

2014年は第一次大戦勃発100周年でしたが、100周年は今も続いています。100年前の1916年は、まだ、どちらが勝つかわからない戦況でした。
しかし、大戦勃発時には、連合国側も中央同盟国側も、数ヵ月で勝負がつくと予測し、いずれの側も勝利を確信していたようです。






鵞鳥の受難日

2016-11-11 | その他

11月11日は聖マルティヌスの記念日です。聖人の日というのは、休日にならない場合も何かお祝いがあったりしますね。(写真はウィキ・フリー画像)


子供たちも家々を回ってお菓子をもらったりします。




一番大切なのはガチョウ料理を食べる日だということです。私も食べたことがあります。美味しいです。



この時期は、どんどん日が短くなり寒くなるので、色々「景気付け」が必要なのでしょう。なまはげに似たクランプスも、この季節の風物詩です。
キリスト教普及後は、その頂点がクリスマスとなりました。しかし、今回はガチョウのお話です。


聖マルティヌスは古代ローマ帝国パンノニア(今のハンガリー西部とオーストリアのブルゲンラント州)で生まれ、ローマ軍の軍人でした。この軍人時代に、名高い「マントを半分こ」の伝説があります。ある日、道端で震える乞食を見て、マルティヌスは自分のマントを切り、半分を乞食に与えたというものです。この場面も多くの画家が描いていますが、最も著名なもののひとつはエル・グレコの作品でしょう。




マルティヌスは後にキリスト教徒となり更に聖職者になりました。トゥールの司教になることを依頼され、これを避けるためガチョウの小屋に隠れたところ、ガチョウが騒いだため探しに来た人々に見つかり、司教に就任せざるを得ませんでした。このため、聖マルティヌスの名の日(11月11日)には「罰」としてガチョウ料理を食べるようになったという言い伝えがあります。
しかし、これはガチョウを食べるための口実に過ぎないでしょう。そんな事実があったかどうかも疑わしいものです。
もし、聖マルティヌスが本当にガチョウ小屋に侵入したとすれば、ガチョウが驚いて騒ぐのは当然で、むしろ彼らが被害者です。怪しい人物に侵入された上、料理されて食べられてしまうというのは、ガチョウさんにとって二重の受難日ですね


一列縦隊で歩くことをドイツ語で「ガチョウの行進(ゲンゼマルシュ)」と言います。古代ローマで軍鳥に使われた勇猛な鳥さんですが、ヨチヨチ歩く姿は愛らしいですね




トゥールのマルティヌス
聖マルティヌスの日


11月11日は農家にとっても節目の日付です。加えて、オーストリアのホイリゲ規定では、その年収穫したブドウの新酒を11月11日から販売することが許可されており、翌年の11月10日までが「新酒」なのですが、翌年の大晦日までホイリゲ(当年酒)と呼ぶことが許容されています。この期限を過ぎると「古酒」になります。