みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

猫かき

2014-07-29 | かりねこ

またまたご無沙汰しております が、今回は立秋前に急いで…


暑中お見舞い申し上げます


このごろは異常高温と異常低温が交互で現れたりすることもある非行天候ですが
猛暑ニモ冷夏ニモマケズ、元気でお過ごしください


ネットから拾ってきた泳ぐ猫さん


焦ってもがいている、という感じではなく、気持ち良く泳いでいるように見えます
犬さんには泳ぐのが大好きという方々も多いのですが、猫さんは、それほどカッパではないようですね。でも、泳ぐのが好きな少数派猫さんもいるのかも…


YouTubeにも泳いでいる猫さん動画が色々ありました。これは、お風呂で泳ぐ黒猫さん



これなら、おぼれる心配もなさそうだし、飽きたら出られるし(出してもらえるし)、泳ぎ好き猫さんにはいいですね




 今日の蛇足

14の呪縛は今年いっぱい続きます

サラエボ事件に続いて、ドイツ皇帝のバックアップ(けしかけ)を得たオーストリア(当時はオーストリア・ハンガリー帝国)は1914年7月23日、セルビアに最後通牒をつきつけ、7月28日、フランツ・ヨーゼフ皇帝は宣戦布告に署名。7月29日(100年前の今日)未明から戦闘が始まりました。この特別記事も28日のNZZ(新チューリヒ新聞)に載りました。NZZはスイスの新聞ですが、広くヨーロッパ中に読者があるので、ヨーロッパ規模の歴史的出来事は、いつでも大きく取り上げられます。日本に関する記事も多いです。
オーストリアのラジオでも、第一次大戦勃発100周年シリーズ番組が続いています。ヨーロッパ各国とも同様だと思います。



      


まだ暫くゴタゴタします。まばら更新ですが、たまーに覗いてやってくださいませ。
でも…乞無期待







70年前

2014-07-20 | その他

ご無沙汰ですみません

14の呪縛のせいか、このところ数字が多くて、重ねてすみません



70年前の1944年7月20日、戦争を早く終結させるためドイツ軍将校グループの計画したヒトラー暗殺計画が失敗に終わり、暗殺計画に参加した多くの人々が処刑されました。

現在のドイツで、彼らは、ドイツを救おうとした英雄として高く評価されています。
毎年、7月20日頃には、必ず新聞にも記念記事が載ります。7月18日付けNZZ(新チューリヒ新聞)にも1ページの大きな記念記事が載りましたが省略。


2007年のドイツの記念切手


上の人物は、総統大本営に時限爆弾を仕掛けたクラウス・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク(1944年7月21日銃殺)
下は、独自に反ナチ・反ヒトラーの抵抗運動を続けて処刑されたヘルムート・ジェームズ・グラーフ・フォン・モルトケ(1945年1月23日処刑)

偶然にも2人が同年の生まれだったため、反ナチ・反ヒトラーの抵抗運動中心人物の生誕100周年として発行された切手です。

2人のレジスタンスは違う場所で、違うコンセプトによって行われましたが、いずれも、多くの賛同者・協力者が命の危険を冒して参加していました。そうした人々の日記や書簡も色々出版されています。私も書簡集を持っていて、以前ドイツの友達に見せたところ、彼女が開口一番言ったのは

ドイツの名誉を救った人たちだわ!


日本語ウィキにはシュタウフェンベルクに関する詳しい記事があります。その中に書かれておらず、ドイツ語ウィキで言及されているのは、毎年7月20日にドイツ連邦政府とドイツ連邦軍で記念セレモニーが行われることです。

7月20日の暗殺計画グループはドイツ軍将校(つまり貴族の家系)が中心だったため、総司令官に対する忠誠とか色々な伝統的道徳観に縛られて、戦争末期になって漸く反ヒトラーの行動に移ったなど、その「鈍重さ」を批判され、実際、暗殺計画が失敗に終わったため単に多くの犠牲者(処刑者)を出しただけでしたが、確かに実現したことがあったのです。

それが「ドイツの名誉を救った」ことでした。


2008年の映画映画「ワルキューレ」は日本でも公開されています。
YouTubeに映画の予告編や色々なシーンがアップされていると思います。

私が持っている書簡集の手紙を書いた人物:ヘルムート・シュティーフ

シュタウフェンベルクのグループには、オーストリア(ナチス・ドイツに併合されていた時代はオストマルク)の軍人や反ナチ運動家も参加していました。

ほかにも色々あった反ナチ運動グループの一例が白いバラです。


      


まだゴタっていますので、まばら更新です
たまーに覗いてやってくださいませ。もちろん、恒例、乞無期待







ブルクの巨星

2014-07-15 | おきにいり

ネットから拾ってきたドイツ国旗を飾った猫さん



でも、サッカー・ワールドカップのことではありません。

私の敬愛するブルク劇場の大スター(巨星)ゲルト・フォスが72才で急逝しました。
この30年、ブルク劇場の最も重要な俳優として活躍、演劇関係者も、今後はブルク劇場の総監督とか、そういった役割を期待していたところでした。
舞台俳優の常として、ドイツ語圏以外の国での登場はめったにないので、ウィキの記事としてはドイツ語しかありませんが、日本でも公演したことがあるようです。
ドイツ人の父親が貿易商だったため1941年上海生まれ、第二次大戦後ドイツへ戻り(このときの世界一周に近い航海は、いわゆる「原体験」だったらしい)、ドイツの主要な劇場とウィーンのブルク劇場やアカデミー劇場に出演、2014年の7月13日、ウィーンで亡くなりました。

私が直接舞台を観たのはシェークスピアの「マクベス」「ベニスの商人」「リア王」、トーマス・ベルンハルトの「リッター、デーネ、フォス」「エリザベスII世」、ジョージ・ターボリの「ゴールドベルク・バリエーション」、マーロウの「マルタ島のユダヤ人」などなど、すぐに全部は思い出せません。
ターボリについてはドイツ語以外の記事はすぐ見つからないので省略します(もし、後日なにか発見したら紹介するかもしれません)。

どの舞台も素晴らしかったのですが、特に強烈だったのはマーロウの「マルタ島のユダヤ人」でした。
たいへん反ユダヤ主義の明白なストーリーですが、それを上演できるのは、反ユダヤ主義に対する批判、ナチスのユダヤ人大量虐殺などへの批判的検証が定着していることを意味します。主人公のユダヤ人は、自分の娘も平気で殺す強欲な人間で、金儲けのために数々の陰謀をめぐらしますが、最後は、敵を殺そうとして用意した熱湯の中に自分が落とされて死ぬという幕切れです。
(だからと言って、ヨーロッパの反ユダヤ主義が完全に克服されたわけではありません。)


下はYouTubeで見つけたフォス主演のリア王。黒澤明の「乱」が良く似たストーリーでした。ヨーロッパでは「リア王の翻案」と言われますが、私が読んだところでは、黒澤明が「毛利元就の3人の息子は力を合わせて毛利家を守ったが、もし3人が争ったらどうなるかと考えているうち、リア王そっくりの物語になった」ということです。

父に一番正直・誠実だった末娘コーディリアの死を悲しみつつ自分も息を引き取る最後の場面




トーマス・ベルンハルトの「リッター、デーネ、フォス」は、初演の主演俳優の名を、そのままタイトルにしたもので、それだけ3人が卓越した俳優であることを意味しています。フォスはルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン、デーネは姉、リッターは妹で、3人の日常生活の場面だけで幕開けから終幕まで笑わせる、見事に皮肉で知的な戯曲です。

このYouTubeはルードヴィヒが怒鳴り散らして姉と妹を呆れさせる場面(笑ってください)




「リッター、デーネ、フォス」で最も印象的だったのは、リッター(ヴィトゲンシュタインの妹)がしゃべる幕切れの最後のセリフ・・・
「雨にたたられて、ベッドで過ごす土曜の午後ほどステキなものはないわ。」


ゲルト・フォスのインタビュー記事など大切に保存しています。もう、あの舞台が見られないと思うと残念です。



ブルク劇場については、みみずボログに何回かアップしていますが省略
Wikipedia:Gert Voss(ドイツ語ですが、素顔の写真あり)



      


まだゴタっております。まばら更新が続きますので、たまーに覗いてやってくださいませ。
でも、えーと、乞無期待









こゝろ100年

2014-07-07 | その他

偶然なのですが、このごろ数字が多くてすみません


7月5日付けNZZ(新チューリヒ新聞)に夏目漱石に関する記事が載りました。


タイトルは無理に訳せば「100年の三角関係」


漱石の「こゝろ」執筆・刊行から今年が100周年という記事です。単なる偶然の一致ですが第一次世界大戦勃発の年。
ドイツ語タイトルの「Dreisamkeit」は孤独を意味する「Einsamkaitアインザムカイト」のもじりで、原語には「一人きり」というニュアンスがあります。
「Dreisamkeitドライザムカイト」だと「三人きり」とも受け取れますが、三角関係ではありません。「三人の孤独」とも解釈できます。
(ドイツ語の三角関係はDreiecksbeziehungドライエックスベツィーウンク)
ガルシア・マルケスの小説タイトル「100年の孤独」の引喩でもあるのでしょう。


新聞記事の要点
夏目漱石の「こゝろ」は20世紀日本文学の金字塔である。この作品は1914年の4月から8月まで、連載小説として朝日新聞に掲載され、その後、刊行された。新聞の連載小説は日本では一般的で、今日に至るまで著名な作家が新聞小説を手がけている。
執筆・刊行100周年を記念して朝日新聞には、数々の解説記事や年賦とともにオリジナル印刷が掲載された。
プロットは三角関係で、急激に変化する社会の中で、友情と愛情の間を葛藤する個人の物語である。語り手の学生が夏休みに鎌倉で、ある人物(語り手が先生と呼ぶ)と知り合い、東京へ帰ってからも交流が続く。やがて故郷へ戻った学生のところへ先生からの手紙が届き、真相が明かされる…(ストーリー紹介略)…これは単に個人的な心境の吐露ではなく、日本が急速な近代化を体験した明治という過ぎ去った時代の心情を、後世に伝えるものである。最後の手紙の後、先生も自殺する…
夏目漱石は明治維新の前年1867年に生まれ、封建国家から近代国家へ急激に変化する時代を体現する代表的な作家である。日本古典ばかりでなく、中国古典にも精通し、優れた思想家、文学評論家でもあった。
漱石の作品は今日、学校での教材・必読図書となっている…
ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎は「こゝろ」について、「個人の感情が民族国家の大勢に従属していった時代のドキュメント」と述べ、現在も再び同じ国粋主義的傾向が見られると警告している…



幾つかの漱石作品は英語のほか、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語などに訳されています。ウィキで拾った表紙3点

ひと目でわかる「我輩」



「こゝろ」の表紙



とてもステキな「野分」の表紙




      


私も中学生の頃、クラスの文学少女と競って漱石を読みました。今考えてみると「読むために読んだ」ようで、再び読んだ場合「おきにいり」になるかどうか分からないので、カテゴリーは「その他」になっています
「我輩」で今でも記憶しているのは、くしゃみ先生の子供たち「とんこ、すんこ、ぼうば」だけ


えーと、これから又ゴタゴタしますので、又々まばら更新となります
たまーに、チラッと覗いてやってくださいませ もちろん乞無期待







スルメ150年

2014-07-05 | 旧市街

日曜の庭園庭園の住民の続き(これで、おしまい)

今回テーマの前に市民庭園の「木陰からぴんぼけショット」を少し


1)中央花壇の両側に並木が続き、木陰にもベンチが沢山


2)


3)


4)踊っているように見える枝ぶり


5)



リンク大通りに戻りまして、ここからが今回のテーマです。

6)リンク大通りの市電停留所


7)国会議事堂前を行く旅行者用路線バス

このバスは名所ごとに止まるので、マイペース観光したい旅行者向き

この「ホップオン・ホップオフ」バスには数路線あり、24時間チケットと48時間チケットがあります。


このリンク大通りは、来年、開通から150周年を迎えます。この大通りが完成する前、同じ場所には、旧市街を囲む城壁(防壁)外側のグラーシ(斜堤)がありました。城壁外側の斜堤は、オスマントルコ軍の第一次ウィーン攻囲(1529)の後から三十年戦争(1618~1648)期間中に構築拡大されたのですが、19世紀後半、城壁外での市街地の急成長に伴い、城壁と斜堤が邪魔になりました。1857年、皇帝の「勅令」により工事が開始され、1865年5月1日、皇帝により「開通」が宣言されました。
但し、城壁および斜堤の広い跡地に計画された環状道路と歴史的建築の数々が最終的に完成したのは50年後の20世紀初頭です。

そういう歴史的背景から、リンク大通り沿いには記念碑的建築が沢山あります。エプシュタイン宮殿エフルッシ宮殿も、その典型例です。
しかし「噛み締めるほどに味が出る」この大通りの「味わい」は、ゆったりと場所をとった歩道です。

8)車道に面した外側歩道


9)両歩道の間にある自転車専用ゾーン


10)奥の(内側の)歩道


11)市電の線路は車道の両脇にあります

後方に市庁舎の塔



ほぼ同じ場所のピンボケ写真を並べた、みみずボログ記事
霧の日(冬)
星空シネマ(夏)

Wikipedia:リンク大通り(あまり詳しくありません)
英語ウィキ(やや詳しい)
ドイツ語ウィキ(詳しく、写真が沢山)



     


そらみみ」の海月さんの漫画エッセイ「海月ファームだより」が始まりました。
園芸に関する体験談が面白くて楽しくて、同好の士は共鳴したりヒントを見つけたりできると思います








庭園の住民

2014-07-03 | 旧市街

100年前に寄り道して、やっと戻ってきました…市民庭園の続きです

人間は散歩に来るのですが、住んでいる方々も…うらやましい


お住まいの場所はここ

後方にホーフブルク王宮

この春のヒナさんも大分育っているようです

見にくくてすみません

ハトさんも休憩


泉水の「休み場」で日光浴のヒナさん


親御さん付き添いで泳ぐ子たち



市民庭園の点景を少し…

後方に国会議事堂


白いアジサイ


庭園に隣接する一般の建物


市民庭園北端の門を出るとブルク劇場




えーと、まだ続きます でも恒例、乞無期待



みみずボログの以前の記事の一部
王宮前広場(ヘルデンプラッツ):接近戦
ブルク劇場:ゲゲゲ再来
市民庭園:市民庭園のバラ