フランツ・ヨーゼフ皇帝没後100周年の
特別展のひとつを6月に見て以来、やっと主要会場に行ってきました。
ゴタゴタ期だったり、あまり早く行くと混むだろうという予想から今まで待っていたわけです
でも、宮廷家具博物館の場合と同じに撮影禁止でしたので、写真は外側だけです
乗り換え無し市電停留所を降りるとすぐシェーンブルン宮殿
宮殿正門
鋳鉄の門
宮殿中央部
左の棟に入り口があります
屋台が並んでいるかに見えるのは庭園を回るミニ列車
展示会場はベルグルの部屋と呼ばれる一連の部屋で、暗くしてあるので、普通のカメラでは良い写真にならないでしょう。
皇帝の生涯を偲ぶのに相応しい良い展示だったと思います。
ベルグルの部屋は画家のベルグルが壁と天井いっぱいにエキゾチックな風景画を描き、まるで屋外にいるような空間を生み出しています。
画家を紹介する
ドイツ語ウィキの記事にシェーンブルンの絵の一部が紹介されています。
暗くしてあるので、天井に広がる葉の生い茂った枝が本物に見えました。
展示は写せないので早くも帰り道。2時間じっくり展覧会を見たので、庭園まで行くのは諦めました
(庭園に到達するまでも長い道程なのです。昔の偉い人は馬車や騎馬で移動
)
宮殿近くのウィーン川
市電停留所近くの小公園
展示の写真がない代わりに
コロマン・モーザーのデザインした絵葉書
この絵葉書は皇帝の治世60周年を記念する一連のイベントや企画のひとつだったものです。モーザーが亡くなってから80年以上経つので、著作権はなくなっています。左にシェーンブルン宮殿正門、右にホーフブルク王宮の正門が描かれています。
フランツ・ヨーゼフ皇帝は非常に保守的な人で、生涯、電話も自動車も利用しませんでした。しかし、それは、息子を皇帝にしようと考えていた
ゾフィー女大公の方針で、徹底的な保守教育が行われたからで、フランツ・ヨーゼフは敬虔なカトリック教徒として、神と
王権神授説を深く信じていました。
ハイネに傾倒していた
妻とは、全くフィーリングが違っていて、一目惚れ以来終生妻を愛し続けたとはいえ、全然話題が合わなかったのも当然です。
しかし、生真面目・実直な人物で、皇帝の立場を「帝国の筆頭官吏」と考え、生涯勤勉に責務を果たし続けました。
多民族帝国で唯一、統一の要だった人物が世を去ってまもなく
帝国も崩壊しました。皇帝も既に帝国の終焉を予想していたことでしょう。
フランツ・ヨーゼフは即位直後に暗殺未遂を体験したほか、
弟、
息子、妻、
後継者が次々と非業の死を遂げたばかりでなく、その他の親族も数人、不慮の死を遂げています。このため、今でも同情する人が多いのです。私も、そのひとりです。公私両面で打ち続く不幸を生涯黙々と耐えたのはすごいと思います。
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↑ルドルフ皇太子が鳥類学者であったことも書きました。
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↑フランツ・ヨーゼフ皇帝に対する私の考え方も、娘のマリー・ヴァレリーと同じように変化してきました。