みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

エヴェレスト×7

2020-08-31 | その他

いつものHPに、人類史上最大最強の水素爆弾実験の記事が載りました。


その時のキノコ雲:1961年10月30日のことです



当時は冷戦真っ最中で、アメリカとソ連が競って、より強い核兵器の開発を急いでいました。

無知な私は知らなかったのでビックリ

この水爆の正式名称はRDS-220で爆発力50メガトン、TNT火薬5000万トン相当、広島に投下されたリトルボーイの4000倍という途方もない規模の爆弾です。
投下した飛行機が危険区域を脱出するため爆弾には落下速度を遅くするための落下傘がつけられていましたが、それでも投下機の生き残れる確率は50パーセントとされたようです。投下した飛行機も犠牲になるかもしれない核爆弾というのは、脅しの手段にはなっても実用的ではありません。
このときの投下機は爆風で一挙に1000メートル高度を失ったそうですが、それでも無事帰還しました。爆発のキノコ雲はエヴェレスト山の7倍まで上昇しました。
地上4キロメートルの地点で爆発したにも関わらず、全世界でマグニチュード5の地震が観測され、ノルウェーやフィンランドでもガラス窓の振動が見られたということです。

アメリカが、更に強い水素爆弾を作ろうとしたようですが、結局、この頃から冷戦の戦略が変わり、単体での巨大爆弾ではなく、核弾頭ロケットで同時に複数の目的を攻撃することが中心課題となりました。以降、破壊力が強すぎる巨大核爆弾は作られなくなりました。

この爆弾の通称はツァーリ・ボンバで、日本語Wikiにもありました。
HPの記事と日本語Wikiで数値の違いがあるようですが、利用した資料の違いによるのでしょう。

この誇大妄想的爆弾の実験を紹介した当時のプロパガンダ映画が公開されました。
この記事にリンクがあります。



      


Covid-19パンデミックは、まだまだ続行中
従って色とりどりのファッショナブルな布製マスクが色々な店舗で売られています。日本もそうですね。
使い捨てマスク専門だったスーパーにも布製が登場、博物館のショップでもマスクを売っています。






こんなマスクは可愛いですが、やっぱり子供用ですね





猫さんの口元マスクは応用美術館で売っていましたが、やめておきました







シーボルトの遺産

2020-08-28 | その他

シーボルトと言えばシーボルト事件、そして娘のイネさんが日本女性として初めて医者(「女医」なんて言葉は、もう廃止すべきでしょう)となったことは日本ではよく知られています。

が、ここでのシーボルトは息子ハインリヒのほうです(帰国後に結婚したシーボルトの2人の息子の次男)。

父と同様、日本の美術工芸品を収集し、そのコレクションをフランツ・ヨーゼフI世に献上。これによってオーストリア・ハンガリー帝国の男爵位を授けられています。


その貴重なコレクションを紹介する特別展が2月から始まっていたのですが、途中からCovid-19パンデミックのため休館となり6月に再オープン。
8月11日までということで、私は8月初頭に行ってきました。
いつもはフラッシュ無しで撮影可なのに、何故か特別展は撮影禁止でした


無料のパンフレット




展示品の写真が撮れなかったので、ワールドミュージアムの外観だけ



蛇足ながら手前左に見えるのはホーフブルク外門と呼ばれている門で、対ナポレオン勝利を記念したものだとか…

この門についてはドイツ語Wikiしかありませんが写真は色々見られます



特別展と主な展示品についてはワールドミュージアムの英語HPをどうぞ





亭主を蚤の市で売った女

2020-08-25 | おきにいり




キンドル中毒継続中です。
以前にも紹介したラフィク・シャミの本は多数キンドル化されています。

その中から奇抜なタイトルを選びました。キンドルでは鑑賞できませんが、紙本の表紙もきれいです。
スークあるいはバザールの布のお店に重ねられている色とりどりの布を思い出します。

ものすごく皮肉な内容かと思ったら、貧しい夫婦が他に売るものがないので、馬が扱える夫を馬丁として売り、涙の別れをするという悲しい物語でした。著者が子供の頃、父に連れられてスークを歩いているとき本当に目撃した出来事のようです。
タイトルの物語のほか幾つかの短編と、口述伝承の重要性を語る講演(ドン・キホーテ、サンチョ・パンサも出てきて非常に面白い)が収録されています。

生涯いつも聖書を読んでいた祖父が亡くなったとき、棺に祖父の眼鏡を入れなきゃ、と思っていたのに、それを果たせず、その後、祖母が亡くなる前に「この眼鏡を届けてね」と眼鏡を渡す話は「祖父の眼鏡」という短編です。
某猫学文献のポ子さんとトメちゃの話を思い出しました

既に読んだ「片手いっぱいの星」では、安物の靴下の中に型崩れ防止用に入れる紙に政府批判の記事を書いて売る「靴下新聞」の話が出てきますが、ラフィク・シャミ自身、学生時代に壁新聞を作り発禁処分になっています。
この本で印象的だったのは次の言葉です。

恐怖を抱く者は毎日死ぬ。恐怖を抱かない者は、ただ一度だけ死ぬ。

グアテマラの人権活動家リゴベルタ・メンチュの言葉を思い出します。
いつも脅迫されている彼女に取材者が「怖くないですか」と尋ねたのに対し「人間誰でも死ぬのは1度だけです」と答えていました。






上書き保存

2020-08-22 | 旧市街

前回パッサロヴィッツ条約で思い出したのが、目立たない小さな騎馬像。





旧市街の一角にああります
一見、オスマントルコの騎兵かと思いますが、そうではありません。

何しろ1529年の第一次ウィーン包囲から1683年の第二次ウィーン包囲まで、オーストリア(当時は神聖ローマ帝国の一部)とオスマントルコ帝国は隣接しており、繰り返し軍事衝突があったので、反射的にオスマントルコ兵だと思うのも当然

この騎馬像がある極めて短い通りはハイデンシュス(Heidenschuss直訳すると「異教徒が撃つ」)という名前ですが、この異教徒はトルコ人ではなくサラセン人で、弓矢を持っていたそうです。オスマントルコの第一次ウィーン包囲以前から存在していた騎馬像ですが、1701年の古文書には「ハイデンシュス、つまり騎馬のトルコ人がいるところ」となり、1851/52年の改築に際してシャムシールを振り上げたトルコ人に変更されたそうです。
実は私も「ああトルコ人だな」と通り過ぎていまして、改めてネット検索で初めて真相を知った次第

これは歴史における一種の「上書き保存」ですね





ギリシャ小路

2020-08-19 | 旧市街

これまで何回かピンボケ写真で登場したギリシャ小路(グリーヒェンガッセ)

これもWiki画像で再度ご覧いただきます。






この小路がギリシャ小路と名付けられたのは1862年のことですが、それは、1718年のパッサロヴィッツ条約以降この界隈にギリシャ人が多く住み着いたからです。

舞台装置か映画のセットのような風情があり、とりわけ夜はロマンチックな雰囲気が漂います。


いくつかあるボログ記事の一つ:ギリシャ小路


旧市街の狭い裏通りや抜け道には「時代物」の情緒が漂います。ヴェネチアでもダマスカスでも細い裏通りを歩くのが大好きでした。
旅行者でも、こういう細道を安心して歩けるのは良い街です。
友達がスペインに旅行したときの話。どの町だったか忘れましたが、旅行者の好奇心で細い裏道をどんどん歩いていくと、後ろから女性が何か怒鳴りました。友達はフランス人並みにフランス語を話しますが、スペイン語は分かりません。しかし同行者がスペイン語の分かる人で「命が惜しかったら、その先に行くんじゃないよ」と言われたそうな。本当に危険なのか、単に大げさに言っただけなのか分かりませんが、とにかく2人は慌てて引き返したそうです。

ウィーン旧市街の細道は、どこでも安心して歩けます。但し、旅行者は道に迷う恐れがあります。
私も住み始めて数年は、よく旧市街で迷子になりました。まあ、闇雲に歩いていけば、必ずどこかに出ます(当たり前)

小路マニア用スポットのひとつが血の小路です






賽の河原の仔猫

2020-08-16 | かりねこ

今もキンドル中毒が続いていて他にもちょっと用事があり…







日本では普通に暑いようですね。
ここらへんも普通に暑いです…が昔は夏でも25度くらいが普通で、30度になると猛暑だったものです。
それが今では30度くらい普通で… 
全世界の氷河がどんどん後退、永久凍土もどんどん溶けているとか


何年も前にネット検索中発見した涼しげな猫さん写真をアップしてみました
小石が積んであるので賽の河原っぽいですが、この写真は爽やかで明るい感じだと思います。海岸かも知れませんね。
猫さんも少年か少女くらいのお年頃みたい



      


今キンドルで読んでいるのはジョゼフ・コンラッドの「Heart of Darkness」です。昔から気になっていた作品ですが、いかにも暗そうなタイトルなのと、以前手にした本の活字が小さかったので、長らく棚上げになっていました。キンドルが読みやすいので遂に着手(大げさ)。
無造作に直訳すると「心の闇」とか「闇の心」になりますが、翻訳題名の「闇の奥」は正確で良い訳ですね。「闇の心臓部」「闇の深奥」と解釈できます。
でも、やっぱり怖い内容です。植民地主義人種差別はいまだに根強く残っています。

Sars-CoV-2によるCovid-19も怖いけど、植民地主義や人種差別など「社会の闇」も怖いですね





血の小路再び

2020-08-12 | 旧市街
もう随分前に紹介したことのある旧市街の細い短い小路。当時の記事

久々に改めてウィキ写真でご覧ください。




屠畜場かテンプル騎士団か、いずれも歴史的根拠はないようで、こういうのを都市伝説というのですかね

本を探して旧市街の本屋をハシゴした頃は、この小路も良く通ったものですが、今や本探しは完全にネット検索となりました。



      


Sars-CoV-2のKovid-19パンデミックは依然として継続中です。
スーパーのレジや医院や薬局に、あっという間(3月半ばから4月初頭)にプレキシガラスの隔壁が普及し、今も色々なお店でカラフルなマスクが売られています。
スーパーでは使い捨てマスク20枚とか30枚パックの安売りをしています。


いつものHPに「マスクしていてもニッコリ笑えます」と下の写真が紹介されていました。




一瞬、笑う口をプリントしたマスクかと思いましたが、口のところが透明なマスク

全然ステキじゃないし、「きもかわ」でもなく単に「キモイ」ですね



前回紹介したラフィク・シャミのミステリー小説、面白くて中断できず一気に読み終わりました。

マフィアの問題を抱えるイタリアと独裁政権の秘密警察が暗躍するシリアは、確かに共通点があります。
それでも両方とも私の大好きな国です。糸杉が至る所に立っているのも共通点です。
色々意外な展開がありますが、最後は独裁国家らしく終わります(つまり刑事が追い詰めた犯人は無罪となります)。そのうち日本語訳も出るかもしれません。

キンドル中毒はまだ続きそうです





アラビア語コース終了

2020-08-09 | おきにいり

アラビア語はちっとも進歩しませんが、いまだに面白くて飽きません
今年は3月半ばからのCovid-19シャットダウンで2カ月コースが無かったので、いつもは6月で終わるコースが7月末まで延長され7月25日に終了式がありました。
10窓になってから、まだ色々不明点も多く、ピンボケ写真の修整をしていないので、本当にピンボケのままです

会場はアフリカ・アジア研究所(AAI)にあるカフェです。
皆マスクをしていませんが、通りに面した大きなガラス窓やドアが開放されており、準屋外だからだと思います。


主催者の挨拶


後ろの壁の世界地図、よくあるヨーロッパ中心の世界地図と違い、太平洋が真ん中にあります。
ヨーロッパ中心主義だと日本は「極東」にあると言われますが、この地図だと極東は南北アメリカ大陸です。












      


相変わらずキンドル中毒が続いています。更新が1日遅れたのも、そのせいです
今読んでいるのは下の本です。





私の大好きな作家ラフィク・シャミ初のミステリ小説です。

「枢機卿の秘密のミッション」というタイトルで、バチカンの枢機卿がシリアで殺され、シリアのキリスト教徒のバルーディ刑事が、ローマから派遣されたマンチーニ刑事とともに犯人(あるいは犯罪組織)を追求する物語です。
中心人物の刑事さんも紋切型ではなく、独裁政権の秘密警察に加え、キリスト教もカトリックばかりでなくシリア正教その他色々、イスラム教もスンニ派、シーア派、アラウィー派など、それにイスラム原理主義のテロリストやイタリアのマフィア等々、複雑な要素が絡んで、面白いです。まだ前半を読んでいるところなので、何とか我慢して中断し、これを書き終わったらドーッと読む予定です

ラフィク・シャミの日本語訳、色々出ているんですね
どの本も面白いのでお勧めです。特に「夜の語り部」は傑作だと思いますが、ひょっとして絶版
ラフィク・シャミの本は、どれでも面白いです。
ペンネームのラフィクは「同伴者」「友」などの意味があり、「シャミ」はダマスカス(あるいはダマスカスを中心とする地域)を意味します。
ダマスカスの同伴者(あるいは友)という意味ですね。
本に出てくるのは行ったことのある土地だったり、知っている歴史的な人名なども多く、イメージが彷彿として懐かしくなります。
それだけに、終わらない内戦は悲しいです




市電ターミナル

2020-08-02 | そこらへん

このボログに繰り返し登場しているショッテントアの市電ターミナルですが、おんぼろデジカメのピンボケ写真ばかり
そこでドイツ語Wikiの写真で「正しい姿」を紹介いたします






地上・地下と2段式?で、合計10の市電路線が運行しています。中央にある楕円形の空き地は、小動物の生活空間として意図的に自然状態にしてあります。
右端にエフルッシ宮殿が見えます。





別の角度から見たターミナル。地下部分の左奥に更に下へ降りる階段があり地下鉄U2のホームがあります。改札口というものはありません。
旧市街を囲む環状道路(りんく)を走る2路線、地上から郊外へ向かう2路線、地下を始点とする6路線、地下鉄U2、バス路線・・・と文字通り交通の要衝です。

英語Wikiに地下鉄ショッテントアの記事があります。


ショッテントアは直訳すれば「スコットランド門」で、旧市街が城壁に囲まれていた当時、ここに、その門があったのです。
なぜスコットランド門かというと、近くにスコットランド人修道僧が12世紀に建てた修道院と教会があるからです。


城壁と城門があった時代の風景が近くのギムナジウムで見られます。
このギムナジウムは出発点で数日私が通ったギムナジウムです。たった2~3日だったので、このレリーフには気が付きませんでした。





みみずボログのショッテントア・ピンボケ写真
八重の頃
帰路
街角で
花便り